第3話 わたしとわたし
『これをもちまして、卒業生による三年間の振り返りを終わります』
そのアナウンスでわたしの意識は現実へと引き戻された。修学旅行の思い出を思い返しているうちに三年生での発表も終わってしまったようだ。
『最後に、卒業生、親友への言葉です。代表は壇上へ上がってください』
親友への言葉?そんなのあったっけ
誰が冗談に上がるのかキョロキョロと回りを見てみると、目の端で動く人がいた。その人を見てわたしは目を見開いた。その人物は、そのまま階段を上がり、演台の後ろに立ちそのまま一礼する。
「友人へ捧げる言葉、代表の
奈美は重い口調で話し始めた。
「私たちには共通してかけがえのない友人がいました。きっとこの学校には、彼女と話したことがない人はいない人はいないのではないかと思います。
私たちは三年の夏、彼女を亡くしました。その衝撃は、私たちが受け止めるにはあまりにも大きすぎました。きっと耐えられた人も、しっかりと受け止められた人もいたでしょう。それでも、多くの人が心に大きな穴を開ける結果となりました」
三年の夏、一人が事故で亡くしてしまったという話を聞いたことがある。あの日からみんなの元気がなくなり、わたしが何を言ってもみんなが今まで通りの元気を取り戻さなかった。
徐々に元気を取り戻したのは、冬に入って受験期に突入してからだ。それまではずっとみんな上の空状態で、秋の行事も身が入ってないようだったのを覚えている。
「あの子とは――
しかし最初からそうだったわけではありませんでした。中学一年生のとき、咲楽と私は同じクラスでしたが、あの子は教室の隅で一人でいるような人で、よく独り言を言っていた記憶があります」
その言葉に彼女を知る人達全員がその事実に信じられないという言うように少しざわつく。
その咲楽さんという人物は、奈美にとってかけがいない人物だったのだ。この今の今までそんな人がいたなんてわたしは知らなかった。
「逆に私は一人でいる人を放っておけないような人でした。咲楽に話しかけようと思ったそのきっかけは覚えていません。けど、きっと自分の性格上、放っておけないと思ったんだと思います。
私は彼女に話しかけました。彼女が誰かと話しているところを見たことがなかった私は、彼女と話すのがもっと難しいと思ってましたが、彼女は聞かれたことにははっきりと答えましたし、自分を持っている人でした。
私はその違いに触れ、いつの間にか彼女のことを知りたいと思っていました。気がつけば、私の隣にはいつも咲楽がいるようになりました」
覚えている。わたしは中学一年生のときは本当に誰とも話さなかった。その中で話しかけてきたのが奈美だった。
わたしはわざと他の人と関わりを持たないようにしていた。けど奈美だけはずっとわたしに話しかけてきた。
「咲楽はいつの日か私に言ってくれた言葉がありました。『奈美が隣にいてくれるから友達が増えたんだ』と。そう、私と咲楽の周りにはいつの間にかたくさんの人が集まるようになっていました。
中学三年のときには、彼女は学校一の有名人になっていました。それは、顔が特別良かったからとか、性格が他の人よりも良かったからとかそういう理由じゃありませんでした。
彼女は転校生や先生を含めて、中学校にいる人全ての人と話したからでした。それは挨拶をする程度ではありませんでした。一人ひとりに話題を出せるほどの思い出を作っていました。
彼女は、全ての人の信頼を勝ち取り、そして自分もみんなを信用し、全生徒の中心にいました」
わたしは中学校でみんなと思い出を作った。みんなはわたしのことを凄いって言ってくれる。けどそうできたきっかけは紛れもなく奈美なのだ。
奈美と二人で過ごした中で自分の中で大きな心境の変化があった。
わたしは小学生の頃、友達関係で苦い思い出があった。所詮小学生なのだから、そういう問題の一つや二つはあって当然だと言われてきた。もちろんわたしもそう思う。
小学生、一番煙たがられてた人が、中学校、一番皆に慕われるような人になった。
奈美は、人生で初めて心から友達と言える存在であると信じさせてくれた。それだけでわたしの心は救われた。
「咲楽がみんなに慕われるようになって、正直寂しくなってしました。このまま私から離れていくんじゃないかと怖かったんです。
けど彼女は私から離れることなくいつも隣にいてくれました。
高校に入っても咲楽は私といつも一緒にいてくれました。学校の人全員と友達になる。咲楽は入学してすぐそんなことを言ってました。
中学のときとすることは同じ。先生方から生徒の名簿を見せてもらって一生懸命に覚えてました。
正直、その熱意は何処から来るのか私にはわからなかったし、聞いても教えてくれることはありませんでした。
けど彼女はこう言ったと思います。
――奈美のおかげだよ。って」
当然、奈美のおかげでわたしは苦しみから乗り越えられることができたのだ。もっといろんな人に、わたしと同じ思いをしてほしい。
助けることがこれほどまで快感で、助けられることがこれほどまで救いになるのだと知ってほしい。
―――くるしみってなに?
