第2話 許嫁
纈は雫由の許嫁で五つ上。親同士関わりがあり、雫由が幼い頃から互いの神社に行き来しては催し物がある際には助け合っている。しかし、今回はそれも無ければ祭りの時期でもない。そう考えると纈が突然訪ねて来る理由はただ一つ。
「纈さん、今日ここに来た理由はやっぱり……」
「……やはり、勘づいてしまいますよね。察しの通り、祝言の事で少し。父上に進展ないのかと言われてしまいまして」
縁談の話が出てから早六年。今年雫由が十八になる事から、そろそろ向こうも答えが聞きたいのだろう。たが雫由自身、まだ一度も恋をした事がなく、祝言や
「私、恋とかまだ分からなくて。纈さんの事は尊敬しています。ですが……」
言葉の先が見つからず、申し訳なさが心中に広がる。何も言えずに手を握りしめていると、頭上から優しい声がかかる。
「無理もないと思いますよ。実は僕自身も貴方に祝言の話を今するのは反対なんです」
「……え?」
「僕はもう二十一ですが、貴方は今年十八になる身。まだ恋を知らないのは当然だと思っています」
そう言って纈は日本酒を一口含んだ。落ち着いた丁寧な所作。品の中に控えめな色香が垣間見える気がした。容姿が整っているからとか彼が大人だからとかそう言うのではない。雫由は見惚れている自分に気づき、視線を逸らす。
「あの……何故私なんですか?」
思わず訊ねると、何故そんなこと聞くんだと言わんばかりに、纈は雫由を見つめる。
「その、纈さんは私より釣り合う人が沢山いそうで……何故そんなに私の答えを待っていてくれるのか気になってしまって」
野暮な事を聞いてしまったかも知れない。若干の焦り。思考を巡らし、次の言葉を考えていると、隣にいる纈は苦笑をもらす。
「それは、少し酷な言葉ですが……雫由さんの芯の強さや優しさに惹かれたからでしょうか」
「私が優しい、ですか?」
思い当たることがないと彼を見上げる。纈は飲んでいた湯呑みを置き、息をついた。
「少し、昔話をしましょうか……数年前の出来事です」
切れ長の目が、切なげに細められる。柔らかな雰囲気に滲む哀愁。その姿を見て雫由は胸が痛んだ。数年前の出来事と聞き、浮かぶのは纈の弟の
「弥は、慣れない土地には好奇心が旺盛で……手を焼きましたが、幼い時から常に僕についてきていました」
「……覚えています」
あの日。行方がわからなくなった日は今でも鮮明に覚えている。雫由は齢十二で弥は十になったばかりだった。許嫁の話が出てきたのもそのくらいであり、よく纈と雫由を冷やかしては纈にお小言を言われていたのを覚えている。そんな穏やかな日々は一転し、纈は弟を見れなかったことに自責の念に駆られて数日は切羽詰まった表情をしていた。その様子を見兼ねて雫由はただ纈の傍にいたのだ。
「情けないですがあの日、雫由さんが何も言わずただ側にいてくれた事で救われたんです。貴方の優しさに惹かれました。当時、雫由さんも突然の出来事に戸惑っていてもおかしくはありませんでしたが、貴方は何一つそのような素振りは見せませんでした」
徐に纈は雫由に視線を合わせる。端正な顔立ち。曇りない優しげな瞳から目をそらすことが出来ず、雫由はただ纈を見据えた。
「貴方を困らせてしまうのは承知していますが……けじめとして、この懸想をお伝えさせていただきました」
庭先の夜風が和室に流れ込む。鼓動が早くなる。知らない感情が湧き上がる。息が詰まるのは恋心からか、返事が出来ないことからの申し訳なさか。
「長話、してしまいましたね。では僕はこれでお暇します」
「あ、はい……」
隣の部屋に向かった纈を見送り、机に置かれている日本酒を眺める。豊富な種類を呑んでいたというのに、纈は全く酔っている様子はなかった。制限しているのか、強いのか分からないが、酔ってないとなると先程の言葉は本人の意思を持って言われた事になる。幼い頃に比べると当然とはいえ、やはり纈が遠く感じた。
「……どうしよう」
生じる迷い。共に居たら楽しいとも思うし、支え合いたいとも思う。だが、答えが直ぐに出てこない。気持ちが分からないのだ。初めての想いに若干戸惑う。
「……これじゃだめ。自分から歩み寄らないと」
思えばいつも受け身だ。指示されるままに従う。けれどそれでは自分の心にも気づけないままだろう。自分の意思で動いた事は纈に寄り添った時だけ。今日の纈との会話も聞くだけだった。纈はあの言い伝えがある鳥居の事をどう思っているのだろうか。弥の話を聞いてから一つ彼に訊ねたいことができ、雫由は立ち上がった。
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