第62話 やり直したいと願ってみた(聖女視点)


『――くわッははははッ! そうだ! 逃げ惑え、人間ども!』


 竜王ニーズヘッグは、元眷属の骨蛇たちとともに聖王軍と戦っていた。

 戦っていたというより、厳密には壁となって威嚇しているだけだが。

 それでも。


「なんなんだよ、この力……!」「こんなの聞いてないぞ!」「嫌だ! 無駄死には嫌だ!」


 聖王軍が散り散りに逃げていく。

 なんでも、この聖王軍とやらは、死を恐れないとの触れ込みだったが……。


『――無意味無意味無意味ィッ! 圧倒的な力の前では、全てが無意味ッ!』


 ニーズヘッグはひとしきり高笑いをし……。

 それから、ふと冷静になった。


『……というか、我……やはり、けっこう強いよな……?』


 でたらめな主従のせいで自信を失っていたが。

 竜王ニーズヘッグは、世界を滅亡まであと一歩までいった神話の竜なのだ。

 そう、本来はこんなところでくすぶっている器ではない。


「……おにーちゃん、日傘ずれてる」


 そう……本来は幽霊の小娘の傘持ちをしているような竜ではないのだ。


『……ぐ、ぅ……』


 しかし、逆らえない。

 冥王の力によって生き返っているため、ニーズヘッグが命をどう使うかさえも冥王の手のひらの上なのだ。


「…………ふわぁあ……」


 冥王が眠たげに目をぐしぐしこすりながら、念力で浮かべた絵筆で画布キャンバスに血を塗りたくる。

 なにやら、戦場の光景をスケッチしているらしい。

 こんな小娘が強いというのは信じがたい。この冥王だけならばニーズヘッグでも反逆できるのでは、などとも思ってしまうが……。


『……ん? ……んんんッ!?』


 ふと、ニーズヘッグの視界に、異様な光景が映った。


 空に埋め尽くす、おびただしい数の――――死体。


 まるで天から見えない糸で首を吊っているかのように、敵兵たちの死体が浮かんでいる。


『……な……なんだ、あれは』


「……?」


 冥王はニーズヘッグの視界を目で追ってから。

 こてん、と不思議そうに首をかしげた。


「……あれって、どれ?」


『は……? いや、浮かんでるだろう、人間の死体が』


「……それで?」


『え、いや……な、なぜ、あれだけの死体が浮いているのだ?』


「……? だって、そのほうが運びやすいし……なにより、美しいでしょう?」


『…………あ、はい』



「……くすくす……変なおにーちゃん……」



 え……怖い。

 冥王ノーチェはこの場から動くこともなく、お絵描きのついでというように、当たり前のように死者を量産したのだ。

 ニーズヘッグはもしかしたら、この冥王ぐらいなら倒せるかもしれないと思っていた。

 だが、今……理解した。

 この冥王もまた、理解不能な存在であることを。

 あのマティーとかいう人間と同じように、あまりにも次元が違いすぎる。


『しかし……なぜ、それほどの力の持ち主が、人間の下についている?』


「……? ノーチェは弱いよ?」


 冥王が、戦場の一角を指さす。

 そこでは――。



「――ふははははッ!  槌術Lv10――【ガイアインパクト】!」



 銀髪の人間が聖剣の台座を地面に叩きつけるたびに、隕石でも降ってきたかのように大地が縦揺れし、巨大なクレーターがうがたれていく。

 その衝撃で、周囲にいた人間が木の葉のように吹き飛ばされていた。

 また別のところでは――。



『――出でよ~、【スライムワールド】! しばらく、お沈みください~!』



「ぎゃあぁああッ!?」「なんだこれ、スライム!?」「飲み込まれる!?」


 メガホン片手に、平原に広大なスライムのプールを作っているメイド。


『………………』


 ……あれ? 地形って、こんなに当然のように変わるものだったか……?

