第35話 “無”
「……ったく、どうして俺たちが、呪いの装備なんて運ばなきゃならねぇんだ」
「おい、馬鹿。声がでけぇぞ」
「はっ! この辺りの連中に聞かれたところで、なんともならねぇよ」
エムド伯領、トーチ・マリナ――領都ケトゥの西にある町に、二人組の商人が訪れていた。といっても、呪いの装備のせいで検問を通ることもできず、市壁外の周縁部で馬を休ませているだけだが。
トーチ・マリナは市壁外にも町が広がっているが、そこにいる周縁民は脛に傷を持つような人間が多い。本来、商人ならばこんな治安の悪い場所に馬を止めたりしないのだが……呪いの装備を扱っている身では、贅沢も言ってられなかった。
「呪いの装備持ってるだけで、町には入れないしよぉ。しかもなんだよ、呪いの装備にこんなに〝餌〟が必要とか聞いてねぇぞ」
「たしかに、ただ運ぶだけって話だったのになぁ。これじゃ報酬もらったところで破産するわな」
「もう餌なんてやんなくてもいいんじゃねぇか? どうせ、貴族様がたっぷりやってくれるだろ」
「それもそうだなぁ」
「つーわけで……いつまでも食ってんじゃねぇよ! この化け物が!」
男は食事中の呪いの装備を、思いっきり蹴り飛ばした。呪いの装備はうめき声のような音を出しながら、球のように転がっていく。
「おい、貴族に売る商品だぞ!」
「知るかよ! 俺たちは運べとしか言われてねぇ! あー、クソ! むしゃくしゃする!」
「まあ、気持ちはわかるけどよ……つーか、あれ? 呪いの装備どこいった?」
「はぁ? この辺に転がってねぇか?」
「ないんだよ、それが」
「おいおい、失くしたじゃ済まねぇぞ」
「お前のせいだろ! いいから、探すぞ!」
男たちは手分けして呪いの装備を探すことにした。
荷台の下、瓦礫の下、道の脇の茂みの中……。
しかし、どこを探しても呪いの装備は見つからない。ちょうど日没の直後だったこともあり、どんどん濃くなっていく夜闇が捜索をさらに困難にしていく。
「おい、見つかったか?」
男の一人が茂みの中を探していると、荷台のほうから仲間の声がした。
「いや、見つからねぇ。もうこの辺りにはないんじゃねぇか?」
「けっこう遠くまで転がったのかもな……」
「ったく、面倒ごと増やしやがって」
「それは、悪かっ」
――がちっ。
「ん?」
突然、金属がぶつかり合うような音が聞こえてきた。
荷台のほうからだ。
「なんだ、今の音?」
馬車の金属部品が外れでもしたのだろうか。そんなことを考えながら男が振り返ると……そこに立っていたはずの仲間がいなくなっていた。
「おいおい、まさか逃げたんじゃないだろうな。勘弁してくれよ」
慌てて周囲を見るが、仲間はどこにもいない。
足音もなく、跡形もなく消えてしまった。
――がちっ。
「あぁん……?」
ふたたび、先ほどの音がした。今度は馬のほうからだ。
音のしたほうを見ると……いない。
そこにいたはずの馬が、消えている。つい数秒前まではそこにいたのに。手綱が途中で切れて、ぶらぶらと御者台の下で揺れていた。
「な、なんなんだ、いったい……」
次から次へと、物が消えていく。
ここにきて、男はぞわりと悪寒を覚えた。
明らかに異常事態だった。人知を超えた現象。こんなわけのわからない現象を起こせるものがあるとすれば……それは、呪いの装備に他ならない。
――がちっ。
今度は、荷台が消える。
男の見ている、すぐ目の前で……一瞬にして。
「な……な……」
荷台が消えたことで、その現象を引き起こしている主の姿が見えた。
それは、さっきまで男が探していた呪いの装備だった。呪いの装備はまるで魔物のようにひとりでに動き、目のない顔でじっと男を見つめていた。
「ひ……っ!」
思わず、男は尻もちをついた。
逃げろ、逃げろ、逃げろ……男の本能がしきりに警鐘を鳴らす。
しかし、体は小刻みに震えるばかりで力が入らない。
なんとか四つん這いになって、じたばたと逃げる。
