第25話


『――救援だッ、……ッ、待て!』


 戦士風の探検者が、泉の空間へと飛び込んだ俺の気配に気付き、振り返ると同時、剣を振り上げた。咄嗟に手を前に出し、モンスターと間違えられて剣を振り下ろされないように、語気を強めて制す。


「……おぉ、救援かっ! 突然現れたから……スマンなっ」

「なぁ、アンタっ、回復の手立てがあったりはしねぇか?」

『無いです。そちらの方は背負ってでも動けますか? すぐに移動したいです。グレーターワームと言うレアモンスターの影響で、スタンピードが発生してましたが、今はソイツがこっちへと向かって来てます』


 戦士と魔法使い風の探検者の二人が、これ以上話しかけて来ないよう簡潔に状況の説明をする。突然現れた俺の言葉を、二人は顔を見合わせ、信用するかどうかの検討をしていたようだった。


『相談している暇はない。疑うなら置いて行く。信じるならこの笛の音を頼りに、先に居るギルド職員のところまで逃げてください。俺が殿しんがりを務めます』

「……あぁ、分かった。ゼアは俺が担ぐから、ザットは前を行ってくれ」

「ディス、荷物はオレが持つから寄越せっ」


 戦士のディスは肩から下げていた荷物を魔法使いのザットへと渡してから、気遣いの言葉を投げかけつつ、痛みに顔を歪めている盗賊のゼアを背負った。俺はそれを横目に見つつ、待つ間、周囲の警戒をしていたのだが、何とも嫌な気配が迫って来て居るのを犇々(ひしひし)と感じていた。


「おし、行けるぜっ、……あ? ……何だ、この音は」

『急いでっ、恐らくグレーターワームが近づいて来てます』

「ぉ、あ、わ、分かった。オレぁ、先ぃ行くからディスっ、ゼアを任せたぜっ」


 割れて削れ、砕かれて粉々になり、摩擦によって生じた音が、微かに聞こえて来ていた。それは石や砂利が擦れ合っているような、鋼鉄の刃で氷を削るようにも思える音だ。生物が発しているとは決して思えぬ無機質な音を聞いた魔法使いのザットの顔色が、忽ち、青褪めてしまっていた。


 そうして魔法使いのザットは、戦士のディスに言葉を残すや否や、そそくさと駆け出した。よほど恐ろしかったのだろうが、誰もザットの事を責めようなどとは思えない。後に続く、戦士のディスも、その背を追いはするが、逃げ足の速過ぎるザットを引き留めることもせず、待て、とも言わないのだから。恐らくは、一刻も早く逃げなければ、と、この場に居る全員が、そう思い至ったであろう。


 俺もディスの背を追い、追い付くと振り返って警戒をし、そしてまたディスの背を追う。走っている間も音が気になり過ぎて、前を向いているはずなのに、意識は常に背後にあった。曲がり角や、開けた空間を通り抜ける時、繋がって居る暗い通路の数だけ緊張感がある。


 カノンの笛の音が近づいて来ることだけが、心に多少の安らぎを齎してくれている。むしろそれだけが、唯一の救いであるとも言える。カノンと合流できさえすれば、なんとかなるだろう、という希望、その確信めいたものが胸に芽生えるまでには、俺も恐怖を抱いてしまっていた。


 だがしかし、臆病な心を見透かされたのか、そんな俺に、神は試練を与えることに決めたようだ。


『……チッ、モンスターだッ、先に行っててくださいっ』

「あ、あぁ、……ワリィなッ! ……でも、坊主ッ、無理すんなよッ」


 ディスが十字路を通り抜けた時、横の通路からモンスターが通路の合流地点へ現れたのが見えた。ディスは顔だけをこちらへと向けて言うディスの声を背中で受け止めて、俺はモンスターの前に立ち塞がる。


