Episode262 懇々先生からのご教授
あの
来ても全く不思議ではない人物と廊下で遭遇した。
「あら、春日井さまじゃないですか。こんにちは」
「え、ゆ……ね……待ってこれどっちで呼べばいい?」
「まだ猫宮でお願いします」
「こんにちは、猫宮さん。というかここでそんな格好で何してるの?」
若干戸惑っている様子の春日井に首を傾げる。
ん? 緋凰、私のこと春日井に話してないの?
ちなみに春日井の言う今の私の格好とは、夏に自宅で過ごすコーデらしくTシャツ短パン姿の、『自堕落! でもこれが楽なんです!』コーデ(当然の如くサングラスは装備中)。
まあ明らかにパッと見、わざわざ外から遊びに来ているような恰好ではないな。
「お聞きになっていませんか? 私いま緋凰さまのお宅で、夏の緋凰式運動能力向上大合宿中なんです!」
「何て?」
「いえ、ですから緋凰式運動能力こ…」
「いや合宿って言ったよね? もしかして宿泊してるの?」
「はい」
「いつから?」
「は、八月入って、すぐですけど……?」
私の返答が少々まごついたのは、相手のお顔が真顔になりかけだからである。そして答えを聞いた春日井の顔が完全に真顔になった。
「……三週間も陽翔の家で?」
「きゃ、客間でお世話になっております」
「当たりま……いや、それも違う。どういうこと? 陽翔と婚約するつもりなの?」
「はい!?」
何で!? どうしてそうなる!?
「何言ってるんですか! 違います違います! お互いそんな気は全く微塵も欠片もゴマ粒ほどもないことだけは、お口を大にして言えます!!」
「そんな気はなくても外から見…………どうしてそんなことになって…」
「夕紀? そんなところでどう、した」
私達の騒いでいる声が聞こえたのか、春日井の到着を知らされたものの、来ないから見に来たのか。
どっちかは知らないが、緋凰が二階の階段手すりから見下ろして呼び掛けたのが途中詰まったのは、今度は真顔の春日井がそちらを向いたからで。
「陽翔、僕これ聞いてない」
『これ』と言うのが私の存在なのか、私が宿泊していることなのか。
突き詰めれば全部私ということになるが、そんな細かいことは危機管理能力がビンビンに働いている今、口にすることはできなかった。けれど黙っていたところで喉の渇きは潤せない。
「あの、すみません。私はちょっとミネラルウォーターを頂きに離脱s」
「陽翔の部屋に持ってきてもらうようにするから、このまま一緒に行こうか。陽翔、一緒でいいよね?」
「……あ、ああ」
私と緋凰の中ではもう慣れたことになっていて、第三者の目から見てこの状態がどういう風に見えてしまうのかを、春日井によって懇々懇々懇々懇々と思い出させられる羽目になった。
「――――つまり、紅霧学院に合格したいから陽翔に特訓を依頼して? 陽翔は夏休みで猫宮さんの基礎を固めるために徹底的にしようとして、泊まり込みになって? それで三週間と少し、と言うのが現状ってことで合ってるかな?」
「……合っています……」
「……違いねぇ」
緋凰の私室に入った途端、キラキラスマイルで事の次第を問うてきた春日井に対し、二人で自然と正座してボソボソと説明したらかなり要約されて返ってきた確認内容を聞いて、間違いないと揃って頷く。
はあと大きな溜息を吐かれ、ビクリとする正座二名。
「色々と言いたいことは山ほどあるんだけど……まず猫宮さん。よくご家族が許したね?」
「あ、それに関してはちゃんと初日にお目付け役がおりまして、お許しをもらっています。あ、いえ奏多お兄様が一日だけ一緒におりました」
「え? か……一緒だったの?」
「はい」
つい兄と言いそうになって奏多お兄様と言い直したが、お兄様が宿泊許可のお目付け役だったと聞いて、余計に春日井は混乱したようだ。
「あの人、許可したんだ……。ちょっと何を考えてるのかよく分からないな……」と呟いている。
それは私も思いました。ベッドに潜り込んだりそこにダイブすることや、私が恋愛経験値を稼いだりするのはダメなのに、親のいない異性のお家に長期宿泊はオッケーだったの、お兄様にとってのダメの基準がさっぱりです。私にとっては都合が良かったけど。
