海に沈んだ展望台

 展望台前駅の改札を抜けるときに、駅員に切符を提示し一時的にこの駅にとどまる許可を得た。海底侵入許可証も見せた。年老いた駅員の魚人は、口の中でもごもごと何かを話して笑った。前歯がなかったのに少し驚いたが、それ以外は特に何もなかった。

 私は更衣室に入った。人の気配はなく、ロッカーだけが静かに佇んでいる。私は一番手前のロッカーを開け、リュックを置き、超耐圧潜水服を取り出した。ずっしりと重く、少しくすんでいた。

 リュックの中に他の荷物を入れたままロッカーの中に放り込み、着ていた服も同様にロッカーの中に入れた。扉を閉めると、ぐわんと音がした。

 更衣室の中央あたりにおいてある木製のベンチに置いていた超耐圧潜水服を身にまとった。ずっしりと重く、精神的に息苦しい。腰につけたポーチの中に水銃を忍ばせて、移動用のトーピード(先の鋭い円柱型で真ん中にハンドル、後方にプロペラのついた水中を移動するための道具)を片手に握って更衣室を出た。 

 更衣室を出ると、分厚いガラスでできた透明な椅子にエレーナは腰かけていた。デザイン性を重視した座り心地の悪そうな椅子である。

 エレーナは私の姿を見つけると微笑んだ。


「だるま」エレーナは超耐圧潜水服をそう呼んだ。


 エレーナは駅員を呼ぶと、裾を引っ張りながら駆け足に海底につながる扉に向かった。駅員が一つ目の扉を開ける。銀行の厳重金庫のような扉が、駅員の手によっていとも簡単に開けられてしまった。


「しょれでは、チェックをしぇぃましゅのでしゅこし待っててくだしゃいね」


 駅員は超耐圧潜水服を手順通りにチェックした。ちゃんと気密性が保たれているのか、故障している箇所がないかを目視で確認していた。


「鞄の中は護身用のための物でしゅか?」


「そうです。セーフティーはかけてあります」


 駅員はいくつか質問をした後、私たち二人を扉の奥に通した。扉を閉じると、しばらく待ち時間がある。私はこの時間の間は何も考えないようにしている。意識してしまうと、体調が悪くなってしまうのだ。これは、所謂プラシーボ効果のような心の問題だと思う。

 ドアが開くと目の前には暗黒が広がっていた。そこは、ブラックホールのようにも見えたし、巨大な魚の胃袋の中のようにも見えた。

 エレーナは颯爽とその暗がりの中で飛び出していった。エレーナは地上の世界よりも海底の”世海”の方が性に合ってるみたいだ。

 私も、置いていかれないようにトーピードのスイッチを押した。私の視界はヘルメットにつけられた二つのライトが照らせる範囲のみだった。地面がないように感じる。

 エレーナが引き返してきた。私のことを迎えに来たらしい。エレーナの速度に比べると私の歩みはあまりにも遅いらしい。エレーナはトーピードのハンドルの真ん中を持つと、勢いよく泳ぎだした。何か焦っているようにも見えた。

 エレーナは笑っていた。地上ではあんな風には笑わない。時々、彼女がなぜ地上で生活しているのか不思議に思うことがある。何度か聞こうと試みたことがあるが、その度に野暮という言葉に押しつぶされそうになり飲み込んでしまう。私自身、詮索はするのもされるのも好きじゃない。

 どれくらい泳いだだろうか、うすぼんやりと目的地が見えてきた。


「うわ」


 巨大なナマコが飛んできた。正確には浮遊していたのだが。

 エレーナは少しずつ浮上しながら、前に進んだ。展望台はもう目の前に迫っていた。

 展望台は傾いている。展望台の体は約三分の一ほど消失していて、その風貌は展望台というより、灯台のように見える。しかし、この灯台のように見える展望台は、地上にいたころからきちんと展望台としての役割を果たしていたと言われているのである。使われなくなった灯台を展望台に再利用したのである。