『くそっ、……わらわらと、集まってきやがって……』


 タイムリミットが迫っている感覚、緊迫した状況の最中、脇道から沸いて出て来たモンスターを排除するという選択を取ることにした。いや、取らざるを得ないと言うべきか。


 その中でも厄介なのは蜘蛛型のモンスターであり、その生態も俺の知っている蜘蛛と似ている。最大の武器とも言える粘着性の糸を撒き散らし獲物を捕縛するという、この状況下では最悪とも言える相手だった。俺の素早さでは問題無いのだが、前を行く二人が捕らわれてしまう可能性を考慮して排除すると決めた。


 蝙蝠コウモリ蜥蜴トカゲ百足ムカデアリ土竜モグラ、コボルト、ハイコボルトと脇道から現れる無数のモンスターが目の前にいる。そして瞬きする間にも、その数が増えているような錯覚にさえ陥るまでにこの場所へと続々と集って来ていた。


 威嚇行動や敵対行動をとるモンスター、素通りするモンスター、立ち止まって振り返る仕草を見せるモンスターとそれぞれだが、数が多すぎて不用意に飛び込めずにいた。俺とモンスターは睨み合い、躊躇い、戸惑っていると、振り返っていたモンスターの一匹が叫び声を上げた。その瞬間――


『――ッ!! ……なん、だよ、……コイツ、は』


 通路を塞いでいたモンスターが飲み込まれ、一匹を残し、全て消え去ってしまっていた。


 それを俺はただ見ている事しか出来なかった。モンスターが現れた通路から真っ直ぐ、のたうち回りながら、別の方向へと消えて行った。地下に埋まっている水道管位の太さのモンスターが通過していった。まるで列車が通り過ぎるのを待つ見たく、それはとても長い時間に思えた。


 亀の甲羅のような深い緑の体色に、掘削機ような黄土色の突起物が纏わりつき、一瞬見えた大きな口の中にも黄土色の歯が螺旋状に、所狭しと生えていたはずだ。その悍ましい見た目のモンスターが通った後は、挽肉にされたモンスターのカスが飛び散り、見るも無残な光景が広がっていた。


『……ッハ、ッハ、ッハ、……ング、……ッハ』


 気配を殺そうとしても呼吸が洩れる。俺の意識から、逃げる、と言うことを削り取っていってしまったのか、俺は余りの衝撃の光景を前にして、ただ茫然と立ち尽くしてしまっていた。


『……ッハ、……ッ、カノ、……ン』


 立ち尽くす俺の耳に笛の音が聞こえた。それは彼らと合流できた合図、そして、逃げろ、という合図の音だった。笛の音が聞こえた方向へ逃げようと振り返れば、その方向からあの無機質な音が迫って来て居るのが分かった。


『クソッ、回り込んできやがったのかッ!』


 グレーターワームは食べ残した事が気に食わなかったのか、無機質な音に耳を傾ければ、迂回して迫って来ているのが、カノンの能力が無くとも手に取るように分かった。だが、俺が標的にされていることは、カノン等の方へは向かっていないということだ。その証拠に笛の音は聞こえている。


『……囮、いや、やるしかない。……でも、此処じゃダメだ』


 俺は二人の音を聞きながら、カノン等と逆方向へと駆け出し、覚えのある通路を辿ることにした。目指していたのは先ほどまでいたコボルトの鉱床があった広い空間だ。広さはもちろん、高さもそれなりにあるし、通路の数は三ヶ所とそう多くない。迎え撃つには最適の場所だと思えた。


『間に合えばっ、だけどなッ……、カノォオオン、そのままッ逃げろォおおおおオ! 俺はッ、ヤツをやるッ! 後で、落ち合おうッ!!』


 ダンジョンで大声を出すのは愚行かも知れないが、それでも俺の意志を伝えたかった。グレーターワームが暴れ回って居なければモンスターを呼び寄せる行為だが、今はそうなってくれた方が逃げられる可能性が増えるから有難いとさえ思える。だが、そんなことにはならないだろう。他の雑魚モンスターもグレーターワームから逃げているのだから期待はしていない。


