鏡花水月に微睡む
東雲紗凪
第1話 言い伝え
──『あの神社はね、山神様に守られているんだよ。山神様は時に恐ろしくてね、逢魔時に山に向かった童子を''隠り世''に連れ去ってしまうんだよ』
幼い頃、夕闇が濃くなる山に僅かに見える鳥居を指さして祖母が告げた。その神社は昔ある少年が迷い込んださい、行方が分からなくなり、未だに発見されていない事から言い伝えが出来たらしい。一度でなく二度起こったその過去の不可解な出来事を、土地の人は『神隠し』と形容していて古来より恐れていた。一回目は昔に、そして二回目は数年前。山に建つ鳥居はかくりよへの入り口だと人々は口を揃えて告げる。ああ、おそろしい。立ちいらない方が良い。二度あることは三度ある。そんな事を言いながら山に見える鳥居を一瞥しては去っていく。変化しない人々の心と山に朽ちる事なく在り続ける鳥居。
「どんな所なんだろう」
そっと
「逢魔時にいくと山神様に連れて行かれる……」
事実か、ただの言い伝えか。正直、雫由にはそんな事どうでもよかった。ただ真実かもわからぬ噂に人々が怯え、時を経ても遠ざけられる事があまりにも哀しいと思ったのだ。神に死はない。けれども認識や神拝されなくなってしまえば、それは死と同様なのでは無いか。神に仕える巫女としてはそれがなんだか虚しくもあり、淋しくもあった。雫由が鳥居を眺めていると、本堂に繋がる道──奥の石段から足音が聞こえた。
「ここにいたのか、雫由」
「……お父様」
威厳のある声に振り向くと、装束を身にまとい、黒の羽織を肩にかけている神主の父、
「今戻ります……」
「雫由、あの鳥居を見ていたのか」
険しい表情の捷に思わず雫由は肩を揺らす。
「あの鳥居の所には行くな。お前自身、あの
山に向かった幼子が行方知らずになったのはしっているだろう。お前に何かあれば、この神社の存在は薄くなる」
「それは……わかっています」
捷が言っているのは、幸福を象徴するこの神社で不幸があれば一瞬にして信仰はされなくなる、という意味だろう。俯き、今は亡き母の形見である天然石の腕輪に視線を落とす。母は雫由が齢四つになる時に病に倒れた。
元々病弱で、十八の時他県からこの綾織神社へ嫁いで来た。雫由の母は巫女の家系だった。この土地で毎年恒例の風物詩──土地の安寧を祈る
「今日は
天津。その言葉に雫由は息詰まりを感じた。天津家は綾織家と同様に、代々続く神社。纈はその跡継ぎで次期神主になるらしい。
「天津家は綾織家と関わり深い。隣町からわざわざ来てくれたんだ」
それだけ告げると再び歩き出す捷。薄暗い脇道をぬけると敷地を囲う塀が見え、存在感を放つ門と表札が視界に入ってきた。門の両脇には灯篭がある。高級旅館の入り口を連想させられるその屋敷が、雫由の家だ。靴を脱ぎ、庭に面した長い廊下を歩く。
「失礼します」
捷と別れてから襖を軽く叩き、声をかける。徐に襖を開くと既に長机には豪華な料理が並んでいた。酒類も豊富で、日本酒や焼酎が机に置かれている。オレンジの柔らかな明かりに包まれた一室。違い棚には置物があり、壁には落掛け、
「雫由さん、お久しぶりです」
落ち着いた笑みを浮かべ、纈は読んでいた書物をそっと閉じる。拍子に前髪が切れ長の目にかかった。二人きりの部屋。静けさの中で庭にあるししおどしの潔い音だけが時を刻むように響いている。
「纈さん、こんな山に来て下さりありがとうございます」
「いえ、気にしないでください。寧ろ父上の指示だとはいえ、急に押しかけてすみません」
その言葉に雫由は無言で被りを振り、纈の隣に腰を下ろした。
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《作者から》
新作書きました。また和風です。
次話下書き完成してるので、明日(3日)も投稿します
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