第64話 偽勇者から逃げようとしてみた(聖王視点)
「…………バ、カ……な……」
聖王ネフィーロ4世は、大聖城の鐘塔から全てを見ていた。
投擲されたなにかによって、黄金の爆風が蹴散らされ、雲をも突き破られた。
冗談みたいに晴れわたった空から、憎らしいほどまばゆい光が差し込んでいる。
その光がまるで、今起こったことは嘘ではないと告げてくるようで……。
数秒か、それとも数分か。
聖王は呆然としたまま立ち尽くすことしかできなかった。
「ぁ……あ……ありえん! ありえん……ありえんありえん……!」
認めたくない光景から逃げるように、聖王は螺旋階段を駆け下りる。
「……あれが勇者の力? バカを言うな……!」
聖王はけっして、根拠のない自信を持っていたわけではない。
誰よりも神学の研究をしてきた。
あらゆる文献はそらんじることができるし、全ての禁書も読み尽くしている。闇に葬り去られた禁忌の神術も、神話の裏側にある正当化された侵略の歴史も、全て頭に入っている。
だからこそ、知っているのだ。
……勇者がそれほど強くないということを。
いくら勇者が強いとはいっても、少し強い魔物に苦戦するレベルの個人にすぎない。
あんなのは、まるで……。
「……神の御業ではないか」
これが、神の意思だとでもいうのか……?
ありえない。神が愛しているのは自分のはずだ。
聖王は白髪を振り乱して、自分の執務室へと向かう。
かなり異様な様子だったのか神官たちの視線が集まるが、外聞など気にしてはいられない。
もうすぐ、ここにあのでたらめな偽勇者が来るはずだ。
……早く逃げなければ、殺される。
「どこへ行くのですか、陛下?」
と、心配したように、ひとりの神官が近づいてきた。
先ほど報告に来た者だ。
高位の神官服を着ているということは、聖王の洗脳下にある者だろう。
「執務室だ! ……う……っ!?」
ふいに目眩がして、ふらつく。
思いがけない光景を見たストレスのためだろうか。
「大丈夫ですか?」
気づけば、神官に支えられていた。
「……大丈夫だ。問題ない」
聖王がふらふらと体勢を立て直して、歩きだそうとすると。
「執務室はこちらですよ?」
と、神官が言う。
「ちっ!」
大聖城内で道を間違えるとは。
どうやら、自分が思っている以上に取り乱しているらしい。
気が急いているのか、やけに執務室までの道のりも長く感じる。
やっとのことで執務室に戻ると、聖王はすぐに棚や机をひっくり返して、金目のものや秘密文書を鞄につめ始めた。
「なにをしているのですか?」
「荷物をまとめているのだ!」
「なぜ、荷物を?」
「そんなこともわからんのか!」
いらいらする。ただでなくても時間がないというのに。
神官をむやみやたらに噂漬けにした弊害か、聖王に絶対的に従う反面、自分で考える力がなくなったのだろう。
「逃げるのだよ! この聖都を放棄するのだ! このままでは、私は無事では済まん! こうなったら、私だけでも助からねばならんのだ!」
「しかし、今、陛下が……上に立って指揮をする人間が逃げたら、民はどうなりますか?」
「知るか! あんな家畜ども! 私が逃げる時間を稼いでくれればそれでいい!」
そう怒鳴ったところで、聖王は天啓にいたった。
「そうだ……! おい、大聖城の地下にまだ、神弓兵器の残骸があったな!?」
「神弓兵器というと、市民から魔力を吸収して造っていた大量破壊兵器のことですか?」
「ああ、それだ!」
言葉遣いが気になるが、まあいい。
どうせ、他に聞いている者もいまい。
「偽勇者どもが聖都に入ったら……それを全て起動しろ! あれはもう飛ばすことはできんだろうが、街を吹き飛ばすぐらいの爆発は起こせるだろう。それと他の要塞にまだ神弓兵器があるのなら、それも聖都に撃ち込むように指示を出せ!」
不意打ちならば、あのでたらめな偽勇者にも効くはずだ。
もしもこれで偽勇者たちが死んだのなら、全てを偽勇者のせいにして戻ればいい。
「そこから、またやり直すのだ……」
……大丈夫。大丈夫。大丈夫だ。
老い先は短いだろうが、
「しかし、そんなことをすれば民衆からたくさんの犠牲者が……」
「犠牲者……? 家畜が“犠牲者”になどなるものか! やつらは私に服従するために生まれてきたのだ! 私が命じれば、やつらはいつものように喜んで地獄に堕ちてくれるだろう! それがやつらの命の意味だからだ!」
聖王が怒号を放った、その瞬間――。
「――なるほどなるほど~♪ 以上、聖王陛下からのありがた~いインタビューでしたぁ♪」
神官がいきなり壁のほうを向いて、おどけたような声を出した。
今までの真面目な調子との落差に、無礼だと怒るよりも先に……戸惑う。
「なに……を?」
「そーゆーことのようですがぁ……みなさん、どうでしたかねぇ?」
「おい、なにをしている、貴様!?」
気でも触れたのかと思ったが……違う。
なぜだか、とてつもなく嫌な予感がした。
「きひゃひゃ♪ これは失敬♪」
神官がくるくると回りながら、ポージングを取る。
「――イッツ☆ショータイム♪」
そんな決めゼリフとともに。
聖王が見ていた景色から、べりべりとなにかが剥がれ落ちた。
それは……虹色の蝶だった。
景色に擬態していた蝶たちが、一斉に飛び立つ。
その先にいたのは――。
「…………なっ」
――民衆だった。
気づけば、聖王は執務室ではなく、いつも演説していた演壇の上にいた。
目の前には、聖都市民が全て入りそうなほどの広場。
そのスペースを埋め尽くすように、民衆が集まっている。
なぜか、戦場に出ていたはずの兵士たちもいる。
そして、その全ての人間が……聖王にブーイングを浴びせかけていた。
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