第28話 初めての依頼


 セイレーンの命令から脱したあと。

 俺たちはいったん通りから離れ、人目――というより、魔物の目がなさそうな路地裏へと移動した。


 青年は近くにあった椅子へと縛りつけて動けないようにする。

 そうして、青年はようやく落ち着いたらしいタイミングで、先ほどの言葉について尋ねてみた。


「で、妹を助けてくれってどういうことだ?」


「……今朝、妹がセイレーンにつれて行かれたんだ」


 青年が拳を握りしめながら語りだす。


「君も見ていたからわかると思うけど、セイレーンの声には誰も逆らえないんだ。彼女に命令されると、なんというか……僕らは自動的になる。だから、僕らは魔物に反抗することも、魔物から逃げることも、自殺することさえできない。セイレーンに命じられるがまま、彼女の愛玩動物としての暮らしを強いられているんだ……」


 青年が通りのほうに目を向ける。

 そこには、列をなして歩いている人間たちがいた。


 たしかに、誰も自分の意志で動いている様子はない。

 先ほど自分の首を握りつぶしたハーピィにしてもそうだ。

 これが、フィーコが話していたセイレーンの天恵ギフト――【絶対王声】の力なのだろう。


 なるほど……この町の人間の目が死んでるわけだ。

 いかに見栄えのいい生活だろうと、それが全て自動的ならば……それは一種の地獄みたいなものだ。


「それと……」


 と、青年は一呼吸置いてから続けた。


「……時々、セイレーンの気まぐれで、僕らの中から“歌鳥”が選ばれる」


「“歌鳥”?」


「ああ、そうか。外の人間には通じないのか。なんと説明したらいいか……」


『とりあえず、この都市特有の生贄のとり方でしょう?』


 フィーコが焦れったそうに助け船を出す。


「生贄っていうと……俺がいた町の“投票”みたいなものか」


『そうね。というより、管理者かいぬしの魔物がひねくれてなければ、だいたい“投票”だと思うわ』


「生贄か……そうだね、まさにその通りだ」


 青年が忌々しげに呟いた。


「“歌鳥”は、綺麗な悲鳴を出しそうな人間の中から選ばれる。そうして選ばれた人間は、死ぬまで鳥かごに入れられて、セイレーンに悲鳴を聞かせるための愛玩動物ペットにされるんだ」


「ああ、なるほど。ここの人間がやけに声を出さないのは……」


「そう、日ごろから魔物に声を聞かれないようにしてるんだ。万が一にも、『綺麗な悲鳴を出せそうだ』なんて思われないようにね」


『あれって、ただ生贄になるのを怖がってただけなのね』


「あ、ああ」


 フィーコの声に、青年がぎこちなく頷く。

 いかにも魔物っぽいフィーコの前で声を出していいのか、まだ判断しかねているところもあるんだろう。

 それはそうと、だ。


「つまり、その“歌鳥”に選ばれたお前の妹を助けてほしいってことだな」


「……ああ」


 青年がうつむく。


「実は、僕自身も助けに行ったんだ。監視も甘かったし、セイレーンは人間のオスメスの区別もついてないから、こっそり僕が妹と入れ替わればバレないと思って。だけど……この町の人間にかけられている『魔物に逆らってはいけない』という命令のせいで途中で動けなくなった。そこでハーピィたちに見つかって……あのざまだよ」


 自嘲気味に笑う。


「だけど、外から来た人間なら……セイレーンの命令の影響はほとんどない。魔物たちは人間が反抗するなんて思っていないから、妹につけられている監視も甘いんだ。まだ妹が“歌鳥”にされるまで時間がある……だから、それまでに僕と妹を入れ替えてほしい」


