第55話 平和の終わり
大聖堂から脱した俺たちは、夜の結界都市を足早に歩いていた。
月灯りに照らされた町には、いまだに勇者祭の仮装している人々が多く出歩いている。
いや、むしろこういう祭りは、夜中ほど盛り上がるものなのだろう。
町中のランタンや篝火が灯され、あちらこちらから笛や太鼓の音楽が聞こえてくる。
「……とりあえず、不審がられてる様子はないな」
「……なめるなです。ボクの擬態が、人間ごときにバレるわけないのです」
結界騎士の服装に化けたミミスケが、ふふんっと鼻を鳴らす。
まあ、得意になるだけのことはある擬態能力だ。
他に騎士たちの姿もないあたり、ミミスケの能力で作った死体が偽物だとバレた様子もない。
『とりあえず、何事もなく街から出られそうね』
「“何事もない”……とても心に染み入る言葉なのです。ぜひ、今月のスローガンにしましょう」
「いや、最後まで油断はするなよ。俺たちは目立つんだからな――」
『はっ! これなら、1匹ぐらい人間をテイクアウトしてもバレないんじゃないかしら?』
「俺の話聞いてたか?」
『そういえば、この町を出てからどうするの?』
「ひとまずはレベル上げをしないとな」
『ま、いきなり七公爵が派遣されてきたってことは、テオのことをかなり警戒してるってことでしょうしね』
「この辺りにはサイクロプスみたいな追っ手が放たれてるらしいし、まずはそいつらを片っ端から倒すとするか」
サイクロプスのことを思い出す。
レベル60台の追っ手は強力だが、こちらのほうがレベルは上だ。
逆にそれぐらいのレベルの敵が相手でなければ、レベル上げがしづらい。
『どのみち、今までまっすぐ進みすぎて居場所がバレてきてるものね。いったん迂回するのも悪くはないと思うわ』
「……性には合わないけどな」
そんな話をしながら、市門前の広場までたどり着いた。
浮かれている人たちの頭上に、そびえ立つ市壁が見える。
その先にあるのは、都市をすっぽりと覆っている結界の障壁だ。
『ふっ、勝ったわね。ここまで来たら脱出したも同然よ』
「えへへ……ボク、この町から出たらいっぱい寝るのです」
「不吉なフラグを立てるな」
とはいえ、ここまで来れば脱出はできるだろう。
あとはどうやって壁を超えるかだ。
まだ周囲には人の目が多い。
今ここでよじ登れば、さすがに目立ってしまう。
それはできれば避けたいが……。
などと考えていると。
「なぁ……なんか、いつもより“救済”が遅くないか?」「結界騎士の人たちが全然見えないけど……」「いつまで魔物の仮装をしてればいいんだ?」
「……ん?」
不安そうな人々の声が聞こえてくる。
「……なにかトラブルか?」
『ま、注意がそれてるならチャンスじゃない』
「それはそうだが……」
と、俺が言ったときだった。
――みし、みしみし……と。
ふいに小さな崩壊の音が、頭上から聞こえてきた。
「……ん?」
音のしたほうを見上げて気づく。
この都市を覆っているドーム状の結界に――黒い亀裂が走っていた。
「な……!?」
みし……みし、みし、みしみしみしみし……!
音はだんだんと激しさを増していき、そして――。
――ぱりんッ! と。
都市を覆っていた結界が、砕け散った。
粉々になった結界が、ガラスの雨のように月光に瞬きながら町へと降り注ぐ。
「…………え?」
誰もが唖然として、その光景を見上げていた。
この都市を長年、魔物から守っていた結界が――消滅したのだ。
『ん……? 鬱陶しい結界が消えたわね』
「……あっ、体が軽くなったのです」
と、うれしそうな声を出すのは、魔物2匹だけ。
他の人間たちは戸惑うようにどよめきだす。
「結界が壊れた……?」「なにがあったんだ?」「これ、もしかしてまずいんじゃないか?」「い、いやいや。どうせ、すぐに結界騎士たちが戻してくれるさ」
まだ楽観的な市民たち。
平和ボケしているおかげか大きなパニックは起きていない。
おそらくは――
「……っ! なんだ、あれ……」
先ほどまでいた大聖堂のほうから、強大な魔物の気配がした。
いや、気配なんて生やさしいものではない。
これは――“力”だ。
隠しようもないほどの膨大な力が、圧となって遠くにいる俺たちにまで襲いかかってくる。
「……セラフィム、か? さっきまで、こんな気配はなかったが……」
『たぶん結界を利用したのね。あえて結界の中心部にいることで、自分の力を薄めていたのよ。あなたから隠れるために……』
「俺が死んだと思ったから、もう隠れる必要はないってことか?」
一応、納得はできる。
「と、とにかく、愚かな人間どもが混乱してる隙に逃げましょう……! あれは、ちょーやばいやつです……!」
「ああ……そうだな」
足早に広場を通り抜けようとする。
セラフィムのところに引き返したところで、なにができるわけでもない。この町を戦場にしてしまうだけだ。
しかし、なぜだろうか……。
ここまできて嫌な予感が、俺の足を止める。
そして、その予感は――当たってしまった。
「あっ、結界騎士たちが来たぞ!」
その声に振り返ると、大聖堂のほうからやって来る結界騎士たち。
市民たちがその姿を見て、安心したように笑いだすが。
しかし……様子がおかしい。
なぜだか、人間味のようなものが感じられなかった。
その雰囲気はどちらかというと――。
「おい、結界騎士さん! いったい、どうなってるんだ?」
と、そこで。
不機嫌そうな男が騎士たちにつめ寄った。
騎士たちはうつろな目で、男をじっと見つめると。
にぃぃぃ……と頬が裂けんばかりに、笑う。
その口内に白く光るのは――牙。
「――ッ! 逃げろッ!」
「んぁ? お前さん、なに言って……?」
俺がとっさに駆け寄るも……間に合わなかった。
騎士たちが男に飛びかかり、牙を突き立てる。
ぶしゅぅう――ッ! と。
冗談みたいに盛大に血飛沫が上がり、男がその場に崩れ落ちた。
「………………は?」
市民たちは、なにが起こったか理解できていないのだろう。
誰もが固まって、倒れたまま痙攣している男を眺めていた。
「な、なにこれ……?」「どうなってるんだ……?」「パフォーマンス?」「血……血が出てないか?」
そんな市民たちの視線の先で。
やがて、男は何事もなかったかのように、ゆらりと起き上がった。
「あ……無事だったんだな」「なんだ、驚かせやがって」
そう、人々がほっとしたのもつかの間。
「ぅ、ゔぁぇッアァ――ァァッッ!!」
立ち上がった男が、白目を剥きながら獣のように咆哮した。
あきらかに異常な様子だった。
闇夜のように黒く染まった肌。
紅くぎらついている瞳。唇からはみ出た牙。
そして、その額には――レベル5の刻印。
『――
「……ああ」
噛んだ人間をグールに変えることができる魔物だ。
グールとなった結界騎士たちは、市民たちに視線を向け――舌なめずりをした。
そして――。
ぞろぞろと、ぞろぞろと、ぞろぞろと……。
紅い目玉を“食欲”に光らせながら、グールの大群がにじり寄る。
人々はいまだに呆然と固まっていたが。
「…………魔物だ」
やがて、ぽつりと誰かが声を震わせた。
「魔物が……魔物が出たぞぉぉお――ッ!?」
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