第1章 七桜の日記 ④
中学の卒業式の式次第には、卒業したOBが祝辞を言いに来るって書かれていた。
そんなこと、今まではなかった。今年から始まったのには理由がある。
わたしは式次第を表示してたスマホを消した。
三年間通った中学の体育館。その一番後ろにある用具室に身を潜めて、その時を待つ。
校長の話が終わり、教頭の話が終わり、そして――
件のOBが、ゆっくりと壇上に上がる。
背筋ののびた姿勢の良さも、まっすぐに前を見るきまじめな眼差しも、去年最後に見た時から少しも変わってない。
なのに、彼ひとりが現れただけで、体育館は不思議な空気に包まれた。
一部の生徒は、畏怖を込めて見上げる。
一部の生徒は、憧れを込めた熱い視線を送る。
城川先輩は〈生徒会〉の制服に身を包んでいた。
黒い詰め襟に、軍隊みたいな徽章――有名デザイナーが手がけたとかいう、スタイリッシュなデザインの制服を着て、彼は恥ずかしげもなく演説を始める。
「送辞というのはもちろん口実で、今日はこの場を借りて〈生徒会〉への理解を広め、新しい仲間を募るために来た」
去年まで弓道部の部員達の心をつかんできたシンプルなスピーチは、要点をまとめていてわかりやすい。加えてあの顔だ。広報にはうってつけ。
〈西系〉がいかに危険か――犯罪を犯し、体制をゆるがす危険思想をばらまき、元首相の街頭演説を襲撃したようなテロを他にも計画し、違法に稼いだ莫大な資金を〈西〉に送っていることを説明し、日頃からよく警戒しなければならないと主張する。
その上で、国を守るために、社会の安全と利益を守るために、一歩踏み出した活動に参加する人間を求めている、と熱弁をふるう。
「この国を破滅させようとしてる脅威から皆を守るために、君達の協力が必要だ。〈生徒会〉は危険を冒して世の中を守るのが使命だ」
無茶苦茶もいいところなのに、さも筋が通っているかのように、美しい言葉を使う。
彼らのやり方だ。
(――――…)
わたしは用具室の中で、じっと演説が終わるのを待った。だけど。
「法を守るだけでは守れないものが、この世にはある!」
このひと言に、カァッと頭に血が昇った。激しい怒りがこみ上げ、目の前が真っ赤に染まる。
気がつけば用具室のドアを開けて飛び出していた。
大きな音に、後ろのほうに並んでいた生徒がふり返り、ぎょっとしたように目を瞠る。
それもそのはず。わたしは今、和弓と矢を手にしている。おまけにこの五日間、家の中で息を潜めて、電気もガスも使わずに過ごした。いちおう学校の制服を着てはいるけど、たぶんすごい形相になっているはず。
左右に整列して立つ全校生徒の真ん中――三メートル幅の通路を、弓矢を持ち、前方に向けて歩いて行く。
そんなわたしに気がついた先輩が、壇上で言葉を止めた。
「……
「――――――…」
馴れ馴れしく呼ぶな。そんな怒りが腹の中でふくらむ。
先輩は驚いたようにわたしを見下ろしていた。
でも五日前、わたしが家の中で隠れている時に、その声を聞いた時のショックには、はるかに及ばないはず。
通路の真ん中くらいで足を止め、わたしはゆっくりと弓に矢をつがえた。
もちろん、城川先輩に向けて。
「この間、うちに来ましたよね、先輩。あそこでわたしを見つけたら、どうするつもりだったんですか?」
わたしの声が、体育館に響く。
「あと別件ですけど、うちの両親、もう一週間も帰ってこないんですけど。どこにいるんですか?」
手を放せば即座に矢が飛ぶ状態で、低くうながす。
「答えてください」
体育館は、突然の出来事にざわついていた。
教師達がやってきて、わたしを取り押さえようと囲んでくる。
「落ち着け、時任!」
「バカな真似はよせ!」
生徒達の一部は、ポケットからスマホを出して、騒ぎを撮影し始める。
(撮って。一部始終撮って世界に配信して。わたしが、こいつらの欺瞞を暴いてやるから…っ)
教師達を無視して、わたしは先輩に矢を向け続けた。
「なんで黙ってるんですか? 答えてください。〈西〉出身のうちの両親を、どうしたんですか?」
みんなの前で、〈生徒会〉が何をしているのか言えばいい。
どんなに言葉を飾っても、変わらない事実を伝えればいい。
黙ったままこっちを見下ろす先輩を見据え、わたしは声を張り上げた。
「答えろ!!!」