「私が思うに、お受験だから大目に見られたのではないかと。奏多お兄様も今年の夏は色々とお忙しいですし、私の運動能力を短期間で何とか合格レベルまで引き上げることができるの、身近な人間では緋凰さまくらいしかいらっしゃらないじゃないですか。だからだと思います」
「猫宮さん、そんなに紅霧学院に行きたいの? 聖天付属だったら銀霜学院の方が確実だと思うけど」
「貴方でそれを言われるの何人目になるでしょうか? 最早耳タコです。私にはちゃんと私なりの理由があって、紅霧学院での受験を希望しています。運動能力がアレだからじゃあ銀霜にしようだなんて、そんないい加減な決め方はしません」
そこはハッキリとした口調で告げると、ハッとした顔をする。
「あ、いやそういう意味じゃ」
「解っています。皆さんは事実を口にされているだけです。ただ……まぁ、そうですね。私も初め特訓するにあたっては、自宅からこちらへ通うという形で提案させて頂いたのですが、緋凰さまが」
皆まで言わず隣に視線を向けると、気付いた緋凰が言を継いだ。
「通いってなると、全部が中途半端になんだろ。俺はやるからには徹底的にがモットーだ」
「いつからそれがモットーに」
「見ろ夕紀。これが俺の立てた、亀子の陸上基礎固めスケジュール計画表だ」
毎日確認している例の緋凰お手製緻密計画表を懐から取り出し、春日井へと手渡す緋凰。
もしかしなくてもコイツ、あれ毎日持ち歩いていたのか。初めて知った。
私なんてずっと部屋におきっぱで、確認なんて朝だけしかしてない。だってあんなのをずっと見てたら頭が痛くなる。それを実行する人間である私は特に。
そしてさすがお兄様をしても「すごいね……」の一言しか出てこなかった計画表。
春日井も「すごいね……」としか言葉が出てきていない。
「あー、うん。何で奏多さんが許可したのか分かった。これじゃあ何も言えないね……」
「今のところはまあまあ順調だ。コイツがへばりさえしなきゃな」
「予定外の二倍さえなければ順調だと思います」
あれは本気で死んだ。まさか【香桜華会】以外で屍になるなんて思わなかった。本当に中学生時代の思い出のほとんどが屍になりそうだ。
正座のまま、お手伝いさんに運んできてもらったスポーツドリンクを飲む。
ちなみにどうして飲み物がこれなのかと言うと、部屋に入って呼んだお手伝いさんにミネラルウォーターを所望しようとしたら、緋凰に「お前はスポーツドリンクだ」と言われたためだ。
飲み物くらい好きに飲まさせて下さいよ……。美味しいけど……。
「あのさ二人とも。僕がこうして口出しする理由、分かるかな? 二人がどういう仲かを知っているから僕はあれでも、他の人間から見たらどう思われるかなんて、想像つくよね? そういうの考えなかった?」
「別に……。ウチの人間には説明してるし」
「まあ特訓で出る以外は、お家に閉じこもっていたら大丈夫かなと。それに緋凰さまお友達全然いないですから、来ても貴方くらいしかいないなと思いまして。実際そうでしたし」
「人間評価マイナスだな、宇宙人」
「事実を述べただけなのに、何故私が人間としてマイナス評価をされなければならないのか」
両者の間でバチッと音を立てて火花が散ろうとしていたが、それを止めたのは相も変わらず仲裁役の春日井で。
「はいはい。まあここの人達って口が堅いので有名だから、外部に漏れるって心配はないかもしれないけど。でもどこで誰が見ているか分からないんだから、注意しないといけないのは二人とも、分かるよね? 僕でさえ『えっ』て思ったんだから、他人から見たらもう……はっきり言うけど、婚約者が交流目的と花嫁修業で来ているとしか思われないよ」
「「えっ」」
「えっじゃないよ」
私と緋凰の反応に呆れている春日井だが、まさかそんなに内容飛躍する!? お出掛けしているのを見られた場合、いってもせいぜいお付き合いしてるとか、そのくらいだと思ってたんだけど!?