『……もうっ、ちょっと、だ。……まだだ、まだ来んなよッ、……セッーフッ!! 辿り着いたッ』


 広間へと飛び込み、通路の直線状から飛び退き、一息つくこともせず、汗を拭うことも無く、魔槍を構えてじっと待つ。


『……来てる。……こんな事なら、弱点なり、倒し方を聞いておけば良かったな』


 休憩中に腰掛けていた岩が目に入った俺は、その時の光景が思い浮かべていた。ひょんなことから、出会ったのも何かの縁、この先もそんな当たり前の時間を過ごしたいと思う。それにまだ俺にはすべきことも、成したいこともある。だから、強敵であったとしても、負けはしない。


『さぁ、来いよッ、クソデカミミズッ!!』


 姿の見えぬグレーターワームへと罵声を浴びせかけると同時、ヤツは土煙を巻き上げながら現れた。長い長い身体を這いずり、のたうち回らせた後、何処で見ているのか、目らしき部位も無いのに、ゆっくりと標的を見定めるかのように鎌首をもたげる。その間も、絶えず駆動している黄土色の突起物が、嫌な音を響かせていた。


『……レッツ、プレイ、だッ!』


 その言葉を皮切りに俺は得体の知れないグレーターワームの懐に駆け込む。すると、機敏な反応を見せたグレーターワームが大口を開けて、内部の螺旋状の歯を回転させ、まるで蛇のように俺を丸呑みにせんと身体を撓らせながら一直線に伸びて、攻撃を仕掛けて来た。


『速ッ、い……が、避けられるッ!』


 グレーターワームの身体が伸びる方向を見定め、姿勢を低くして横っ飛びに回避する。すれ違うヤツの頭部を見送った俺は、蜷局を巻いた胴体部分へと回り込み、隙だらけの横っ腹に思い切り、上からの斬撃を見舞う。


『――ぅッ、お、……硬ッ、てぇなぁあッ!!』


 穂先がグレーターワームの身体に飲み込まれていく感覚、その手応えは確かにあるのだが、それがまるで嘘のように思えるほどだった。硬い表皮を割っても、弾力性のある内部に魔槍が阻まれ、奥まで切り込めなかった。それにどういう構造をしているのか、回転する身体によって弾かれてしまう。


『くっそッ、ヤベェッ!! ……コイツ、思ってた以上に厄介だ』


 グレーターワームの頭が俺を丸呑みにする為に戻って来た。と思えば、明後日の方向を進んで行く。気付いた時には俺を巻き取ろうと身体をくねらせて、まるで壁が迫るかのように身体で削り取ろうとしていた。しかも、それだけでは無く、明後日の方向を狙った頭は俺を巻き取らんとする布石であった。


『……逃げ道がッ、このままじゃッ、追い詰められてしまうッ、……ッそぉ、退けよッ!』


 魔槍を突き入れても、切りつけても、多少、血を滴らせることが出来る程度。グレーターワームからして見れば、かすり傷程度のダメージしか与えられていない。


 斬撃と比べれば、刺突攻撃の方が威力はあるように思うが、油断すれば俺の身体ごと巻き込まれて、ズタボロにされてしまい兼ねない。もし、深々と刺さってしまえば、魔槍を持っていかれるか、最悪地面へと叩きつけられてしまう。


『あそこしかないッ、一か八かッ……』


 空間の占有幅が目に見えて減って来て居る。唯一残されたのは、通路に繋がる出口のみだった。もしかすればグレーターワームが敢えて、自身が得意とする領域へと導いている可能性もあるが、それを逆手に取れさえすれば、大きなアドバンテージを得られる。


