ハイド・アンド・シーク・イン・スペース

えどまき

01 : BREACH AND CONTAMINATION

 その通路は、壁は合成樹脂製のパネルで覆われ、床には格子蓋グレーチングがしかれ、天井には大小さまざまな金属製のパイプが走っていた。

 等間隔に並ぶ非常用の回転灯が作り出す陰影が蠢き、そこに得体のしれない何かが潜んでいるような錯覚を呼び起こす。

 通路に設置されたスピーカーから、やや聞き取りにくい声が発せられた。


『ぜぇ……はぁ……も、もう……いい、か…………? げふっ』


 低い男性の声は苦悶を滲ませており、時折咳き込んでいた。

 システムのロックを解除すべく、通路に設置されたパネルに悪戦苦闘していたマーカスが叫んだ。


「船長! まだだ! 今、バイパスコードにアクセスしてるとこだ!」

『ごふっ! げほっ、がはっ……い、急げ……たぶんもう、長くはもたない……そうなったら……』


 船長ダグラスの苦しげな声が、通路に響いた。





H I D E  a n d  S E E K

    i n  S P A C E





A FEW HOURS AGO数時間前


 遥かなる無数の星々が遠景として濃密に散りばめられてはいるが、手の届く範囲には一切何もない。そんな茫漠たる広大な宇宙空間に、一隻の巨大な宇宙船が浮かんでいた。


SHIP NAME:____Ithaqua-Maru

TYPE:_________Commercial Freighter

CREW:_________9

CARGO:________Rare Metal

______________Synthetic Oil

______________Industrial Materials

______________Medical Instruments

DESTINATION:__Proxima Centauri b


 木星のイオ・ステーションを出航した商用貨物宇宙船『いたか丸』は、ジャンプドライブにてプロキシマセンタウリ星系近傍までジャンプした後、現在は通常インパルスエンジンにて目的地である惑星プロキシマbに向けて航行中であった。到着予定は地球時間で二ヵ月後である。



 一等航海士マーカスはブリッジで当直をしていた。

 そのとき、ブリッジにけたたましい警報ブザーが鳴り響いた。


「な、なんだ!? ……カーゴベイ?」


 コンソールを確認すると、第三カーゴベイで異常が発生したことが通知されていた。まずは船に搭載されてるメインコンピュータのAIインターフェイス『ロビー』に問い合わせた。


「ロビー、何が起きた?」

『コンテナの一つが破損した模様です。内側から力がかかったらしく、コンテナ壁面に穴が開いています』

「内側から?」


 その状況を奇妙に思いつつも、マーカスはすぐさま就寝中のダグラス船長に連絡を入れた。


「船長、トラブルです」

『……何があった?』

「第三カーゴベイで、コンテナが破損したようです」

『すぐ行く。フーパーとホルムズも起こせ』

「了解です」


 ダグラスは甲板員のフーパー、ホルムズを伴って、第三カーゴベイに入った。

 カーゴベイ内は標準規格に沿ったコンテナが縦積みされて、整然と並んでいた。その中で、一ヵ所だけ一つのコンテナがぽつんと置かれている区画があった。

 彼らはそこに近づいていった。


 問題のコンテナの側面には、直径1.5mほどの大きな穴が開いていた。穴の周囲は、花弁が開くように金属の壁面が外側にめくれて広がっていた。まるで、壁にできた裂け目を内側から押し広げて、何かが這い出てきたかのようだった。


「爆発……とかではなさそうだな」


 内部で爆発が起きたのなら、もっとコンテナ全体が歪んでいるはずである。しかし、それ以外でこのような穴を開ける原因というのは想像がつかない。

 何より異様なのは、穴の縁や、コンテナ手前の床に正体不明の赤紫色の粘液が垂れていたことだった。


「この液体、何なんでしょうね」

「一応、触らないようにしろ。現場保存の必要もあるし、どういう性質かわからん。マーカス、検体を採取してくれ」

『了解です』


 積荷の損傷が後に法廷闘争に発展するケースも少なくはないため、船長としても手順については慎重にならざるを得ない。ダグラスはブリッジにいるマーカスに指示を出した。

 ほどなくしてマーカスが医務室から検体採取キットを持ってきて、専用ガラス容器に謎の液体を採取した。

 ダグラスはコンテナ内部を覗き込んだ。カメラで内部を撮影するのも忘れない。

 コンテナ内は紫色の粘液がそこかしこに塗りたくられていた。


「このコンテナの発送主はどこだ?」

「ええと……イエワウー・テック社、うちの船主の親会社ですね」

「中身の品目は?」

「書類では医療機器となってますが……」

「医療機器……?」


 標準規格の長さ12m、幅2.5m、高さ3mのコンテナ内部は、中央部に設置された謎の器具以外はがらんとしていた。

 器具は直径1.5m、高さ2mほどの円筒形のシリンダーと、それに繋がる制御装置らしきもので構成されていた。シリンダーはガラスか強化プラスチック製の透明な素材でできており、内側には粘液が大量に残っていた。

 そして、シリンダー上面の蓋は外れていた。


「あそこに入れていた液体が漏れ出した、のか……?」


 そのとき、やや後ろで見ていたホルムズの足元のすぐ先に、赤紫色に濁った雫がぽたりと落ちた。


「あー、なんだ? これ……」


 ホルムズのつぶやきにダグラスが振り返り、ホルムズが上を見上げた直後。

 上から何か大きな塊がホルムズの落ちてきて、べちゃりと彼に覆いかぶさった。


「わっ!? うわっ!? なっ、なん!?」


 その『何か』はあまりにも異様で、異質すぎて、当のホルムズを含め、その場にいた全員それが何なのか理解はできなかった。


 それはまるで、子供がおもちゃの骨格模型をでたらめに組み合わせて、ゼリーで固めたかのような、かなり悪趣味な造形といえた。より詳細に描写するならば、人体の骨格標本を二人分組み合わせて、赤紫色をした半透明のゲル状物質で包み込んだような形、ということになるだろうか。