呪いの装備が追いかけてくるかと思ったが、そのような音はいっこうに聞こえてこなかった。男は振り返ってみると、呪いの装備は先ほどと同じ場所にいた。じっと男を見つめたまま微動だにしない。男との距離はどんどん離れていく。
「……た、助かった?」
男がほっと安心してから、もう一度振り返ってみると。
「え?」
目の前に、巨大な口があった。
――がちっ。
そして……もう一度、音が鳴る。
*
呪いの装備の討伐依頼を受けた翌日。
僕たちはシルルに乗って、領都ケトゥから西へと飛んでいた。
眼下に広がるのは、見わたすかぎりの草原。朝露に白光りする葉が、静かな風に揺れている。空はだんだん青みを増していくが、草原はまだ朝の寝ぼけたような空気を引きずっていて、ひんやりと湿っぽい。
どこまでも平和的で、のどかな景色だった。
ただ、一つ気になるのは……人をまったく見ないということだ。
草原には立派な街道が敷かれているというのに、巡礼者も、牧人も、流浪民も、冒険者も……誰もいない。あるべきものがごっそりと欠けている。たったそれだけのことが、眼下に広がるのどかな風景を、これ以上なく不気味なものに仕立て上げていた。
「なんか、嫌な感じだな……」
シルルの背から、ぽつりとこぼす。
向かい風に吹き散らされる程度の声量だったが、僕の肩の上にいるジュジュには聞こえたらしい。
謎の踊りを中断して、僕の顔を覗き込んできた。
『嫌な感じってなに? わたくしがバストアップ体操してるの、そんなに気に食わない?』
「いや、そうじゃなくてね」
というか、それバストアップ体操だったんだ。珍しく寝てないなと思ったら、またくだらないことを……。というか、人形にも効果あるの、それ?
『まったく、これだから近頃の男はダメね。女に幻想を見すぎなのよ。そもそも、生まれながらの美少女はいないの。どんな美少女だって、みんな涙ぐましいムダ毛処理とお肌ケアとダイエットとバストアップ体操の果てに……』
「うん。そういう話をしたいんじゃないんだ、僕は」
まず、男とか女とかどうでもいいし。何度も言うけど、僕が恋愛対象として見るのは装備だけだ。
『じゃあ、嫌な感じってなによ?』
「なにが嫌なのー?」「……好き嫌い、よくないです」
隣を歩いていたスイとラムも、会話に入り込んでくる。ただの独り言のつもりだったのになぁ。
「ほら、なにか感じない?」
とりあえず、周囲を指し示す。明らかに違和感のある風景を見れば、さすがにこの異変にも気づくだろう。
「うーん、今日はちょっと風が騒がしいかなー」
「……でも少し……この風……泣いてます」
『急ぐわよ、ノロア。どうやら風がよくないモノを運んできたようだわ』
「あ、うん。そういうのじゃないんだ」
というか、風になんか変なとこあるの? むしろ、そっちがわからないんだけど。
「ほら、下にある道を見てよ。明らかにおかしいでしょ?」
『いや、THE・道って感じだけど』
「普通の道だよー?」「……すごく……道です」
『あっ……もしかしてノロア、無類の道マニアだったりする? 道を見てるとハァハァするとか、道も恋愛対象として見れちゃうとか……』
「いや、道に興奮するとか意味わかんないから」
『……どの口が言うの、それ?』
うーん、景色を見れば気づくかと思ったんだけど。
そういえば、彼女たちは装備だったか。まだ人間の文化とかにもくわしくないだろうし、この無人の道に違和感を覚えないのも無理はないのかもしれない。
『それより、正解はなによ? 焦らさないで早く言いなさい』
「まあ、道に誰もいないのがおかしいなって思ってね」
『えっ、それだけ? それってクイズとしてどうなの? クイズなめてるの?』
「つまんなーい」「……失望です」
「いや、クイズとして出題したんじゃないんだけどね」
なぜ、ブーイングを食らわなければならないのか。
『あの、今向かってる町って、滅んだばかりなんですよね?』
と、そこでシルルが気づいたらしい。
『そういえば、滅びたてほやほやだったわね』
「その表現はどうかと思うけど、そうだね」
『とすると……難民の一人もいないのは変です』
