第61話 勇気


 

「さあ――――反逆開始だ」


 人間が不死鳥の炎をまといながら、ふたたびセラフィムに向けて駆けだしてくる。

 セラフィムにとって、それは信じがたい光景だった。


 自分の天恵を目の当たりにして生き残り、あまつさえ立ち向かうなど……。

 そんな者は今までに存在しなかなった。

 存在するはずがなかった。

 しかし――。



「…………だから?」



 セラフィムは冷たく微笑みながら、小首をかしげる。


「蘇ったから――なんですか? 死んでも蘇るなら、何度でも死なせればいいだけでしょう?」


 ――【死ノ宣告ゲームオーバー

 この天恵の力は、相手に死を告げれば殺せるだけのものではない。

 その真価は――死の運命ルールをあらかじめ宣告することにある。


 セラフィムは宙に舞っている羽根の1つをつかみ、さらりと空中に――世界に光の文字を刻んだ。



運命ルール宣告――“あなたごときが私に近づいたら感電死ゲームオーバー”」



「……ッ……!?」


 ばりばりばり――ッ! と人間の体から青白い雷がほとばしった。

 神罰のような威力の雷に、周囲の床が砕け飛び、人間が一瞬で炭化する。


「今後、あなたごときは聖なる私に近づくたびに死にます。この死の運命からは逃れられません。回避も、防御も、逃走も――無意味です」



「…………だから?」



 人間が炎の中から、嘲笑うように首を傾げる。


「蘇っても死ぬなら――何度でも蘇ればいいだけだろうが」


「……っ!?」


 人間が炎をまとったまま、ふたたび地面を蹴った。

 一歩進んだ先で、ふたたび雷を浴びて絶命するが――。

 ふたたび、炎をまとって蘇る。

 何度も、何度も――蘇り続ける。


「…………な、なぜ?」


 セラフィムが戸惑う。


「肉体が蘇っても、精神まで蘇っているわけではないはずです。痛いのでしょう? 苦しいのでしょう?」


 死に慣れている人間なんていない。

 死ぬというのは、死ぬほど苦しいことなのだ。


 それなのに、どうして――止まらない?

 セラフィムは自分の羽根をつかみ、宙に光の文字を書く。



運命ルール追加――“あなたごときが立ち止まらなければ圧死ゲームオーバー”」



 ずぅぅぅん……ッ! と。

 空中にいきなり現れた巨大な天使像が、人間を圧し潰す。


「ふふふ……どうですか? これなら、せっかく蘇っても動くことはでき――」


 ひゅん――ッ! と。

 無数の剣閃が天使像をばらばら斬り刻んだ。

 その瓦礫の下から、飛び出してきたのは――人間だ。


「なっ!?」


 どれだけ死んでも、一歩、一歩、一歩……確実に前に進み続ける。

 止まらない。確実にセラフィムに接近してくる。


「そ……そうまでして近づいて、なんだと言うのですか? 近づけば、この強大なる私に勝てるとでも?」


 人間からの返事はない。

 セラフィムはその背後に浮かんでいる少女の霊を睨んだ。


「フィフィ・リ・バースデイ、さすがに遊びが過ぎますよ。わかっているのでしょう? こんなことをしても、人間がこの私に勝てるわけがないと」


『うんうん、あなたの気持ちはよーくわかるわ。わたしも同じことを思ったもの』


「でしたら、早くこの人間を止めなさい」


『無駄よ。テオはわたしがなにを言っても止まらないもの。どこまでも、どこまでも、前に進み続けるだけよ』


 フィフィはにやりと口元をつり上げる。


『もしも止めたければ……殺してみなさい。この人間の心を、ね』


「……いいでしょう。それならば、容赦はしません」


 あくまで人間を改心させようと、死因に手心を加えていたが……。

 セラフィムは羽根を手に取り、荒々しく宙に文字を刻んだ。



運命ルール宣告――“私に勝つことをあきらめなければ拷問死ゲームオーバー”」



 ずずず……と、人間の背後に巨大な影が現れた。

 嘆く少女を思わせる鋼鉄の像。

 その腹の部分は中空となっており、扉の内側にびっしりと鉄棘のついている。

 ゆっくりと人間を刺し貫き、血を搾り取る棺桶のような拷問器具。


 ――鉄の処女アイアンメイデン


 これは苦痛と絶望を目的とした死因。

 これに人間ごときの心が耐えられるはずもない。

 すぐに死という救いに手を伸ばそうとするだろう。


「これは、あなたごときへの愛の鞭です。あなたごときは、あなたごときがあきらめるまで苦しみ続けなさい」


 アイアンメイデンからうじょうじょと伸びる影の手が、人間を像の中へと引き込んでいく。

 そのまま、ゆっくりと鉄扉が閉められる。

 ぶじゅっ……と、扉の隙間から血があふれ出し――。



「こんなもので――俺を止められるかッ!」



 ばらばらに斬り裂かれたアイアンメイデンから、血まみれの人間が飛び出してきた。


「……なっ!」


 ――止まらない。

 感電死、圧死、拷問死、心臓破裂……。

 進み続ける人間に、次々と死の運命が襲いかかる。

 しかし、死んでも、死んでも、死んでも……止まらない。


「な、なぜ……?」


 レベルでも能力でも、セラフィムが圧倒的に勝っているはずだ。

 それなのに、わからない。

 いったいどうやったら、この人間は――止められる?


