告白まで、あとn時間

明石 裕司

第1話

 下駄箱に何かが入っている。

 二つ折りにされたノートのページらしい。長方形の長い辺の一方に、破れた跡がある。

 恐る恐る手に取り、開く。


『放課後、体育館裏で待ってる』


 その一言が、走り書きのように書いてあった。字は雑だが、読み間違えるほど汚くもない。

 一旦紙を下駄箱に戻す。

 深呼吸をしてから紙をもう一度取り出し開いてみるが、そんなことで文字は変わるはずもない。

 この言葉から察しない人間は、よほど鈍感な人くらいだが、あいにく自分はそうではないらしい。

「これ、『告白』……?」

 七月、クマゼミの声がちらほら聞こえる夏の朝。

 手元の紙を見ながら、滝川花澄は、昇降口でひとりつぶやいた。


 告白まで、あと8時間。



 教室のドアをくぐり、いつも通りの席に座る。そのまま流れるように一限の準備を進める。

「どうしたんだ、朝から」

「ふぇっ!」

 一通り用意が済んだところで、横から声がかかった。

 汗もかきそうなほど暑いのに、一瞬寒気がした。

「あ、千田か……」

 隣の席に座る彼、千田渡は、少々呆れた顔でこちらを見ていた。

「そこまで驚くことでもないだろ」

「いや、その……」

 渡と一瞬目が合ったが慌てて逸らす。手紙のことを頭から追いやるため、何も考えないようにしていたとは、口が裂けても言えない。

 だがそれは逆効果だったようで、

「なんかあったのか?」

 余計な心配をかけてしまったらしい。

 真剣にこちらをうかがうような瞳に、なんだか申し訳なくなってしまう。

「き、気にしないで。ちょっと考え事してただけ……」

 もう一度、渡の目をかすめるように見て、ぎこちなく答える。

 本当はここで軽く微笑んだりした方が渡の心配は拭えるだろう。だがそうしようにも、表情筋がうまく動いてくれなかった。

 結果的に、ぶすっとした顔で軽くあしらっただけになってしまった。

「……ふーん、ならいんだけど」

 ちょっと機嫌を悪くしてしまったのか、渡はそれだけ言うと席に座ってしまった。渡は一番窓側の席で、窓から吹き込む風に髪をなびかせている。

 昔から、表情が全然変わらないこと。それは、花澄のコンプレックスだ。

 自分の頬を触りながら、この表情筋に少しだけ恨みを持った。

 そんなことをしたところで、もちろん表情が豊かになるかと言われればそうでもない。すぐに頬から手を離し、今度はその手でバッグを漁る。

「千田、今日、数学の宿題って、ないよね?」

 そちらには目を向けず、渡に確認をとる。

「……え、あるけど」

 ピク、と花澄の手が止まる。

「……ほんと?」

 今度は渡の方に首を動かして、聞いてみる。首と一緒に、肩まで届かぬ髪がさらりと揺れた。

「ああ。言ってたぞ」

「ちなみに、範囲は……」

「お前、やってないだろ、今日の課題」

 だが、花澄の質問に答える前に、渡が少し声を下げて聞いてくる。

「……」

 花澄は押し黙ってしまう。理由は単純、図星だからだ。

昨日はソファでだらだらしていたら、いつの間にか寝てしまっていた。おかげで、朝はドタバタと家を出て、髪の寝癖が目立ってしまっている。当然宿題など、終わっているはずがない。

「またか……」

「ま、またじゃないし。まだ10回目だし……」

「10回は多いだろ!」

 入学して3か月。一度も席替えをしておらず、これまで過去9回、渡に数学の課題を見せてもらっている。ちなみに、それ以外の教科も含めると、渡に助けてもらった回数はその倍以上になる。

