◯夢を追い続ける限り「8月中旬〜」

第35話 匿名性を利用して攻撃してくるような人の言葉に耳を傾けてはいけない

—1—


 藤崎さんに告白の返事は待ってほしいと言われてから5日が過ぎた。

 あれからオレは『青春小説大賞』の原稿と向き合っていた。

 規定の文字数まで残り4万文字。

 物語は折り返し地点を迎え、序盤で広げた風呂敷を畳んでいく段階に入ろうかというところだ。


 小説賞に応募すると決めてから、リアルで色々な出来事があった割には順調な滑り出しだった。

 が、ある時からパッタリと筆が進まなくなった。

 当初の想定ではこの時期にはすでに原稿が書き上がっていて、修正作業に取り掛かる予定だった。

 断片的なアイデアはポンポン浮かんでくる。

 それを繋ぎ合わせれば物語として成り立たせることができるのだが、どうも何かが引っ掛かって思うように文章を紡ぐことができずにいた。


 パソコンを見つめるだけで無常にも時間は過ぎていく。

 本棚からライトノベルをいくつか取り出し、各章の書き出し部分を読んで自作の参考にできないかとインプットを試みる。

 書けない日が続き、その分の負債が翌日以降に持ち越される。

 1日あたりの書かなければならない文字数が増え、やがてそれは義務感となって自分の首を絞めていく。


 颯に表紙イラストを頼んだ手前、途中で投げ出すなんて真似は許されない。

 必ず期限に間に合わせなくてはならない。

 シリーズものを手がける作家はもっと短い期間で作品を仕上げている。

 オレには2ヶ月も時間があったんだ。

 書けないなんて言い訳は甘えだ。


「クソッ」


 キーボードから手を離し、目尻を指でおさえる。

 ブルーライトのダメージが思ったよりも大きい。

 それでいて原稿が進まないのだから精神的ダメージも大きい。


 同級生は今頃夏休みを謳歌しているのだろうか。

 運動部に所属している人は練習試合や大会があるだろうし、そうじゃない人もアルバイトをしたり遊んだりと楽しくやっているに違いない。


 身近で言えば藤崎さんはバスケ部に入部して本来の実力を発揮している。

 更科さんはインフルエンサーの仕事で東京と仙台を行き来している。

 颯は表紙イラストが書き終わったらしく今日にもデータを送ってくれると連絡があった。

 里緒奈はアーティスト名の『RIONA』として初めてステージに立った。


 みんな着実にそれぞれの夢に向かって歩み始めている。

 オレは?

 オレだけが取り残されているんじゃないか?


 友人が活躍の幅を広げていくことが嬉しい反面、自分だけが立ち止まっているように思えて不安に襲われる。

 小説賞で銀賞を取ったのは過去の栄光。

 このまま結果を出せなければ夢を叶えていく彼らと並んで歩くことはできない。


 そんなのは嫌だ。


 ふと、最新話についたコメント欄が目に入る。


『更新お疲れ様です。主人公の成長が感じられてよかったです』

『心理描写がグッときた』

『どこかで見たことのある設定。人気作に寄せにいってるのがバレバレ』

『更新ありがとうございます。続きも楽しみにしてます。応援してます!』


 称賛のコメントがほとんどだが、その中に辛辣な意見が1つでもあるとそのコメントばかりに目がいってしまう。

 アニメ化タイトルや直近のライトノベルの流行を自分なりに噛み砕いて書き始めた作品だからコメントのような意見も分からなくはない。

 ただ、それを直接作者に言わなくてもいいのではとも思ってしまう。

 作風が合わなかったら読むのをやめればいいだけだし、攻撃性の高いコメントやレビューは作者が筆を折る原因になることもある。


 それならコメント欄を閉鎖すればいいのでは。

 そういった意見もある。

 コメント欄は作者が任意で閉鎖することができる。

 プロ作家を目指す公募勢や完全に趣味と割り切っている人など、外野の意見を必要としない人達がコメント欄を閉鎖している。


 一方でコメント欄は作者と読者が交流できる数少ない場でもあるし、応援の言葉を貰うとシンプルにモチベーションが上がるというメリットもある。

 誤字脱字を指摘してくれる熱心なファンや丁寧にアドバイスをくれるファンも多い。

 自身のメンタルを保つためにコメント欄を閉じるのは簡単だが、そういったファンとの交流も絶たれてしまう。

 それに途中からコメント欄を閉鎖したのではアンチから逃げていると捉えられるかもしれない。


『おい秋斗、酷いクマだな』


 颯からビデオ通話がかかってきた。


「そうか? これくらいいつものことだろ」


 スマホの画面に小さく映る自分の顔を見て苦笑する。

 生気の抜けた酷い顔をしている。


『部屋も散らかってるみたいだし、ちゃんと寝てるのか?』


「絶賛三徹目だな。何度か眠気の山が来たんだが、もう眠気は通り越して気絶しそうだ。正直言って頭も回ってない」


『いい加減体壊すぞ。倒れたら元も子もないだろ』


「分かってる。ただもう時間がないんだよ」


 焦りが苛立ちに変わる。

 コメントにメンタルを揺さぶられている自分が腹立たしい。

 もっと執筆速度が早ければ。

 ストーリーをまとめる力があれば。

 キャラの掛け合いが上手く描ければ。

 オリジナリティーがあって惹きつけられる展開が書けたら。


 自分に足りないものが浮き彫りになり、課題が次々と見つかる。

 ひょっとして自分には小説家なんて向いていないんじゃないか。

 そんなことまで頭を過ぎるようになった。


『表紙イラストの完成データを送ったからZで宣伝するタイミングだけ教えてくれ。俺のアカウントでも宣伝するからさ』


「分かった。ありがとう」


『じゃあな。無理だけはするなよ』


「ああ、おやすみ」


 通話を切り、送られてきた表紙イラストのデータを開く。


「颯のやつ、凄すぎだろ……」


 夕陽を隠すようにヒロインが半身に立ってこちらに笑い掛けている。

 その表情を見て思わず込み上げてくるものがあった。

 過去のトラウマが原因で心を閉ざしていたヒロインが主人公の茜に心を許して見せた嘘偽りのない笑顔。

 物語のラストシーンで描く予定だったこの描写を原稿じゃなくてイラストで先に見ることになるとは。


 オレがイメージしていた通りに表現されていて鳥肌が立った。

 オレはこのシーンを書くためにこの物語を書き始めたんだ。

 オレが最後まで書き切らなければ主人公もヒロインも誰も報われない。

 他の誰でもない。

 オレがやらなくてはならないんだ。


 颯のイラストにそれを教えられたような気がした。

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