「な……なぜ、立ち上がるのですか? なぜ、剣を握るのですか? なぜ、前に進もうとするのですか? 力の差なら、もう充分に理解したでしょう? それなのに……なぜ? あなたを突き動かすその力は……いったい、なんなのですか?」


「……魔物にはわからないだろうな」


 人間はぼろぼろになりながら、なぜか誇らしげに笑う。


「この世界でただ1種族だけ、最弱から始まる人間だからこそ持っている力だ。絶望してもあきらめない。より高みへと進み続ける。止まらない。この力を――人は“勇気”と呼ぶんだ」


 人間が床を蹴り、ついにセラフィムの眼前にまで到達する。

 ついに剣の間合いに入った。

 人間が左手の魔剣を振りかぶり――。


 ――ぱんっ、と。


 湿った破裂音。

 それとともに、人間がごぼりと血の塊を吐き出す。

 しかし、それも想定内だと言うように、人間はぐっと踏ん張った。


「まだ――だッ!」


「……っ!」


 心臓破裂してから完全に絶命するまでの、ごくわずかな一瞬。

 その死に際に、人間が魔剣を振り下ろす。

 しかし――。



「――残念でしたね」



 死力を尽くして振り下ろされた魔剣。

 それを、セラフィムはふわりと軽く翼で受け止めた。


「この強大なる私にここまで接近できたことは、驚嘆なさってあげましょう。しかし、接近したから――なんですか?」


 レベル75のセラフィムの強さは、けっして天恵の力にとどまらない。

 攻撃力も、防御力も、魔力も――全てが強い。


 セラフィムは翼を一振りして、受け止めた魔剣を頭上へと弾き飛ばし――。

 そこで、気づく。


(…………いない?)


 目の前にいるはずの人間が、どこにもいない。

 自分の翼で一瞬だけ視界がふさがれている隙に、気づけば人間の姿は消え――。



「――“白刃結界”」



 ふいに、下から声がした。

 いつの間にか、人間は地を這うように体勢を低くしていた。

 その両手に握りしめられているのは、刃状の結界をまとった純白の聖剣。


(……あ、ありえない! もうとっくに心臓は破裂しているはず……!)


 たしかに、“心臓破裂”は死因でしかない。

 その死因によって、いつ死ぬかまでは定められていない。

 定める必要がないからだ。


 即死しなければおかしい。理屈に合わない。

 それなのに――。



「――止まらないッ! それが、人間の力だッ!」



 ざん――ッ! と、聖剣が斬り上げられる。

 下から上へとほとばしる純白の剣閃。


 弱者が強者を喰らうための技。

 地を這う者が、高みにいる者を討ち堕とすための技。


 その人間の技を――セラフィムが知るはずもない。

 ゆえに、対処できない。

 

「な、な――ッ!?」


 言葉にならない叫びを上げながら、セラフィムは斬撃を浴びて吹き飛んだ。自分を祀るための聖具の群れをはね飛ばしながら、祭壇に叩きつけられる。


「あ……ぐぅ……ッ!」


 よろよろと立ち上がろうとして、セラフィムは気づく。

 斬撃を受け止めた腕に、わずかに血がにじんでいることに。

 ただの小さなかすり傷。しかし――。



「……ぇ…………ひっ……!? 血……血が……!?」



 それはレベル75のセラフィムにとって、生まれて初めての傷であり痛みだった。


「ぁあ、あッああッ!? ぅぅ、あぁッああ……!! 痛い痛い痛い痛い痛い――ィィィッ!!」


 腕から数滴の血が、つぅ……と流れる。

 不意をついた全力攻撃の成果としては、あまりに小さすぎる傷。

 それでも、セラフィムに対して初めて、人間がダメージを与えたのだ。


「ぁ……ぁああッ、あああぁああぁァァア――――ッ!! 血が、血が、血が、血が――ァァァッ!!」


 セラフィムは床にうずくまり、初めて転んだ幼子のように泣き叫ぶ。

 そんなセラフィムに、上から冷たい声がかけられた。



「――立てよ、上等生物」



 見上げると、人間がセラフィムを見下ろしていた。


「まだ、戦いは終わってないだろうが」


 全身を燃え上がらせながら、こちらに魔剣の切っ先を向ける。

 ふたたび心臓を破裂させ、セラフィムの比じゃないほどの血を流しながら――。

 下等生物にんげんは、笑う。



「――人間の勇気を、思い知れ」

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