第54話 “救済”の始まり



「――セラフィム様、脱走者の殺処分が完了いたしました」


 礼拝堂にて、ルークはふたたびセラフィムの前にひざまずいていた。

 騎士たちが運んでくるのは、血まみれのシーツが2つ。

 そのシーツの包みを解くと、出てきたのは2つの死体だった。


 改めて、運ばれてきた死体を確認するが――間違いない。

 テオと呼ばれた青年と、ミミスケと呼ばれた少女。

 ……だったものだ。

 どちらも喉にナイフを突き立てられ、眠るような表情のまま死んでいた。


「……っ」


 思わず目を背けたくなるが、こらえる。


(これは……自分の罪だ)


 脱走者の殺害は、思ったよりも簡単だった。

 部屋に踏み込み、眠っていた彼らに剣を突き立てただけだ。

 一緒にいた少女の霊の姿が見えなかったが、脱走者ではなさそうだし問題はないだろう。

 むしろ魔物ならば、危害を加えるわけにはいかない。


(……テオさん)


 人間を救うために、勇気を持って魔物に刃向かっていた脱走者。

 かつてルークがなりたいと憧れていた“勇者”のような人間。

 そんな彼が、あっさりと人間に殺されてしまうとは……。


(やっぱり……こんなものなのか、人間は)


 どれだけ努力しても、どれだけ努力しても――。

 結局、人間はレベル1の最弱種族でしかない。

 人間であるかぎり、家畜にしかなれないのだ。

 そういうふうに、世界は創られているのだから。


「…………」


 セラフィムは、しばらく脱走者たちの死体を眺めていたが。

 やがて、つぅぅ……とセラフィムの頬に涙がつたった。



「……聖なる私は今、とても感動なされています」



 天使は感極まったように声を震わせる。


「あの野蛮だった人間たちごときが……! 聖なる私のお導きのおかげで、自らの愚かさを悔い改め、正しいことを行えるようになったのですから……!」


 セラフィムはそう言うと、腰かけていた聖剣からふわりと降り立った。


「おめでとうございます。あなた方ごときは、“救済”の資格を得ました。それでは約束通り、“救済”を始めてあげましょう。さあ、人間ごときよ――正しいことを行いなさい」


「……はっ」


 ルークは立ち上がると、祭壇に刺さっている聖剣の柄に手をかけた。

 穢れなき壮麗な純白の剣。

 この都市に結界を張っている古代遺物――。


 ――聖剣・白夜ノ剣。


 かつて、人間がこの聖剣を天に掲げながら、この都市にいる魔物たちを結界で祓ったという。

 それ以降、聖剣は大地の魔力を吸いながら、この都市に結界を張り続けてきた。


 ――いつか“勇者”が、この剣で人間を救済する。


 そう言い伝えられている聖剣を、ルークは――引き抜いた。



「――結界解除」



 ルークが聖剣を天に掲げながら呟く。

 その直後――ぱりんッ! と。

 巨大なガラスが割れるような騒音が、大聖堂の外から響いてきた。


 窓の外を見ると、きらきらと月光を反射しながら町に降りそそぐ結界の残骸たち……。

 この都市を長年守ってきた結界が今――消滅したのだ。


「さて、これで“救済”に邪魔な結界はなくなりましたね。それでは、聖なる私がお告げになりましょう。あなた方ごときの死因は――“感染死”です」


「……っ!?」


 セラフィムが結界騎士たちを指さした瞬間――。


「あ、ぁがッ……が、がゆいィィ――ッ!」「がゆいがゆいがゆいがゆいかゆいィィッ!」「……ぁ、あぁぐぇェァア――ッ!」


 ルーク以外の騎士たちがもがき始めた。

 床に崩れ落ち、限界まで見開いた目を血走らせながら、がりがりがりがりと肉をえぐるほどに首をかきむしる。その首筋から赤黒いシミが肌をじわじわと侵食して広がっていく。


 やがて、騎士たちの全身が赤黒く染め上げられるとともに。

 痙攣していた騎士たちの動きが、ぴたりと止まった。


 そして――ゆらり、ゆらり、ゆらり……と。

 ふたたび、騎士たちが亡者のように立ち上がる。


 理性や感情を――人間性を失った顔。

 血のように赤黒く染まった肌。血に飢えたように紅くぎらつく瞳。

 肉や骨を食いちぎるのに最適化された鋭い牙。

 そして、その額に刻まれているのは――レベル5の刻印。


「れ、レベルが上がった……!」


 ルークが目を見開く。

 この世界では生まれ持ってのレベルが上がることはない。

 これはまさに、神の奇跡のような光景だった。


「おめでとうございます。聖なる私のおかげで、あなた方ごときは食屍鬼グールとして生まれ変わりました」


 セラフィムが慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


家畜にんげんをやめて、魔物へと成り上がる。それこそが――“救済”。これで、あなた方ごときは自由です。魔物の家畜として生きる必要はありません」


 魔物になれば、もう家畜として生きなくていい。

 魔物として自由に生きられる。

 もう魔物に怯えることなく――テオが語っていた外の世界にだって行くことができるのだ。


「グールの天恵は――【噛身憑鬼カミツキ】。噛んだ相手をグールにすることができる力です。その魔物の力をもって、他の人間たちを“救済”しなさい」


 グールとなった結界騎士たちが雄叫びを上げ――脱走者たちの死体に群がった。

 獣のように、ばりばりと骨ごと屍を食らい始める。


「……セラフィム様、僕の“救済”は?」


 残されたルークが問うと。


「安心なさい。あなたごときには、特別な“救済”を贈りましょう」


 セラフィムの純白の翼が、ふわりとルークの首をなでるように――。

 一閃した。


「…………ぇ?」




「――あなたごときの死因は、“斬首”です」



 ぷつり……と。

 ルークの喉元から赤い血の線が走り――。

 そこから、ぶわっと紫炎が噴き出す。

 首筋から顔にかけて、ぞわぞわと黒い模様が浮き上がる。


「あ……かッ、ぁあ……ッ!」


 ルークが喉元を押さえてうめく。

 痛いのではなく、苦しいのではなく――快楽に圧し潰されそうだった。


「……ち……力が……力がが……ッ!」


 力がみなぎる。あふれる。こぼれる。爆発する。抑えきれない。

 自らの力の奔流に意識が――人格が飛びそうになる。


 これまでの人間としてのルークの努力を嘲笑うような力。

 人間の身では足元にすら到達できなかった強さ。

 それが、あまりにもあっさりと手に入ってしまった。


「……ははッ……あははは……ッ」


「どうですか、生まれ変わった気分は?」


「……最高の気分です、セラフィム様」


 これだけの力があれば、この町を守ることができる。

 外の世界にだって自由に行くこともできる。

 人間を救済する“勇者”にだってなることもできるかもしれない。


「あなたごときの種族は、首無し騎士デュラハン。その天恵は――【首狩騎士ヘッドハント】。首を斬った相手を配下の不死魔物アンデッドにできる力です。その力をもってグールたちを統率し――この都市の“救済”を完遂しなさい」


「……はっ!」


 ルークを先頭に、魔物となった結界騎士たちがひざまずく。

 魔物から人間を守るための結界騎士たちは今――。

 人類の脅威へと、成り上がった。



「――さあ、“救済”の始まりです」



 その一言とともに、魔物たちが一斉に結界都市へと放たれた――。


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