 希望を見出した俺は出口へ向かう。しめたとばかりにグレーターワームが、俺の後を追って来ているのは見るまでも無い。背後に迫る圧力、威圧感、迫力、それと音を頼りに、はっきりと掴んでいた。失敗すれば終わり、その恐怖に飲まれてしまわぬように、俺は気迫のこもった声を上げて立ち向かう。


『かかってッ、来いッ!! ――今ッ、だぁァアアッ!!!』


 俺は出口へ向かって飛んだ。高く、大きく飛べるように魔槍を地面に突き刺して、まるで棒高跳びさながらの跳躍で、出口上部の壁へと飛んだ。


 異世界様様、ダンジョンで得られた経験値による身体能力向上あってのものだが、滞空時間、飛距離、跳躍高、そのどれもが自分でも驚く結果を残した。この時ばかりは、魔剣の種の選択が、魔槍とすることを良しとした選択が活きたと言えよう。


 飛びながら身体を反転、出口上部へと着地するや否や、下肢に力を込めて、出口とは反対に飛ぶ。凡そ壁蹴り、壁ジャンプと呼ばれる技巧。それを成功させたお陰で、俺を捉えようとしていたグレーターワームはそのまま通路へと頭を突っ込ませ、見事、ヤツの企みを覆した。


『ゆっくり回ってこいッ! その間にッ、好き勝手させてもらうからなッ!』


 頭隠して尻隠さずの状態に近しくなったグレーターワームは、胴をくねらせて俺への足掻きを見せる。


 だがしかし、ヤツの身体が出口に収束している現状、安全地帯とも呼べる位置に陣取った俺は、魔槍を弾かれつつも、ダメージを稼いでいく。次にヤツが戻って来た時には、赤い印が綺麗に並んでいることだろう。


 一転攻勢、荒ぶり、猛り、怒涛如く、芯に湧き立つ熱に身を任せ、魔槍による猛撃を仕掛ける。魔槍を振るう度に、髪が揺れ、乱れ、暴れもするが一心不乱に切り刻み、グレーターワームに俺と言う存在を知らしめんとする。そして痛恨、会心に至らずとも、命に届きうる位置まで競り寄り、絶命たらしめんとする領域へと踏み入るように突き込む。


『ッ、もう終わりか、……だが、これを繰り返せば、いつかは……』


 あれだけの攻撃を与えても尚、グレーターワームはピンピンとしている。それどころかヤツの逆鱗に触れてしまったのか、金切り声のように甲高い鳴き声を上げ、暴れ回りながら別の入り口から戻って来た。


 ボスモンスターらしい手応え、今まで経験してきたボスフロアのボスよりも、それらしいと言える。十全たる準備を整え、持てる力の全力を振り絞って、それでも倒れぬボスモンスターに、湧き立つ興奮を覚えて居た頃を思い出す。


 味気ない、こんなものか、と思えば飽きが来る。そして更なる高みを目指すでもなく、新天地を探したものだ。今はまだ発展途上だが、それでも命のやり取りの上に立っているという感覚は、余り得られてはいなかった。だが、今は違う。意識して思考を続けなければ飲み込まれる程の緊張感がある。


『あぁ……、やり応えは、かなりあるな……、攻撃をくらう前に俺が削り切ってやる』


 再び、相対したグレーターワームは、またも鎌首をもたげると共に怪音波を発して威嚇行動を見せ、そして、その口からは水蒸気のような煙にも似た吐息を漏らしている。怒りを覚えたのか、その様子からヤツも本気になっただろうことが伺えた。その一方、俺はグレーターワームに集中し、初撃で見せたヤツの突進攻撃を警戒していた。


『……さぁ、……どっからでもかかって来いよ、……来るかッ? ンン、なにを』


 二合目のに差し掛からんとした時、グレーターワームの身体が膨らんだように見えた。若干の変化、その違和感を覚えた瞬間、ヤツは口から紫色の体液とも違う色味の液体を、吐き出した――