「なんでそんなに忘れられるんだよ」

「……ゴロゴロしてた」

 渡が、ジト目をこちらに向けているのが、そちらを見なくても伝わってきた。

「いや、ゴロゴロする前に課題しろよ」

「うん……」

 うつむいていて渡の顔は見えないが、だいぶ呆れているのだろう。

 椅子を引きずる音がしたかと思うと、足音がこちらへ向かってくる。

 何か言われる、と身構える。しかし、声がする前に、花澄の机に教科書が置かれた。

「はぁ……範囲は、ここからここ」

 そのままため息をつくと、教科書を指さして、範囲を指示してくれた。

「で、これが俺のノート」

 そう言って、自分のバッグから取り出したノートを、べらべらめくる。

 なんだかんだ言って、ノートを見せてくれるらしい。

 少し待っていると、ページをめくる手が止まる。目的のページを開いたのかと思ったが、なぜか渡の顔も固まっている。

 何かあったのかと覗き込もうと思ったら、先にノートをぱたんと閉じられた。

「あー、えっと……すまん、今日やってなかった」

 そして、おずおずという様子で謝ってきた。

「どういうこと?」

 思わず、聞き返してしまう。

「やったと思ってたら、やってなかったんだよ……」

「……夢でも見てたの?」

 花澄は今まで、渡が宿題を忘れたところを見たことがない。普段から頼っているのも、渡がいつもやっていると知っているからだ。

 その渡が忘れたのだ。もし告白の手紙がなかったら、ほぼ間違いなく今日のトップニュースになっていただろう。

「疲れてたからな、昨日。本当に夢だったのかも」

 渡は、深めのため息をついている。

「私は夢の中で宿題なんてしたくない……」

「いや、滝川は普段からしてないじゃん」

「そ、それは……」

 またも正論、目を逸らしてしまう。何度もノートを借りているから、バレるのは当然のことと言える。

 逸らした目線のやり場に困り、廊下の方をうかがってみる。するとちょうどそのタイミングで、よく知った顔が教室に入ってきた。

「かすみ~!」

 元気いっぱいの声を発しながら、手をぶんぶん振ってくる。

「あ、おはよ、美智」

 近づいてくる美智に向かって、こちらも手を振る。

「あ、千田君も、おはよう!」

「おはよう」

 そのまま花澄の目の前まで来た女の子、光村美智は花澄と違い、社交性がとても高い。クラスが始まってひと月経たないうちに、クラス全員と仲良くなっていた気がする。

 普段からこんな風に明るい、クラスの人気者、というやつだ。

「ねえねえ聞いてよ~」

 だが今日はなぜか少しうなだれていて、力なく、花澄の隣に座る。

 花澄と美智が仲良くなれたのは、やはりこの隣同士、というのが大きかった。

「昨日、健太が突然電話かけてきてね。話してたら寝落ちてて、宿題やってないの……」

「え、美智も?」

 どうやら今日は、身近な人が宿題を忘れる日らしい。

「そうなの……」

 しかし、言葉と裏腹に、その声はどこか、明るい気がした。

「でも、声嬉しそう」

「そりゃもちろん! だって健太と何時間も話せたんだよ?」

 花澄の言葉に、すかさず反応してくる。彼の話題に触れると、美智の目は輝いた。

 ちなみに、健太というのは、美智の彼氏だ。何度か二人でいるところを見たことがあるが、そのたびに、こちらが砂糖を吐いてしまうんじゃないかと思うくらい、じゃれ合っている。

「……やっぱり、今日も惚気」

「てへ!」

 美智が軽くウインクをする。

 美智が話す内容の3分の1は、彼氏との惚気だ。

「それで、どんな話したの?」

「えーっとね、まず――」

 そこから、昨日の話を聞かせてくれた。夜、突然電話がかかってきたこと。最近少し会えていなかった分、近況や気持ちを伝えるのに時間がかかったこと。そして、気づけば寝てしまっていたこと。

 ほんのり頬を赤らめて、いきいきと話す彼女の姿は、かわいくて、愛らしくて。

(あんな顔、私にはできないし。ちょっと憧れる……)

 つい、ずっと見ていたくなってしまう。

 だが、そうもいかず、予鈴が教室に響いた。

「あ、じゃあお昼にでも続き話すね!」

「うん」

 軽い別れの挨拶を済ませ、椅子を前向きに直す。そのままなんとなくぐるりと教室を見回すと、渡と目が合った。

「……っ‼ な、なんでもない……」

 だが、すぐに目を逸らされた。

 気になって聞こうとしてみたが、その前にドアが開き、先生が入ってきた。

「おーい、お前ら、宿題のノート出せー」

 そして、やはり宿題はあったようで、周りの子はどんどん後ろからノートを前に送っている。

 花澄は、自分に後ろからノートが回ってくると、すかさず前に送った。

 左右の二人も、同じような動きだった。

「じゃあ今日出せてないやつは、放課後までには出せよ」

 先生が言い終わったタイミングで、今度は本鈴が鳴った。

 クラスの委員長が言う。

「起立、礼」


 告白まで、あと7時間。

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