でも――自分の正義を信じて疑っていない人間に、そんなの無駄な挑発だった。
彼は髪の毛ひと筋ほども動じることなく、堂々と応じたのだ。
「ゴキブリの駆除は罪ではない。これは戦いだ」
笑うでもなく、勝ち誇るでもなく、彼は淡々とそう言った。
「褒められたことじゃないかもしれない。だがやるしかないんだ」
先輩は、息を呑んで自分に注目する全校生徒に目を向ける。
「我々は行動しなければならない。行動せず、様子見に徹する多くの人々を守るためにも、まずは我々が立ち上がるしかない」
その場にいる全員と目を合わせるように、ゆっくり見まわす。
わたしなんか眼中に入ってないって感じで。
「戦わないことを選ぶ人々を責めはしない。だから君たちも、行動する我々を理解してほしい」
たとえ自分が危険にさらされていようと、見ているのは、もっと大きな世界――そんな姿勢が、見守る生徒達に感動を与えたことを肌で感じた。
こんなはずじゃなかった。
後悔に歯がみしながら、わたしも訴える。こっちに向けてスマホを構える大勢の生徒達、この動画を見ることになる人々に向けて。
「『この人達なら攻撃していい』って発想が、まずおかしいって気づいて! それがこんな異様な事態を引き起こしたって認めて!」
わたしはまちがっていない。正しいのはわたしだ。
今のこの状況を、三年前に、ここにいる人達に見せたなら、いったいどう感じただろう?
たった三年後、あなたの国では人殺しが横行してるんですよって言って、信じてくれただろうか?
「今のこの国は異常だって、ちゃんと自覚して!!!」
矢をつがえながらのわたしの叫びに、先輩は初めて、フッと口元をほころばせた。
「だから社会を正すのか? そういう手段で?」
「――――…っ」
ねらいを定める。首をねらって、ギリギリまで矢を引く。
「七桜…!」
どこかから風香の声がした。
整列する生徒をかきわけて、彼女が飛び出してくる。
「やめて、七桜!」
風香は、わたしに向けて大きく首を横にふった。
ダメだよ、って。
人を傷つけるのは良くないとか、そういうこと以前に、わたし達にとって神聖な弓を、こんなことに使っちゃダメだって。でも――
(ごめんね、風香)
三年間ずっと、わたしのために偏見と闘ってくれた友達に、心の中で謝る。
ひどいことをしてるってわかってる。
でも、わたしに使える武器はこれしかないから。ごめんね。
わたしは矢を持つ手から力を抜いた。
「――――――!!」
居合わせた生徒達から悲鳴が上がる。
まっすぐに飛んだ矢は――先輩の頬をかすめて、後ろの緞帳に当たって落ちた。
(外した――)
落胆したわたしと、先輩の視線が重なる。
先輩は賭けに勝った目をしていた。それだけだった。
「押さえろ!」
教師達の声に、周りからいっせいに人が集まってくる。わたしは長い弓を思いきり振りまわして抵抗した。
「来ないで!」
おののいた教師や生徒達が下がった隙をついて走り出す。
追いかけてこようとする連中や、前で逃げ道を塞ごうとする教師に弓をたたきつけ、無我夢中で追い払う。
経路は考えてあったので、五分もたたないうちに、何とか学校から脱出することに成功した。
ただし弓も矢も、全部失った状態で。
着の身着のまま駅ビルに駆け込んだ。
従業員しかいないバックヤードに飛び込み、トイレに用意しておいた私服に着替える。キャップを目深にかぶって、マスクをつけてトイレから出ると、非常階段を使って地下に降り、駅の地下道へ抜けた。ひとまずホッと息をつく。
お金は小銭が少しだけ。
他に持っているものは腕時計くらい。スマホも捨てた。
あの動画がネットにアップされたら顔バレするだろうし、これからは昼間に外をうろつくのはやめよう。
それから、なるべく防犯カメラのなさそうな場所に行こう。
人混みにまぎれて一番安い切符を買って、適当な電車に乗る。
車内アナウンスで、
およそ一時間後、終点の
もうすぐ午後二時。
これからどうするのかはノープラン。とりあえずテレビを見たい。あの件がどう報道されているのか確かめたい。
駅前の商業施設に向けて歩き出したものの、すぐに踵を返した。駅前の広場に〈生徒会〉の制服を身につけた高校生が三人いる。
固まってしゃべってるけど…何かを探している様子なのは気のせい?