『――ッ、っと、あぶねぇなッ! って、おい、おい、マジかよッ、うぉッ!?』


 紫の液体が宙で広がり、帳を降ろすかのように降り注いだ。避けた先で見れば、先ほどまでいた場所はバケツをひっくり返したみたいに紫の液体に染まっていた。沼とは言わずとも、決して小さくない水たまりが出来ている。恐らく、毒液だろうと意識をそちらへ向ければ、ヤツはその隙を見逃さず、新たな攻撃を重ねて仕掛けて来た。


『ちょっとッ、まてまて待てッ、てッ、オイッ、いつまでッ、続くんだよッ、クソッ』


 毒液散布に加え、今度はグレーターワームの怒涛の猛攻が続いている。それは機関銃さながらに、俺の拳程の大きさがある岩の塊を、毒液と交互に吐き出して飛ばして来ていた。


 毒液による領域浸食と遠距離からの容赦ない攻撃もそうだが、緩やかな毒と高速の礫つぶてによる合わせ技が重なり、避け一転等に徹する他なかった。大味な攻撃手段しか持ち得ていないと考えていたが、それはどうも間違いのようだ。


 大きく、重く、そして長い。それだけでも厄介だというのに、特殊な大口、表皮、毒液、石礫いしつぶてを持ち合わせているなんて、そりゃあ、このエリアのモンスターが逃げ惑う訳だ。毒液だけでも何とかできればやりようを見出せそうなもんなんだが、如何せん魔法も装備もままならない俺には対策のしようが無い。そう考えた時、ふと思いついたことがあった。


『……おい、相棒ッ、あの毒液食えるかッ? 行くぞッ【ネクスト】』


 魔槍には悪い気もするが、もし駄目なら吸収しないだろう。そう思い、グレーターワームの攻撃を掻い潜りながら、魔槍を地面に薄く張った毒溜まりへと突き入れ、魔法を唱えると毒溜まりは綺麗に消失した。


『ッシ、良くやったッ! じゃんじゃん行くぞッ、養分にしちまえッ!』


 握り拳を作って喜びたい程だったが、そうもしていられない。グレーターワームは休むことも無く、毒と礫を撒き散らしている。ならば、と飛んでくる毒液を魔槍の穂先で受け【ネクスト】で回収していく。


 だが、これはヤツに近づく為の布石でしかない。悠長に魔槍の餌を与えていても、ヤツとの根比べになることは目に見えているし、そうなればジリ貧になること請け合いだ。


『効いてくれればいいが……、ほらッ、どうしたッ、こっちだッ、――今ッ!』


 左右に避けつつグレーターワームの頭を揺さぶりるようにして、狙いが外れた隙を見計らい前に踏み込む。毒液を掻い潜り、追って来る頭の内側へと切り返し、ヤツの視界から消えることを意識して、左側面へと回り込み、魔槍を突き入れる。そして、


『――【ネクスト】ッ!!』


 奥の手を放った。


『くッ、キツッ……、クソ、……まだピンピンしてやがるな』


 槍を引き抜き、後ろへと飛ぶ。身体をくねらせて抵抗を見せたグレーターワームから離れて、様子を伺うが、変わったところと言えば、魔槍を突き入れた一部分が黒く変色している程度の変化してか見られなかった。


『チッ、……やっぱ、生物が関わってると……大分持ってかれるな』


 ただ槍で突くよりも、ダメージを与えられただろうが、奥の手らしく、それ相応のデメリットも存在する。そう易々、時と場所を弁えずには使っていられない。イシガメを炎で炙って倒した時もそうだが、生物が干渉すると、魔力を大幅に消費してしまう。


 疲労感は勿論、倦怠感、脱力感に襲われ、身体が浮ついた感覚に支配される。スキル、必殺技を放った後に、クールタイムを挟むゲームキャラクターの気持ちを理解したような気分だ。だが、それは所詮ゲームでしかない。こちらは現実であるからこそ、多少の身体能力の低下を伴う。それ故に、よほどシビアであるとつくづく思わされる。