 よく見れば、聖女の護衛をしているエルフ……ニーズヘッグを封印した魔術師にそっくりなエルフも、当然のように空間を操っている。

 あれは、たしか精霊王の権能だったはずだ。

 そもそも、以前に見たときには貧弱だったはずのエルフの魔力が、今ではニーズヘッグよりも強くなっているように見える。


『…………あれ? 我って、けっこう弱い……?』


 自信がなくなってきた。

 もはや、竜王ニーズヘッグ一強のときとは時代が変わったらしい。

 さすがに、変わりすぎだと思うが……。

 と、そこで。


「……はぁ……残念だわ」


 ふと、冥王が憂鬱そうに呟いた。


『残念? なにがだ?』


「……え? だって……」


 冥王が当たり前のように言う。



「……この舞踏会では、誰も死なないもの」



『ぶ、舞踏会? いや、それよりも、すでに我もドン引きなぐらい死んでるが……』


「……? でも、お父様がそう言ったから、そうなるのよ?」


 ダメだ……わけがわからない。

 そうニーズヘッグが首をひねっているときだった。


 にわかに戦場がざわめきだした。

 怒号や悲鳴とは違う、戸惑いの声だ。

 気づけば、誰もが戦いの手を止めて、空を見上げていた。


『…………?』


 ニーズヘッグもつられて見上げ――絶句する。

 幾筋もの光が、空を駆けていた。

 まるで、黄金の流星群。

 しかし、ニーズヘッグはすぐにわかった。

 その流星のひとつひとつが、強大な魔力を帯びているということが……。



   ◇



 聖女ラフリーゼは、未来が怖かった。

 いつも予知で見る未来は、最悪のものばかりだったからだ。

 それでも、正しい選択肢を取り続ければ、未来はきっといいものになると信じていた。

 力も勇気もない自分は、勇者になることはできないけれど。

 優しくて正しい初代聖女様のようにもないけれど。

 それでも、ラフリーゼなりに未来を変えるために戦い続けてきたのだ。

 全ては……このような光景を見なくて済むように。



「……ぁ……あれが、神弓兵器アガナ・ベレア……」



 天駆ける黄金の流星群。

 それはまるで神の奇跡のようで、不覚にも綺麗だと思ってしまった。

 しかし、ラフリーゼは知っている。

 あの流星のひとつひとつが、人間の造りだした巨大な銀の矢であることを。

 広範囲を更地に変える爆弾であることを。

 優しくなりたかった少女の力が生み出した、未来兵器であることを……。


 ……皮肉だろうか。

 苦痛なく一瞬で、地上の命を吹き消すことができることから。

 あの大量破壊兵器は――。



 ――優しい矢アガナ・ベレアと名づけられた。



「あ……ぁあ……」


 涙で視界がにじむ。

 白くぼやけた視界の中で、幾筋にもきらめく流星の群れ。

 それは、予知で見た景色と、寸分違わず同じものだった。


「……この景色……だったんだ」


 この先の未来をラフリーゼは知っている。

 上空で流星が光り輝き、地上は爆炎でなぎ払われるのだ。

 そして、あとに残るのは――破滅のみ。


「あれって、神弓兵器だよな……」「なんで、俺たちに向かって……?」「俺たちごと、始末するつもりなのか……?」


 聖王軍もざわめきだす。

 事前に通達されていたわけでもなかったらしい。

 ……罠、だったのだ。

 気づかぬうちに、ラフリーゼたちはこの地へとおびき寄せられていたのだろう。

 戦場となっているこの辺りの荒野は、もともと神弓兵器の実験に使われていた土地だ。神弓兵器を撃ち込むには最適の地。

 聖王は、ここで聖王軍をおとりにして、自分たちをまとめて始末するつもりだったのだ。


「……【空間操作】!」


「むぅぅぅ!」


 ミコリス姫がとっさに結界で流星を抑え込み、メイドが口から光線を発射して流星を消滅させていく。


「…………すごい」


 人間とは思えない力。

 おそらく、彼女たちは世界最高レベルの実力者なのだろう。

 流星がみるみる数を減らしていく。


 だけど……足りない。


 これほどの人たちでも、空を駆ける流星を全て消し去ることはできない。


「うぅ……喉がいだいでず……」


「ダメ! 間に合わない! マティー!」


 ミコリス姫が悲鳴のような声を上げた。

 やはり、未来は……変えられなかった。

 もはや、この先の未来にあるのは破滅だけ。


 ……これは罰なのだろうか。

 未来を変えようなどと思ってしまった傲慢な人間への。

 もしも、この破滅の未来をリセットして、過去へと戻れたら……。

 そう願わずにはいられない。

 次はうまくいくという保証がないとしても。

 たとえ、それが神に背くような罪深い願いだとしても。




「…………やり直したい」




 ……流星に、願う。


 しかし、そんな少女の願いすらも嘲笑うように。


 ……星の雨は降り注ぐ。


 そんな最期の景色は、とても綺麗で……。

 誰もが戦いを止めて、静かに空を見上げていた。


「…………おしまいだ」


 ふと、誰かがぽつりと呟いた。

 それから、その人は続けて。




「――――とでも、思っているのだろう?」




 と、場違いな笑い声を出した。


「……え?」


 視界がにじんでいて、その人の顔はよく見えない。

 それでも、わかった。

 目の前にいるのが誰なのかを。

 それは台座のついた聖剣をかついだ青年……。


 勇者になれなかった証をたずさえる――偽物の勇者だった。


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