第84話

 「誰かいるの……男の人?」


 老婆に視線をやると、彼女は頷いた。


 俺はできるだけ優しい声音で挨拶をする。


 「こんにちは」


 すると、女の子は溜息を一つ吐く。

 

 失礼な奴だ。


 「また、介護の人呼んだのおばあちゃん…………」


 「ランセリア……この人は……」


 「いいよ、どうせすぐに嫌気がさして私の体をべたべたと触るんでしょう?」


 彼女はぷいっと頬を膨らませる。


 「そんな言い方はおよしなさい」


 「いや、いいんです」


 「ですが……」


 「ランセリア……さん、俺は」


 「さん付けはよして、ちゃんもやだ。呼び捨てでいいわよ」


 「じゃあ、ランセリア。俺は浅井良樹だ、君の世話を今日からすことになった」


 「頼んでないわよ……それに変な名前」


 「ランセリア!」


 老婆が怒鳴ろうとする。


 「何よ!」


 言い合いに発展しそうになるので俺は仕事の内容を確認する。


 「具体的に何をすればいいんですか?」


 「私も、年ですので……家事全般と、彼女の体を拭いたり家の中で怪我をしないようにしてください。仕事の内容は紙でお渡しいたします」


 「そうですか」


 「ふん!」


 彼女はどうやら、かなりわがままらしい。


 これは思ったよりきつい仕事になりそうだ。


 ※ ※ ※


 俺は彼女に食事を用意すると、彼女は汚い食べ方をして、味に文句があると皿をひっくり返す。


 外に出ようとして、俺が止めると泣き喚く。


 仕事の最中、嫌味を憎まれ口をたたく。


 静かなのは昼寝をしている時だけだった。


 老婆は彼女の家族ではなく、雇われた人だったのだ。


 彼女に家族はいない。


 友人も、ペットもなにもいない。

 

 おばあちゃんと親し気に読んでいた老婆とも別れ、彼女の横暴なふるまいは日に日に激しさを増していた。


 情緒不安定で、俺の体を殴り、些細な事で暴れ出す。


 最初は同情や哀れみで大目に見ていたが、さすがにきついものがないということはない。


 かなりお金を持っていたらしく支払いは相応にある。


 でも、お金を渡されても嫌なことが別になくなるわけじゃない。


 ※ ※ ※


 それなりの月日がたったある日の事だった。


 その日の彼女はずいぶんと穏やかだった。


 そよ風に彼女の髪が揺れる。


 「ねぇ……アサイ」


 「うん?」


 「あんたはいつ辞めるの?」

 

 「やめるつもりはないよ」


 「きれいごとはやめて……もう私、辛いのよ」


 俺は沈黙して彼女の顔を見る。


 彼女の唇は震え、涙を流す。


 俺は同情という感情の前にそっと手を彼女の背中において、さする。


 「あんたは、なんで私にかまうのよ……お金?」


 「まぁ否定はしない」


 「そうよね、どうせあんたにはお金も家族も親友も好きな女の人もいるのよね!」


 「そうだ」


 俺はこの際きっぱりと肯定する。


 「だったらなんで、こんな私にかかわるのよ!」


 「俺は決めたんだ……好きな人に恥ずかしくない生き方をすると」


 「そう……立派だこと、私の気持ちにもなりなさいよ!」


 彼女は激昂する。

 

 「あんたと私は違う……」


 「そうだな」


 「私は一人……あんたは……恵まれているのにそれを拒絶して生きている」


 「なんで……なんでよ」


 俺はその言葉を重く受け止める。


 そして俺から次いで出た言葉は意外なものだった。


 「君の言う通り、俺は最低さ」


 


 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る