『……ダリィ、が、まだまだやってやる。……後、3回位なら行けるか?』


 腕の冷えた血が心臓を通り、徐々に体温を取り戻していくような感覚を魔槍を何度か握りしめて確かめる。グレーターワームが鎌首をもたげる時に支えていた部分、変色した箇所に、残りの奥の手をブチ込めば、打倒できると信じて機会を伺っていると、ヤツもそれを嫌がったのか、ダメージを受けた箇所を身体を巻き取って隠した。


『効いてるってことか? ……クッ、ソ、切り替えて来やがったッ』


 グレーターワームは毒液と石礫による遠距離攻撃を止め、再び、己が肉体で攻撃を仕掛けて来た。突進は勿論、身体を鞭のように撓らせて叩きつけ、振り払い、俺を打ちのめそうとしているようだ。それだけでは無く、鉱床部屋の外周を回り、俺を中心へと誘ってから巻き取らんとしていた。


 逃げ場が無くなれば、あの巨体に圧し潰され、削り取られてしまう。だが、グレーターワームの身体が、流石に長いと言えども、この広い空間まるごと一繋ぎには出来はしない。ヤツの蜷局が狭まれば外側に回避すればいい。


 俺には【スロウ】があるから、タイミングを見誤ることがあっても、コンマ数秒以下の誤差にしかならない。落ち着いて避け、攻撃を少しずつ与えていれさえいれば、必ず勝機は訪れる。その時を待つ。ただそれだけだ。


『どッ、らぁッ!』


 グレーターワームの節くれだった身体が、地面を削り取りながら迫って来たタイミングで、俺は勢いを付けて大きく飛び越える。眼下に渦巻く蜷局を見ながら、回避に成功したと、そう思った。だが、その瞬間、ヤツの身体が跳ね上がった――


『――なッ!?』


 一瞬、視界が途切れた。次に状況を把握した時には、錐揉み回転しながら宙に浮いていた。体勢を立て直そうにも、遠心力や推進力のせいか、上手く整えられない。そして、俺の身体は壁へと打ち付けられてしまった。


『がはッ! ……ひぅぅ、……ぐッ』


 肺の中の空気が全て外へ出放った後、再び、視界が途切れた。背中、頭、肘を壁へと打ち付け、貼り付けになった後、ずり落ちた俺は地面へと叩きつけられたようだった。眩んだ頭を持ち上げて見れば、霞む視界の先にはヤツの大口が、こちらへ向かんとしていた。


 咄嗟に身体を無理矢理起こして、よろめく身体を壁で支える。そして俺は五体満足であることの他、生きていることを再確認していた。グレーターワームの身体が跳ね上がった瞬間、辛うじて防御したからか、両の二の腕、両足の膝から下、右腹部を強く打ち、肉が削げたところからは、血が滴っていた。


 それに気付けば、身体が悲鳴を上げて泣き叫んでいるみたく、身体のあちらこちらから、ありとあらゆる痛みが迸り、苦痛に顔を歪めてしまう。俺は、視界が狭まるのを嫌に思い、目を見開かんと意識して見ても、俺の身体は言うことを聞いてはくれなかった。


 痛む身体にムチ打ち、壁に手を付いて走り出さんとした時、握ったままの魔槍の柄が、真ん中から折れてしまっていることに気付いた。攻撃を貰うと判断した瞬間、武器だけは離すまいと両手で必死に握りしめていたが、折れてしまえば半分は必要ない。手から落として走り出す。


『ッ、ハッ……、ハァ、ハァ』


 グレーターワームの大口が一直線に迫っていた。重たい身体は思うようにスピードが乗らず、動いているはずなのに、足の歯車がかみ合わず空回っているようだった。だからこそ俺は、持てる全力を下肢に集中させて、横合いに飛んで避けると意を決した。その時、


――ビィイイイイイイイイイイイイイイッ!!


