第3話 庶民になってみた

「……ふむ、こんなものか」


 ラスボスをやめた翌日。

 俺は朝から、服屋の姿見の前に立っていた。

 鏡に映っているのは、庶民服をすらりと着こなした銀髪の美青年だ。

 変装のために長かった銀髪をばっさり切り、顔を隠すための仮面も取り、服装も皇帝系ファッションから着替えたのだが……。


「わっ、よくお似合いですね、お客様!」


「くくく……当然だ」


 俺はラスボスだけあって、『レジノア』の中でもとくにキャラデザに力が入っていたからな。

 魅力値も高いし、手足も長いため、どんな服を着てもよく似合う。


 とはいえ……魅力値が高すぎるのも考えものか。

 見れば、周囲にいる客の娘たちが、こちらを見ながらひそひそ話をしていた。顔を向けると頬を赤らめて、きゃあきゃあと黄色い声を上げる。

 人生初のモテ期到来だが……一応、これから失踪しようとしている身であるし、目立ちすぎるのはよくない。

 顔を隠せるよう、フードがついたマントを手に取る。


「店員よ、このマントも買っておこう」


「はい、合わせて1000シルになります」


「む……」


 そういえば、自分で買い物をするのが初めてだから貨幣の価値がわからない。財政なんかも官僚に丸投げしていたからな……。

 たしか、『1シル=100円ぐらい』とゲーム雑誌の開発者インタビューに書いてあったか。とすると、1000シルは10万円ほどか。


「とりあえず、これで」


 大金貨1000枚を、どんっと出してみる。

 城から出る前に、金庫から持ち出したものだ。この貨幣しか持ってないので、これで足りないと言われたら困るが……。


「えっ、今どこから……? というか、大金貨!?」


 店員がぎょっとしたようにのけぞった。


「お、お客様、困ります!」


「む……足りなかったか? ならば、倍でどうだ」


「いえ、多すぎるんです! 大金貨1枚でも服とマント10着ずつは買えますよ!」


「ふむ、そうなのか」


 こんな小銭みたいなものに、ずいぶんと価値があるらしい。


「では、大金貨1枚で買えるだけの服と下着を用意してくれ」


「は、はい!」


 なんだかんだで、いい買い物ができたな。

 初めての買い物だったから、つい大人買いをしてしまった。


「あの、こちらで大金貨1枚分の服となりますが」


「大義であった。シャドウハンド、収納してくれ」


 受け取った品物を、ぽいっと足元の影に投げ入れる。すると、影から黒い手がわらわらと生えてきて、ずぶぶぶ……と品物を影の中に引きずり込んだ。

 シャドウハンドは“人間を影の世界に引きずり込む魔物”として知られているが、その【影隠し】スキルは物を収納するのにも使うことができる。自分の影に宿らせておくと、いろいろと便利だからおすすめだ。

 元ラスボス流の生活の知恵だな。


「あ、あれ、商品は……」


影の世界エコバッグに収納した」


「は、はぁ」


 会計も無事に終わり、俺は服屋を後にする。

 それからしばらく、ぶらぶらと帝都ゴフェルを散策してみた。

 いつもは城から見下ろすだけの景色だったが……その景色の中に自分がいるというのは、なんとも不思議な感覚だ。


 帝都の大通りを見て回ると、どこもお祭りムード一色だった。あちこちで花吹雪が舞い、どこからともなく陽気な音楽が流れてくる。そのリズムに合わせて、人々が笑顔で踊っている。ちょうど『レジノア』のエンディングで見たような光景だ。

 魔帝メナス死亡の報を受けて、市民たちが浮かれ騒いでいるらしい。


 まさか、その魔帝メナスが街を普通に歩いているとは、誰も思うまい。

 まあ、今の俺の姿を見たところで、魔帝メナスだとわかる者もいないだろうが。ほとんど人前に出たことはなかったし、役人や貴族の前でもいつも仮面をつけていたからな。


 とはいえ、ここまで俺の死を喜ばれると、さすがにへこむが……まあいい。

 俺は自由に生きるためにラスボスをやめたのだ。

 ならば、存分に楽しいセカンドライフを送らなければ。

 そう思いつつ、近くにあった屋台に目をとめる。


「おい、店主よ。その『キラキラかわいい☆天使のイチゴクレープ 美味しいよ!』とやらを買おう」


「え? ああ、イチゴクレープな。まいど!」


 屋台でクレープなる甘味を買ってみた。

 こういうジャンクな料理は今まで食べたことがなかったが。


「む……! おい、なんだこの料理は! シェフを呼べ!」


「し、シェフ? クレープを作ったのは、俺だが……なにか問題が?」


「問題ありまくりだ! なんだ、この美味なるものは! 褒めてつかわす!」


「は、はぁ……」


 改めてクレープにかぶりつくが、やはり俺的にクリティカルヒットな味だ。

 クリームの甘さとイチゴの酸味のシンプルな調和が、舌の上にがつんと来る。

 城で出てくる甘味よりも断然うまい。まあ、城の料理は見栄え重視で、味は二の次だったからな。その味というのも、純粋に美味しいものより珍味がもてはやされている感じだったし。