ふとそんな声が聞こえた気がした。下を向いていた視線を上へ上げるとすぐ目の前に、――わたしがいた。
―――くるしみってなに?
その言葉を繰り返しながら。
「二年のとき別々のクラスになっても一緒にご飯を食べたり、帰ったり、話したりしました。
一年生との交流会のときに教室を飛び出したって話を聞いたときは流石に驚き、改めて思いました。そこまでする理由はなんなんだろうって」
わたしの苦しみはなんだろう。なんだったっけ。
あなたは何者?
―――わたしはきみ。きみはわたし。
わたしが、あなた?
―――きみはひとりじゃない。わたしもきみもふかんぜんだ。
「けど、私はそのことを聞くことはありませんでした。咲楽がいろんな人と話している場面を数多く見ることがありました。その場面が重なるごとに彼女の表情は良くなっていきました。
それでも彼女は私といつも一緒にいてくれました。自然と私は咲楽を守りたいと思うようになりました。咲楽が辛い思いをしないように、彼女が笑顔を崩さないように」
段々奈美の声に震えが含まれてきた。身体の奥底から溢れ出そうなものを必死に堪えているのが傍目からでもわかるほどだった。
わたしが不完全?あなたも?
―――きみのなまえは?
わたしの、名前……?
―――きみはなにものだ?
「咲楽はもっと幸せになれたはずです。彼氏もできて、学校の人全員とも友達になる目標まで達成できて、けど……けど……」
奈美のスピーチが途切れ、断続的な嗚咽が体育館に響く。堪えきれない思いが溢れ出る。
わたしは……だれ?
―――きみは、ふかんぜんなきおく。ぬけがら。
わたしは、きおく?あなたは……。
―――わたしは、――。
「あの子の……最後を、私は…私は…」
奈美はその場に膝から崩れ落ちた。それを見た奈美の友人たちが彼女のもとに駆け寄り、その丸くなった背中を擦っていた。
奈美!――っ、どいて!
―――めをそむけるな。
奈美が泣いているのよ!?どいてよ!
―――わたしからにげてはいけない。
あなたは何なのよ!?
―――わたしはきみ。もうひとつのきみ。
「皆ありがと。私は大丈夫。咲楽が亡くなったとき、私は委員会に呼ばれてて、桂山は部活でいませんでした。
彼女の近くに誰もいてあげられなかった!……私がいれば、助けてあげられたかもしれないのに……」
それはさっきも聞いた!答えになってない!
―――わすれたのか?しょうがくせいのくのうを。ひとりになったりゆうを。
そ、それは……。
―――わたしのなまえをきけ。
……い、いやだ。
―――わたしのなまえは、――。
「ねえ、咲楽。今咲楽は何処にいるの?天国?もう、私達の近くにはいてくれないの?……咲楽のいない世界なんて、辛すぎるよ――」
いやだっ!
―――だめだ、おもいだせ。なみのもとにいきたいなら。
い、いや。そんな、奈美のおかげでなくなったはずなのに!
―――なくならない。わたしをうけいれるんだ。
いや、いや、近づかないで!――痛っ!
―――おもいだせ。
そのまま真後ろに下がろうとして、椅子と一緒に後ろに倒れる。そしてわたしの手が、わたしの頭に触れる。
キモいんだよ!近づくな!
や、やめて。
いっつもブツブツ何か言ってさ、ちゃんと喋れよな!
わ、わたしじゃない。
この前――君を誘惑してたでしょ!人の彼氏取らないでよ!
違う!そんなことしてない!
