第60話 コンティニュー



 大聖堂の最奥――薔薇窓からの月光に照らされた祭壇に。

 死天使セラフィムはいた。


「――聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」


 セラフィムは美しい賛美歌を口ずさんでいた。

 この地獄の夜の中で、天使は幸せそうに歌い続けていた。

 やがて、ふっと歌を止めると――。



「……今日はとても素晴らしい日でした」



 と、静かに言葉をつむぎだす。


「耳をすませば、たくさんの救いの声が聞こえてきました。世界が“救済”に満ちていました。世界はより正しくなっていきました。この聖なる私のお導きによって……」


 そして、俺のほうを振り返る。


「それなのに、どうして“救済”の邪魔をするのですか――脱走者ごときが?」


「……さすがに、俺の正体は察してるか」


 まあ、それも当然だろう。

 魔物を立ち向かおうとする人間なんて、この世界で1人しかいないのだから。


「かわいそうに……慈悲深い私はとても悲しくお思いです。あなたごときは、せっかく“救済”された者たちを手にかけました。どうして、あなたごときにはそのような残酷なことができるのですか? どうして、あなたごときには同胞の“救済”を祝福することができないのですか?」


「……本気で言ってるのか? この町の人たちを魔物にすることが“救済”だと」


「……? だって、下等な人間ごときとして生きるなんて、かわいそうではないですか」


 セラフィムはそれが当然とばかりに、小首をかしげる。


「ふぅ……かわいそうに。やはり愚かな人間ごときには、正しいことがわからないのですね。しかし、聖なる私はとても寛大であらせられます。あなたごときが自らの愚かさや罪を心から悔い、きちんと私に謝罪をするというのであれば、慈愛に満ちたこの私がお赦しになってあげてもよいでしょう」


 聖母のような慈愛の表情で、セラフィムが告げる。


「上から目線……ってより、もはや雲の上から目線だな、お前」


 おそらく、セラフィムの言うことに嘘はない。

 誇張も、自己欺瞞も、駆け引きも――なにもない。


 セラフィムは嘘偽りなく、心の底の底から、人間を“救済”していると信じている。

 人間はかわいそうな生き物だから、魔物にすべきだと信じきっている。


 ――傲慢。


 人間を超越した存在の、どこまでも純粋無垢な思い上がりだ。



「……人間はかわいそうなんかじゃない」



「はい?」


「勝手に人間を憐れむな。勝手に人間を救うな。むしろ、救済が必要なのは、お前のかわいそうな頭のほうだろうが」


「………………」


 セラフィムは少し驚いたように沈黙する。


「もしかして、あなたごときは……聖なる私に喧嘩を売っているのですか?」


「ああ、そうだ。お前が“救済”を止めるつもりがないっていうなら――俺はこの“救済”に反逆する」


「ふふふ、反逆?」


 セラフィムが、笑う。



「――――家畜風情が、どうやって?」



 ずん……っ、と空気の圧力が変わった。


「この強大すぎる私に対して……たった1匹の人間ごときに、なにができるというのですか?」


「なにができるか? そんなの……決まってるだろ」


 俺はセラフィムの圧力に歯を食いしばって耐えながら。

 手にしていた聖剣の切っ先を、セラフィムへと向けた。



「――お前を、倒すことができる!」



 だん――っ! と床を蹴る。

 それを戦闘開始の合図にして、俺はセラフィムへと接近し――。


「…………ぷっ」


 セラフィムは口元を抑えて笑った。



「お気の毒ですが……あなたごときは、もう死にました」



 その一言とともに――ぱんッ、と。

 胸の奥でなにかが破裂したような感触がした。


「……が、は……ッ」


 全身から力が抜け、前のめりに床に倒れ伏す。


「お告げしましょう。あなたごときの死因は――“心臓破裂”です」


 戯れるように天使が告げる。

 ごぼごぼと口から血があふれ出る。全身の血液が逆流して暴れだす。

 もはや痛みはなかった。

 その代わりに、全身の感覚が急速に遠のいていく。


(な……なにを……された?)


 セラフィムは攻撃の素振りをいっさい見せなかった。

 まるで、そうなることが自然の法則であるかのように、心臓がひとりでに破裂したのだ。


「……再生リーヴ


 意識をなんとかつなぎ留め、治癒魔法をかけてみるが――ダメだ。

 処置の施しようがない。救いようがない。


 ………………死。


 もはや、俺の死は決定づけられていた。

 視界がじわじわと暗転していく。

 世界から、色が、音が、痛みが――消えていく。




「――――【死ノ宣告ゲームオーバー】」




 消えゆく意識の中――。

 死者に手向ける花のように、美しい天使の声が聞こえてきた。


「それこそが、死天使たる私の天恵です。私のありがたきお言葉は、世界の死の運命ルールを決定します。ですから、この私に死を告げられた者は――死にます」


「………………」


「もっとも……もう聞こえてはいないでしょうけれど」


 天使が同情するように言う。


「ああ、かわいそうに……愚かな人間なんかに生まれて、かわいそう。寛大なる私に懺悔すれば、“救済”してあげたものを」


 その言葉を聞きながら、俺の意識は闇へと消えていき……。


 ――ふわり、と。

 その視界の端に、炎の羽根が舞った。



『――コンティニューする?』



 頭の中に、聞き飽きた少女の声が響いてくる。

 俺はにやりと笑うと――。


「……当然だ」


 死力を振りしぼって、その炎の羽根をつかみ取った。

 その次の瞬間――。


 ごぉぉォオォ――ッ! と。

 俺の体から爆発的に炎が噴き上がった。


「なっ!?」


 大聖堂に炎が広がり、周囲はまたたく間に火の海となる。

 燃えさかる大聖堂。その炎の中で――。



「……なに、もう勝った気になってるんだ?」



 俺はゆらりと立ち上がった。


「まだ、戦いはこれからだろうが」


「……っ!? な、なぜ、生きて……!?」


 絶対に殺すことができる天恵。絶対に勝つことができる天恵。

 その力に、セラフィムは絶対的な自信があったのだろう。

 しかし。


「お前が絶対に勝てる力を持っていようが……こっちにも絶対に負けない力があるんだよ」



 ――【輪廻炎生リンネエンセイ



 炎の中から何度でも蘇ることができる天恵。

 “生”をつかさどる不死鳥の、絶対に負けない力。

 気づけば、俺の背中から少女の幻影が浮かび上がっていた。



『ふ、ふふ…………あ……ッははははははは――ッ!』



 少女は笑う。笑い続ける。

 瞳を凶悪に紅く光らせて、唇を残忍に紅くつり上がらせて。


『楽しいわ! 楽しいわ! とっても楽しいわ! こんなに素敵な殺し合いができる日が来るなんて!』


「ま、まさか、あなたは……フィフィ・リ・バースデイ!? なぜ、あなたが人間ごときと一緒に……!? これは“王”への反逆行為ですよ……!?」


『なぜ、って……決まってるでしょう? ただの愉快犯よ』


「り、理解できない……! 正しくない、正しくない……! あなたは間違っています!」


 呆然としているセラフィムに、俺はふたたび剣を向ける。


「わかったか? 俺があきらめないかぎり、俺に負け目はない」


 そうなるのが運命であるように、俺の心臓がまた破裂する。

 しかし、今度は動じない。

 口からごぼごぼと血を吐き出しながら――俺は笑った。



「さあ――――反逆開始だ」


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