「…………」


「こんなことを外の人間に頼むは筋違いだとわかっている。あまりにも危険すぎる。それでも、お願いだ…………妹を、助けてくれ」


 そして、青年が唇を噛みしめながら、深々と頭を下げた。

 その血が出そうなほど噛みしめられた唇から、その白くなるほど握りしめられた拳から、その震える背中から……彼がどれだけの覚悟をしているかわかった。


 魔物にとらわれ、“歌鳥”にされることへの恐怖がないわけではないのだ。

 それぐらい妹は大切な存在なのだろう。

 だが……。



「――断る」



 俺は即答する。

 青年はしばらく黙っていたが。


「……そうか……そうだよね」


 やがて力なく笑った。


「いや、いいんだ……勝手に希望を持っただけで、本当はこうなることが当たり前だったんだから」


「そうじゃない。俺が断ると言ったのは、お前のクソみたいな作戦のことだ」


「え……? でも、妹を助けられる方法なんて、他に……」


「いや、あるだろ――“セイレーンの討伐”って方法がな」


「……っ!?」


「簡単な話だ。セイレーンさえいなくなれば、お前も妹もどっちも犠牲にならずに済む」


 結局、この都市に来た目的をそのまま果たせばいいだけだ。


「む、無理だ。セイレーンは強すぎる。レベルだって65もあるんだぞ……?」


『わたしも、やめたほうがいいと思うわよ?』


 黙っていたフィーコが口を開いた。


『セイレーンの天恵ギフトの話はしたわよね?』


「レベルが下の相手に対する、絶対的な命令力だろ?」


『ええ。セイレーンのレベルが65に対して、あなたのレベルはまだ61。この町にいるハーピィたちをみんな倒しても、セイレーンのレベルにまでは達しないわ。ただでなくてもレベル差があるうえに……今のあなたではセイレーンに命令されただけでおしまいよ』


「だろうな」


『肉体が死ぬだけなら、わたしの【輪廻炎生リンネエンセイ】の力があればなんとかなるけど、精神操作まではどうにもならないわ。セイレーンを倒すにしても、外でレベルを上げてからにしたほうがいいんじゃないかしら?』


 ずいぶんとぺらぺらと話してくるな。

 たしかに、もっともな意見だ。反論なんてできない、が……。


「フィーコ、俺を試そうとしても無駄だ」


『あら、なんのことかしら?』


「とぼけても無駄だ」


 フィーコを睨みつける。


「……俺は、ここで逃げるような生き方はしていない」


 セイレーンを倒さないのならば、青年か妹のどちらかを犠牲にすることになる。

 たとえ、この程度の悲劇はいくらでも転がっているのだとしても。

 魔物に好き放題させて、まだ助けられる誰かを見捨てて……そうして、自分に失望するのはもうこりごりだ。


 なにより、今はもう戦うための力がある。

 そして、この世界で魔物を倒せる人間は――俺だけだ。

 逃げるが勝ちなんて知るか。

 ここで戦わなかったら……俺は一生、自分を許せなくなる。


『……へぇ』


 フィーコがしばらく俺を品定めするように観察してから。


『そうこなくっちゃ!』


 と、顔を一気にほころばせた。


『それでこそ、わたしが見込んだ人間だわ。そうよね……あなたは、このわたしから逃げなかったんだもの。もしも、セイレーン程度の相手から逃げるようなら……そんなつまらない人間は、この場でわたしが食べてやってたわ』


「やれるもんならやってみろ。また一方的に殺し続けてやるよ」


「……え? え?」


 青年が1人、状況についていけてないように混乱していた。


「えっと、さっきから気になってたんだけど……2人は、いったいどういう関係で?」


「敵だ」『敵よ』


「……そのわりに、仲が良さそうですが」


「そんなことはない」『そんなことはないわ』


「またハモってる……」


 青年がわずかに苦笑した。


「なんだか、不思議と……君たちなら、セイレーンも倒してしまいそうな気がするよ」


「君たちじゃない。セイレーンを倒すのは、俺だ」


『わたしが力を貸してあげてもいいのよ? 死んじゃったら困るでしょう?』


「いや、セイレーンとは1人で戦う。お前には、他にやってもらいたいことがある」


『へぇ……?』


「ともかく、お前の妹を助けるという依頼は――この俺が引き受けた」


 俺はそれだけ言うと、青年に背を向けた。



「――あとは、俺に任せろ」



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