 骨格のうち、片方は上下逆さまになっており、頭蓋骨はもう一体の腹部に埋まっている。両腕はもう一体のわき腹から、両足はもう一体の肩から後ろに向けて突き出ていた。


 何より異様なのは、それが粘液を滴らせて、表面のゲル状物質を波打たせながら動いていることだった。

 その『何か』は、四本の腕でひしっと正面からホルムズに抱きついた。


「ぎゃあああああああああああっ!!」


 ホルムズが絶叫した。見れば、下の一対の腕がホルムズの腹に突き刺さっていて、そこから鮮血が噴出していた。


「ホルムズ!」

「た、たすけっ、ぐぼっ!」


 その『何か』は表面のゲル状物質を広げて、ホルムズの顔を覆った。鼻も口も塞がれてホルムズがもがくが、『何か』はその体を完全に押さえつけていた。

 やがて、ホルムズは体を痙攣させる以外の動きをしなくなった。


「このっ!」


 ダグラスとフーパーが素手でホルムズに取り付いた『何か』を引き剥がそうとした。

 一方、マーカスは咄嗟にカーゴベイの壁際に向かった。

 いたか丸は商用貨物船であり、個人用携行武器も含めて武装はない。唯一の例外が、非常用の斧である。いたか丸ではこれまで一度たりとも使われたことはなかったが、大昔からの慣例で、万一のときのツールとして船舶への設置が義務付けられているものである。マーカスが思いついた武器といえば、それしかなかった。

 壁に設置されたケースのガラスカバーを肘で割って、斧を取り出したマーカスはすぐさまホルムズの元へ向かった。


 マーカスは両手で持った斧を全力で振り下ろした。斧の刃が、『何か』の表面を切り裂き、内部の肩甲骨から背骨まで断ち割った。

 だが、縦に裂かれた『何か』の傷は、まるでフィルムを逆再生するかのように閉じていった。割れた骨はそのままだったが、傷はあっという間にふさがってしまった。そして、その動きが鈍ることは一切なかった。


「なにっ!?」


 あっけに取られたマーカス。次の瞬間、『何か』の表面からニョロっと生えた太い触腕のようなものが、マーカスの体を打ち据えた。強打によって、マーカスの体は数メートル弾き飛ばされた。

 続いて触腕は、『何か』を引き剥がそうとしていたダグラスを殴って跳ね飛ばし、フーパーの腹を突いた。


「ぐぼっ」


 フーパーの口から悲鳴にもならない濁った吐息が漏れた。触腕はフーパーの腹を貫いて、背中側に突き出ていた。新たな鮮血が撒き散らされた。

 さらに『何か』からはまた別の新たな触腕が伸びてきて、フーパーの口腔へ突き刺した。白目をむいたフーパーの体がビクビクと痙攣しながら脱力した。


「ホルムズ! フーパー!」

「ダグラス! 二人とももうダメだ! 一旦引くべきだ!」

「しかし!」

「あんなもの、どうしろってんだ! 俺たちの手に負えねえっ!」

「くっ」


 マーカスに引かれて、ダグラスは第三カーゴベイから退去した。幸い、と言っていいのか、『何か』は逃げる二人には反応しなかった。

 カーゴベイの隔壁が閉じた。





「……くそっ!!」


 ダグラスが隔壁扉を蹴り、次いで手の平でバシンっと叩きつけた。


「せ、船長!? そ、それっ!? て、手がっ!?……」

「ん?」


 マーカスがぎょっとして後ずさりながら、ダグラスの手を指し示した。

 隔壁を叩いた拍子に表皮がずる剥けて、溶けた指先から手の平までがべっとりと壁に残されていた。

 手からは血がじんわりと滲み出しているが、噴出するほどではない。しかし、指先は骨が露出していて、爪が肉から浮いてはがれ落ちそうになっていた。


「うぉおおおぉっ!? なっ、なんなんだこれは!?」


 自身の指の惨状を見て、ようやくダグラスが驚愕した。神経が麻痺しているのか、じんわりとした疼痛くらいしかなかったため、気が付くのが遅れたのである。しかし苦痛がなかった分、ダグラスは自身の手の平がどれほどおぞましい状態になっているか、まじまじと観察できてしまった。

 慌てて、取り出したタオルを包帯代わりに巻きつけた。

 先ほど『何か』を素手で引き剥がそうとしたとき、ダグラスの手は赤紫の粘液まみれとなっていた。原因はそれしか考えられない。


「マーカス、お前はアレに直に触れたか?」

「……服の上から殴られたが、たぶん、直接には触れてない、と思う」

「絶対に、触るな」


 マーカスは自分の服を見下ろした。フライトジャケットの胸元に殴られたときの粘液がべっとりとついていたが、それ以外は何ともなさそうだった。念のため、触れないように気をつけながら、ジャケットを脱いだ。


「ロビー、第三カーゴベイを完全に封鎖しろ。通気孔もすべてだ。それと、緊急で他の船員をすべて談話室に集めてくれ」

『了解です』

「マーカス、お前は船員のとりまとめを頼む。あと、さっきのサンプルと、これ……もランベールに渡しておいてくれ」


 ダグラスは隔壁扉に残された肉片を指し示した。


「船長は?」

「俺は……隔離できるところというと、ここから一番近いのは船尾の展望デッキか。俺はあそこに篭る。誰も近づけさせないようにしてくれ」

「了解、船長」

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