 展望台の表面はごつごつとしていて、魚などの深海生物の住処になっている。

 私とエレーナは展望台のレンズがある辺りに降りた。かつては展望台であったが、ここからは特に何も見えない。変わらない景色。しいて言えば生き物が多い。エレーナはここで生き物と戯れるのも好きなのだ。私からすればどの顔も奇妙であるのだが、彼女は意に返さない様子である。

 エレーナは少しすると、私を連れて灯台の下へ向かった。その意図はわからなかったが、ここでは生憎震わす空気がないので訊くことは難しかった。

 展望台の足元に着地すると、私は上を見上げた。展望台の頂上は拝めず、それほど大きくないはずの展望台がどこまでも伸び続けているように思えた。

 その瞬間、灯台の頂上から六本の光の筋が放射された。その光は部分的に暗い海を照らした。その光は超耐圧潜水服についているライトの明かりとは異なっていて、まるで父の背中のように、或いは真っ直ぐな枝を携えた童子のように、根拠のない安堵と信頼があった。私はその光に見とれていた。その光は神の導きのように闇を照らし、途中で途切れていた。


(きれい)


 エレーナは私の肩をたたいて、大きく口を動かした。照らし出された顔はまぶしそうに笑っていた。


「そうだね」


 私は思わず声を出してそう答えた。私たちは灯台の光を見つめ続けた。

 ふと、向こうから何かがこっちに来ているのが見えた。それは、だんだんとスピードをあげている。


「よけろ!!」


 よそを見ていた、エレーナを抱え込むようにして倒れ、直進してきた鋭い歯をよける。その怪物が通り過ぎて行った方を見ると、体長一メートルほどのサメに似た怪物が私たち二人を襲っていた。怪物は身を翻してこっちに向かってくる。

 エレーナはトーピードをつかんで私をひぱった。しかし、怪物は後ろをついてくる。私は、右手をハンドルから離しポーチから銃を取り出した。

 水銃は一度しか打つことができないため、外すわけにいはいかない。怪物の鼻柱目掛けて、引き金を引いた。怪物の鼻に見事に命中し、怪物は怯んだ。私たちはその間に何とか逃げ切ることができた。


 展望台前駅に帰ってくると、私は疲れ果て彼女はいい汗をかいたとばかりに笑っていた。


「何であんなのがここにいるのさ、この辺は危険な生物はいないんじゃないのかよ」私は息を弾ませながら言った。


「そうね」エレーナの声も少し高くなっていた。


「でも」


「展望台綺麗だったなぁ」エレーナと私は同時にそういって、どちらも火が付いたように笑い転げた。


 私はどさくさに紛れて彼女に口づけをした。柔らかなその唇が私を拒むことはなかった。

 駅の時計を見ると、駅に着いてからもう二十分も経っていた。私は椅子に座る彼女に手を振って更衣室に入った。

 超耐圧潜水服の手入れをして、リュックの中に放り込んだ。水銃はどこかに行ってしまった。損をしたし、怖い思いもしたが、私の胸の内にはきらきらと光るものが生まれた。それはダイヤモンドや真珠のような光ではなく、恒星のように自ら光輝いていた。

 着替えが終わると、私は更衣室をほとんど飛び出すように出た。あと二分で電車が発車してしまうのだ。


「エレーナ、行こう」


 ぶらぶらと足を揺らしていたエレーナに声をかけながら私は改札に向かって歩いた。改札を素早く抜けると、駅員は「また来なよ」と手を振っていた。

 私は電車に駆け寄った、すると後ろからエレーナが私を抜かしていった。


「速くしないと、乗り遅れちゃう!」


 エレーナがとても満足そうだったので、私も気分が良くなった。

 がらんとしたホームに二人の楽し気な声と足音だけが響いていた。

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海底トレイン 展望台前 Lie街 @keionrenmaro

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