うざい。キモい。近づかないで。どっかいって。触らないで!邪魔なんだけど。死ね。死ね。しーね。しーね!…………
『それ』がちゃんと表面上に出てきたのは、小学生の頃だった。もっと前から出てくれてたなら慣れたり、対処の仕様があっただろう。
けど小学生のわたしにはどうしようもなく、それに流されるままに過ごしていた。その結果がこの暴言の数々。
何を恐れてたのか知らないけど、きっとわたしの代わりに『それ』がやり返しにくると思ったんだろうか、直接的な暴力はなく、言葉でのいじめだけが広がっていた。
大人ですら助けてくれなかった。その影響で『それ』は日に日にわたしの中で大きくなっていった。
『それ』はいつもわたしに語りかけてくる。無視をしても永遠に話しかけてくる。黙ってもらおうと返事をする。そして気味悪がられる。
そんな負の連鎖の中、救い出してくれたのは奈美だった。中学に入ってもいなくなることがなかった『それ』と話しているわたしに話しかけてくれた初めての人だったのだ。
奈美と友達になってから、『それ』が出てくることはなかった。そう、奈美はわたしを暗闇から救い出してくれたのだ。
だからわたしは奈美の近くにいたいから多くの人と関わり、いろんな人を奈美のように救いたいと思ったんだ。
わたしはそんな大事なことを忘れていたのだ。なぜ?それは――
―――わたしたちがしんで、わかれてしてしまったから
わたしは死んでいる。秋から皆が元気をなくしていたのは、わたしがいなくなったから。
―――もう、おもいだしただろう?きみの、わたしたちのなまえは?
わたしたちは、
ガタンと椅子が倒れる。その方向を向くとその椅子は咲楽の席だった。
「……咲楽?ねえ、咲楽なの?」
咲楽はそこにいるのか。咲楽に会いたい。たとえ幽霊になってしまっているとしても、あんなお別れじゃ納得できない。
「咲楽ぁ。会いたいよぉっ!」
――奈美
「咲楽!」
ふわりと後ろから声が聞こえたような気がした。
――奈美
「咲楽!咲楽!咲楽ぁ」
――ごめんね
「あやまらないで。謝るのはこっちの方よ!」
――おいてっちゃったもん
「ほんとよ。咲楽がいないのにどうしろってんのよ」
――奈美ならだいじょうぶ
「大丈夫じゃないわよ。もう咲楽がいない生活なんてもうわかんない」
――わたしならいつも奈美の中にいるから
「そう信じろってこと?」
――そゆこと
「まったく、いっつも無茶ばっかり言って」
――そろそろ行かないと
「……そっか」
――もう、泣かないの
「な、泣いてないし!」
――ふふ、可愛い
「もう、やめてよね」
――じゃあ、またね
「……またね、ね。最後に咲楽と話せてよかった」
――わたしも、よかった
「ありがと」
――うん、ありがと。じゃあね
「…ばいばい」
心地よかった重さが抜けていくのを感じた。直感的に、咲楽はもうそこにいないのだとわかった。
そして、もう一生こんな機会も訪れないのだということもわかった。
「じゃあね、咲楽」
人生で二度と出会うことのない親友に、最後の、最期の別れと笑顔を届けた。
◆◇◆◇
「よう下井」
「あら、桂山」
卒業式が終わり、私達は校門を出る手前で会った。
「お前、最後に咲楽と会ったんだろ?」
「ええ。桂山の方には来なかったの?」
「…ああ」
「あら、それは可哀想に」
「うるせ。別にあいつが最後に会いたいと思ったんならそれで俺も十分だ」
そうは言っているが、強がっているのが丸わかりだ。私は手に持った手紙を桂山に渡した。
「なんだこれ?」
「さあ、知らない」
「知らないって…」
「さっき私の下駄箱に入ってたの。封筒には桂山に渡してって書いてあったから渡しただけ」
「そうか」
シールを丁寧に剥がし、白い封筒の中から一枚の手紙を取り出す。そこには、薄く大きな文字で一言だけ書かれていた。
「……ありがとう、な。まったく……咲楽ってやつは…」
「いつ書いたのかしらね」
「…たしかにな」
心地よい風が頬を撫で、上空へと吹き上がる。燦々と照る太陽が私達の影を作り、青く清々しい空を彩っていた。
最後のあの日を aciaクキ @41-29
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