即興小説アーカイブ
大男
20210829-「自動販売機」
レギュレーションは「構想30分、執筆60分」。
実際にかかった時間は「構想しつつ執筆、100分ほど」。
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自動販売機
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子供の頃、自動販売機の中には何か不思議な装置が入っていて、小銭さえ入れれば飲み物が無限に出てくるものだと思っていた。そうでないと気づいたのは10歳を過ぎてからだった。家の近所に置いてあった自販機の在庫をチェックして飲み物を補充しているサービスマンの姿を見た時、自販機とはそういう仕組みなのだと感心しつつも心の片隅ではどこか残念な気持ちになったのを覚えている。
「それって普通の自販機? 缶ジュースとかが入ってるような」
「ああ。ビックルとか入ってたな、ガラス瓶に入ったピルクルみたいなやつ」
「そっか。いやね、こういう自販機だと仕組みが丸わかりだからさ。よくよく考えたら風情が無いのかもなって」
今、俺とこいつ――大学で同じゼミに所属してる男。で、俺の彼氏――は、スーパー銭湯のラウンジに並べられたいくつかの自販機の前に立っていた。風呂上がりには瓶牛乳を飲むものだ、という習慣は日本人が持つ土着信仰のようなもので、俺達も例外なく瓶牛乳を飲もうとしていた。紙パック入りの牛乳と違いもったりとした風味のない瓶牛乳をきんきんに冷やして風呂上がりに一気飲みするというのはたまらなく魅力的に感じる。こいつが言う「風情が無い」というのは、瓶牛乳が入った自販機特有の見た目を指しているのだと思う。
瓶牛乳が入った自販機は不思議とみんな同じ形をしている。普通の自販機のように横倒しにした瓶牛乳をスタックするのではなく商品棚のように縦にしたものを陳列して、任意の賞品の番号が押されればベルトコンベアで流すようにして商品キャッチャーに渡し、そのまま取り出し口へと送り出す。確かに一目見ればどういう仕組みかは丸わかりだし、"不思議な装置"が入り込む隙間はない。
「まあ僕は好きなんだけどね。なんかそそられる。効率化されたシステムって官能的だよ」
「官能的かあ……それって」
「エロいってこと」
「自販機をエロいと感じたことはないなあ……」
つい最近脱色したばかりの銀の前髪をくりくりと弄りながら、そいつはうっとりとした顔で牛乳の自販機を眺めていた。とても細いフレームの丸眼鏡の奥の瞳はきらきらと輝いていて、いかにも"工場見学に来た男児"のような表情をしている。160cmに満たない身長のこいつは顔もそれ相応に童顔で、このまま小中学生の見学隊に放り込んでしまっても全く違和感がない。今だって他人からすれば親子連れか親戚のおじさんと甥っ子か、そういうふうな組み合わせに見えているだろう。そいつは腕に巻いたバンドのバーコードを自販機に読み取らせ――スーパー銭湯というのは高度に情報化されていて、入館者に渡されたバーコード付きのロッカーキーを用いてすべての支払いを管理している。館内で現金を使う必要はなく、退館時にまとめて支払うという仕組みだ――一番下の段にある無調整牛乳のボタンを押した。キャッチャーとコンベアが同時に動き出し、商品を取り出し口に送るための手順が実行される。俺はその流れをしげしげと興味深そうに眺めるそいつの姿を眺めていた。
「変なフェチではあるしね。僕もそういうの聞いたことないし……ほら、今のとことかどう?」
「……全然わかんない」
「そう? まあいっか。君も同じのでいいよね」
「ん、ああ」
俺が答える前にそいつは同じ牛乳のボタンを再度押していた。さっきと同じようにキャッチャーとコンベアが静かに動き、牛乳を丁寧に取り出し口へと送り出す。なるほどよくできている……とは思うけど、官能的というのはあまりピンとこなかった。取り出し口の牛乳は想像通りきんきんに冷えていた。やっぱり牛乳はアイスに限る。暖かい牛乳はどうも苦手だ、多分一気飲みできないからなのだろうけど。
プラ製のフィルムを剥がして飲み口の紙蓋を外す。子供の頃に給食に出てきた瓶牛乳の蓋はもっと剥がしにくかった気がするけど、今じゃするりと開けられてしまうのはどうしてだろう。瓶牛乳にも改良が加え続けられているのだろうか……と思ったけど、隣のこいつが開けるのに手間取っているところを見るにきっと指の力が強くなったからとかそういう理由なのだろう。かりかりと蓋をひっかいている姿はいじらしくて可愛げのあるものだった。
「……この蓋、なんとかならないのかな。開けて」
「ん」
こういうやり取りはこれで何回目になるだろうか。こいつは缶ジュースのプルタブも開けられないし、瓶入りのエナジードリンクのキャップも外せない。こういう形で頼られるのは悪い気はしないが、こいつは今まで食品の封を開けるときにどうしていたのだろうかと疑問に感じる瞬間も多い。さっと紙蓋を外してやるとそいつはありがと、と短く言ってこくこくと牛乳を飲み始めた。俺も自分の牛乳に口をつけ一気に飲み干す。冷たさが口から喉に、胸に流れていった。暖まった身体が程よく冷やされていくのはやっぱり心地いい。
「……飲むの早くない? 普通の人ってそういうものなの?」
「牛乳は一気飲みするもんだろ。風呂上がりならなおさら」
「ふぅん……」
髪をくしくしとかき上げながら、そいつはこくこく、くぴくぴといったふうに牛乳を飲んでいた。一つ一つの所作が小さく収まっているのはやっぱり可愛らしい。そいつの姿を眺めているうちに頬が緩んでいたようで、俺の視線と緩んだ表情に気づいたそいつに少し冷たい目で見つめ返されてしまった。ぷは、と小さく息をして、冷たい牛乳を飲み干したそいつはわざとらしく館内着の胸をぱたぱたとはためかせつつ呟いた。
「ショタコン」
「なっ……」
「通報されるよ。変な男がちっちゃい男の子を変な目で眺めてるって」
「変な男って、失礼な」
「あはは、冗談。まあ、ショタコンはホントの事だしね」
「お前、あんまりデカい声でそういう事……」
俺がそう言いかけた時、そいつは腕を伸ばして俺の唇を細い人差し指で優しく押さえつけた。こいつはいつもこうやって俺の言葉を遮る。俺ももうその所作にすっかり慣らされてしまったというか、こうされては何かを口にすることができないようになってしまった。こいつと付き合ってしばらくになるけど、未だにこの所作には慣れない。こんなポーズだけでこいつの言う事を聞かされる自分自身に困惑してしまう。
「さっきみたいな目で見られるの、結構恥ずかしかったから。これはお返し」
そう言ってそいつは俺の唇に触れた人差し指の先を舐めて、「牛乳の味がする」と呟いていた。やっぱり、変な男は俺じゃなくてこいつの方だ。
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