『あ、たしかにそうね』
シルルがそこまで言ったところで、ジュジュも異変に気づいてくれたらしい。
トーチ・マリナが壊滅したのは、つい一週間ほど前だという。
しかし、壊滅したといっても、全住民が死んだわけではないはずだ。そもそも呪いの装備の目撃者は生きていたわけだし。まだ領都に難民が押し寄せている様子がなかったから、この街道にいるのかと思っていたけど……どうも違うようだ。
なら、難民たちはどこへ行ったのだろうか。
『考えられるのは三つね。生存者がまだトーチ・マリナ内にいるか、領都以外の都市へ向かったか……全員、骨も残さずに消されたか』
「一番、現実的なのは待機説だけど……」
『呪いの装備が関ってる以上、現実的なんて言葉は存在しないわ。呪いの装備から生まれるのは、〝非現実〟か〝無〟だけよ』
たしかに、マハリジの町で金ピカ男が血舐メ丸を暴走させたときも、僕がジュジュを使っていなければ、町は欠片も残さずに消滅していたかもしれない。そう考えると、生存者ゼロというのもありえない話ではない。
『ま、ここでうじうじ考えてても仕方ないわ。そんな時間があるなら、バストアップ体操に費やしたほうが有意義よ』
「いや、君がバストアップ体操したところで、それこそ〝無〟しか生まれないと思うけど」
『そ、そんなことないわよ! 努力すれば、いつかきっと胸も生えてくるわ!』
「胸が生えるものだと思った時点で、絶望するべきなんだけどね」
『ふんっ! しょせん男にはわからないわよ、わたくしの気持ちなんて! スイ、ラム、あんたたちもバストアップ体操するわよね!」
「え? ラムたちは、その……」「……大きさ自由に変えられますし」
『……あんたたちは今、全わたくしを怒らせたわ』
「……ひぅ」「……ごめんなさい」
「うん。あんまり、双子を困らせないであげてね」
僕は肩を落としながら、ぎゃーぎゃー騒ぐジュジュから目線を離した。
道の先を見て、それからエムド伯にもらった地図に目を落とす。ずいぶん長いこと飛んでるし、そろそろトーチ・マリナの市壁ぐらいは見えてきそうなものだけど……。
そう考えたところで、草原しかなかった景色の先に、不自然なものが現れた。
「ん? あれは……」
目をこらして、道の先を見る。
そこにあったのは、トーチ・マリナの市壁……ではなかった。
それは、暴れまわる呪いの装備や、あふれ返る難民でもなく。
言うなれば、まさに〝無〟だった。
「シルル、降りてくれるかな」
『ここで、ですか?』
「一応、確認しようと思ってね」
いったん地上に降りて、間近でその〝無〟を観察してみる。
しかし、やはり〝無〟は、〝無〟でしかない。
『ここ、でしたよね?』
シルルが戸惑ったように、ちらちらと振り向いてくる。
「そのはずなんだけど」
『たしか、町でしたよね? トーチ・マリナって』
「うん、そのはずだ」
そのはず。そうとしか答えることができない。
地図を何度も確認するが、やっぱりここにトーチ・マリナがあったはずだ。
しかし、実際にあるのは――ただの巨大な穴のみ。
道は途中で食いちぎられたように途切れ、その先には町一つ飲み込めそうなほどの広大なクレーターだけがある。草原も、道も、建物も、人も……なにもかもがない。ただ無機質な土の色だけがあるのみ。
草原の中にぽっかりとあいた、〝無〟。
「なんだ、これは……」
この光景を目の当たりにして、絶句しないほうがおかしい。
それほどまでに、異様な光景だった。
「これは、すごい穴ですね。ここが目的地だった、ということでいいでしょうか?」
「どうだろ……あっ、そうだ。〝トーチ・マリナの位置〟を示せ」
試しに羅針眼に指示を出してみた。しかし、反応はなし。左目の針はくるくる回るだけだ。それが意味するのは、『探し物が存在していない』ということ。
「トーチ・マリナは、すでにこの世界に存在しない……」
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