 けたたましい音がこの場の空間に広がった。歯を食いしばって耐えなければ、目と耳を塞いでいただろう。グレーターワームの怪音によるものか、と思って見れば、ヤツもまた別の怪音を発しながら、のたうち回っていた。


「エンッ! “大丈夫”ッ!?」

『……ぁ? ……カノンッ、なにしてっ、……今のはカノンか?』


 カノンの声が聞こえた時、耳を疑った。だがしかし、声のする方を見てみれば、少し上の壁面に複数ある内の一つの通路から、カノンが顔を覗かせていた。そして、その手にはモンスターには聞こえぬ笛とは別の笛が握られていた。


「そうっ、グレーターワームは音を頼りに獲物を狩るわっ、だからこれを使えばエンの位置を“見失う”はずっ」


 簡単な説明をしたカノンはまた、けたたましい音が鳴る笛を吹く。すると、グレーターワームは長い身体を寄せ集め、一塊に丸まって身を捩らせる。


「エンっ“弱点”は背中側っ、中央部分っ、そこに沿うように縦長の心臓があるわっ」

『……あぁ、……分かったッ』

「私が笛を吹くから、エンはその隙に“お願い”っ」


 不甲斐無さを恥じながら、俺は短くなった魔槍を握りしめて、グレーターワームに詰め寄る。俺が近づいて来る音を察知した瞬間、ヤツは大口を開けて体当たりを仕掛けて来たが、カノンがそのタイミングで笛を吹いて妨害。すると、進行方向から外れた俺に、グレーターワームは気付かず、明後日の方向の壁面へと頭から突進した。


 隙は出来た。だがしかし、グレーターワームは筒状の身体であるからして、どちらが腹で、どちらが背か、それに回転し続けている表皮のせいもあって一目見るだけでは分からない。そうやって俺が二の足を踏んでいると、グレーターワームが反転し、頭を持ち上げて体勢を立て直した。


 こうなれば、背が何処に在るかは察しが付く。俺を見下ろすようにしている裏側だろう、と憶測を立て懐に飛び込む準備を整える。懐に入れば背面へ回り込み、奥の手を使う。そう考えていると、グレーターワームは頭を伸ばして、毒液の涎を垂らしながら、攻撃を仕掛けて来た。


『……今だッ』


――ビィイイ……ビッ、ィイイイッ!!


 俺の声に合わせるようにカノンの笛の音が鳴った。


 笛の音を聞いたグレーターワームは身体を震わせ、一瞬、硬直した。そして身を捩らせることも無く、暴れることも無く、頭を上げた。


 好機が訪れたと確信した俺は、そのまま勢いを上げて、ヤツの背面に回り込み、軋む身体を強引に動かして、そして、飛んだ――


『――ガラ空きッ、だぁああああッ!!』


 空中反転しながら、グレーターワームの背中に魔槍を突き入れてから【ネクスト】を放つ。すると、背中の表皮が黒ずんだと同時、ヤツは跳ね上げて抵抗する仕草を見せた。だが、俺は攻撃の手を緩めるつもりはなかった。


『【ネクスト】、【ネクスト】ッ!! グッ、【ネクスト】ォオオッ!!』


 それは命の削り合いと言えようか、俺が魔法を放つ度に体内の魔力がごっそりと抜け落ちていく感覚が連続した。


 途端に重力が倍に増え続けているみたく身体が重くなり、まるで急激な気圧の変化が起こったのかと思うほどの激痛が頭に走る。意識が遠退きそうになった俺は着地さえもままならない。身体は宙へ放ったままだ。


 繋ぎ止めた意識、微かな視界の中、グレーターワームの持ち上げた身体の力が抜けて、緩やかに伸びていくのが見えた。


――勝っ、た……。


 そして、勝利を確信した俺は、受け身さえも取らぬままヤツの身体にぶつかり、地面へと落ちた。

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