「くくく……気に入ったぞ。イチゴクレープ100個、追加で買ってやろう」


「えっ、100個……?」


 本日2回目の大人買い発動だ。

 買い物とは楽しいものだな。こんなことなら、もっと早くラスボスをやめていればよかった。


「ほら、グラシャラボラスも食うがいい」


 透明化させている俺の愛犬――グラシャラボラスにもクレープを与えてやる。


「はぐはぐはぐ」


 ばりばりと包み紙ごとクレープを食べる。いい食べっぷりだ。

 いつもは生き血や生肉にしか興味を示さないグルメな犬だが、このクレープも気に入ったらしい。


「く、クレープが虚空に消えていく……?」


「よくあることだ。気にするな」


「は、はぁ?」


「しかし、こうしてみると、俺も立派な一庶民という感じだな」


「お客さんが、庶民……?」


 自分で言うのもあれだが、なかなかの溶け込みっぷりだと思う。

 ラスボスが庶民になれるわけないだろ、と最初は思っていたが。

 やはり、天才の俺にできないことはなかったな。


「とりあえず、イチゴクレープ10個作ったが……」


「大義であった。褒めてつかわす」


「そういうとこだぞ」


 注文したクレープを受け取っていると。


「おっ」


 店主が、ふと顔を上げる。


「どうした、敵襲か?」


「いや、英雄様たちが来たんだよ」


「……英雄?」


 振り返ると、いつの間にか、通りには人だかりができていた。

 その人だかりの先にあるのは……さしずめ凱旋パレードといったところか。

 楽師たちのラッパの音とともに、馬車の列がゆっくりと通り過ぎていく。


「革命軍、ありがとう!」「アレク様ぁ!」「うおおおっ!」


 革命軍の面々が手を振るたびに、歓声を上げる人々。

 ゲームでは、革命軍のメンバーはアレク以外全滅していたのだが……だいぶ運命ストーリーが変わったようだ。


「しかし、ずいぶんと人気なのだな、革命軍というのは」


「そりゃ、魔帝メナスの圧政から救ってくださったんだからな。この国の英雄だよ」


 店主も手を休めて、パレードの見物をしていた。


「と、英雄アレクサンドラ様のご登場だ」


 パレードの最後尾に現れたのは、屋根のない豪奢な馬車だった。

 その上に乗っているのは、美しい金髪の少女。

 遠目からでもわかる――主人公のアレクだ。


「……声援、ありがとう」


 アレクが歓声に応えて愛想よく手を振る。

 不思議と人を惹きつけるような笑顔だ。

 しかし、なぜだろうか……その瞳には、どこか物憂げな影が宿っている気がした。ゲームのエンディングでは、それこそ太陽のような混じりけのない笑みを見せてくれたものだが……。


 ……いや、俺には関係のないことか。

 そう思って、アレクから目をそらそうとしたときだった。


「……む」


 ふと――殺気を感じた。

 とっさに顔を上に向けると、時計塔の上にかすかに動いている影。


「……暗殺者か」


 やけにタイミングが早い気もするが……狙われているのは、おそらくアレクだろう。

 ノア帝国を混乱させたい他国の陰謀か、それとも空白になった皇位を狙っているのか。アレクを殺そうとする理由など、いくらでも想像がつく。

 アレクのほうをちらりと見るが、まだ暗殺者に気づいている様子はない。他の革命軍のメンバーも、馬車の周りにいる騎士たちも同じだ。

 いや、というか……。


 ……俺以外、誰も気づいてないのか?


 時計塔の上が、きらりと光る。

 魔法陣の光だ。距離があってよく見えないが、魔法陣の構成から察するに、おそらく狙撃スナイプ系の魔法だろう。

 今のアレクのレベルでは即死もありえる。


「……ちっ」


 俺はマントのフードを乱暴にかぶり、群衆の頭上を跳び越えた。

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