とりあえず、〈生徒会〉のメンバーがいないほうへ歩き出した。
道路脇にあった広域避難地図で、少し歩いたとこに大きな図書館があることがわかったので、そっちに向かう。
しばらく歩いて着いた図書館には休憩スペースがたくさんあった。こっそりテーブル席の端っこに腰を下ろして周りの様子をうかがう。
館内は静かで暖かかった。人はまばらで、わたしに注意を向ける人もいない。
テーブルに伏せて目をつぶったとたん、強烈な睡魔に襲われる。
よく考えたら、今日の計画を練っていた間、緊張でろくに眠れなかったから。
(ちょっとだけ――)
少しだけ休もうと考えた直後、意識を失うように眠りに落ちた。
「ちょっと、あの…、お嬢さん、お嬢さん」
「………っっ」
肩を揺さぶられて、ハッと目を覚ます。年輩の女性がわたしをのぞきこんでいた。
「起きて。もう閉館なの」
周りを見ると、いつのまにか館内には照明がついていた。
(もうそんな時間!?)
あわてて立ち上がると、女性に頭を下げて建物から出る。
あたりはすっかり暗くなっていた。時間は午後八時。
「すごい…。爆睡してたんだ」
でもそのせいか、なんだか気分はすっきりしてる。
「お腹すいた…」
お金は少ししかないから節約しなきゃならない。コンビニに行ってパンでも買おう。
暗くて静かな道を歩き始めた、そのとき。
いやな予感がした。
周りで幾つかの足音がする。理由はないけど、わたしを囲むような足音だと感じた。
「………っ」
走り出したわたしを、案の定、足音が追いかけてくる。
「逃がすな!」
「追い込め!」
押し殺した声が聞こえてくる。
頭の中でさっき見た地図を思い出す。図書館の隣は大きな公園だった。連れ込まれたら終わりだ。
こいつらは、捕まえたゴキブリを人の目のないところに連れて行って駆除する。
だから発見された遺体はいつだって不審死ってことになって、警察は「事件と事故の両方の可能性がある」と結論を下す。まずまともな捜査はされない。
後ろから服をつかまれ、悲鳴を上げた。
強く後ろに引っ張られて転んでしまう。と、たちまち周りを囲まれた。
「やった!」
歓声が上がる。
髪をつかまれたわたしは、恐怖でパニックになり、ひたすらもがき、叫んだ。
「うるせぇ!」
顔を殴られる。
その時、信じられないような大きな声があたりに響き渡った。
「やめんかぁぁぁ!!」
ふり向いた、みんなの視線の先に立っていたのは、ひとりの老人。
ごま塩頭のその人は、かくしゃくと歩いて近づいてくる。そして厳しい目で子供達を見まわした。
「大勢で寄ってたかって暴力など、恥ずかしいと思わんのか!」
「だまってろ、ジジイ!」
「だまるか! このバカで世間知らずな若造どもめ! 無責任な大人に、簡単に踊らされおって!」
「あぁぁ!?!?」
聞き捨てならなかったのだろう。
〈生徒会〉のグループは、たちまち色めき立っておじいさんを取り囲む。
「もう一度言ってみろ!」
「何度でも言ってやる! 自分の手を汚さずに、人をけしかけるだけの連中をなぜ信じる!」
怒鳴り合いみたいなやり取りは、どんどんヒートアップしていった。
その温度は、おじいさんの次のひと言で、頂点に達する。
「ワシは戦中、
広縞。〈
「――――――ゴキブリだ!!!」
大きな声が上がった、その瞬間――わたしは、おじいさんとは反対方向に走り出した。
気づいていたから。
〈生徒会〉のグループの意識が、今は完全におじいさんに向いていることを。
「あっ、おい、待て…!」
あわてたような制止が聞こえたけど、ふり向かなかった。
暗い夜道を、ただひたすら走る。
(ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい…!)
泣きながら、全速力で駆け続ける。
どこへ続くのかわからない道の行き先は、塗りつぶされたような暗闇に沈んでいたけれど。
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