「コイツと婚約なんざする訳ねぇだろ!?」
「それはこちらの台詞です! 何が悲しくてそんな根も葉も芽もない与太認識されなきゃならないんですか!?」
「だからそれくらい危険なことだって言っているんだ。周囲の認識が本人の意図しないところで、巡り巡って首を締めることになる。陽翔に聞くけど、僕が学院で女子と一対一になっているの、見たことある?」
「ね、ねぇ」
「そうだろ? 勝手に憶測立てられて吹聴されたり、それを利用されて外堀を埋められたりされることが迷惑だから、いつも気を付けているんだ。まぁ奏多さんは二人を信用して、許可したんだろうけど……」
春日井も自分に出された飲み物を口にした。
彼のはレモネードである。美味しそう。
「陽翔も、猫宮さんも。多分『周囲がそう思っても本当は違うんだし、まあ大丈夫か』くらいに思ってると思うんだけど」
言われたお互いの肩が揺れる。そして次に春日井が放った言葉は、お互いにとって自分たちがどれほど甘い認識をしていたのかを思い知らされる刃となった。
「それが本当のことじゃなくても。絶対に、そうと思って欲しくない人は居るんじゃなかった? 二人とも」
「「!」」
「陽翔。彼女はちゃんと、そういう線引きをする人だよ。……かなり以前に僕がそれで言われた件、覚えてるだろ?」
「…………」
「猫宮さん」
「は、はい」
真剣な眼差しにひたと見つめられる。
「猫宮さんの運動能力的に、それが一番の方法だと考えたのは分かる。僕も連絡もらった時、ちゃんと聞いておけば良かったと思っている。そう。猫宮さんから来る連絡でその時じゃなく、切った後で君が突飛なことを言い出すのなんて、これまでの経験上すでに分かりきっていたことだった」
「ちょっと私だけ多くないですか」
「猫宮さんは濁さず言わないと、ちゃんと解ってくれないからね。初めに特訓を言い出したのは猫宮さんだし、それを引き受けた陽翔が効率を第一に考えて、合宿の形にしたのは聞いて本当にそうなんだろうなって判るよ。君たちとは何年の付き合いだと思ってるの」
「はい……」
「…………ハア」
溜息吐かないで下さい……。ああ何かもう胃がキリキリしてきた……。
「想像してみればいいよ。彼がもし猫宮さんと同じことをしたら、君はどう思うのかを」
しろと言われたのでやってみる。
そして想像力が豊かな私はすぐに打ちのめされた。ショックなんて言葉じゃ片付けられない。
裏エースくんが見知らぬ女子と二人でイチャコラしながら仲良くしている(※私と緋凰はしていないのに何故かそうなった)のを見せつけられて、それを遠くから見ていた私は、屍通り越して土に還って風に飛ばされていた。
「ひどい! 私だけしかいないって、そう言ったじゃないですかああぁぁ……!!」
「何をどこまで想像してるの。ちょっと帰ってきて」
両手で顔を覆って嘆いていたら肩を軽く揺さぶられて、意識が現実へと帰ってくる。
「うぅっ……戻りました……。私……私っ、何てことを……!」
「……うん。まあ、そう言うことだよ。解った?」
「解りました……」
解ったことで、たっくんと再会した時のことも思い出される。たっくんは緋凰と知り合いであることを裏エースくんに話しているかと聞いてきた。
あれは、あれはこういうことだったのか……! だったら言ってほしかったよ、たっくん!
あれ、でも待ってよ。たっくんは私が緋凰に受験の特訓を受けていることを知っただけで、宿泊しているなんて知らない。
それなのに、ああ言われたということは……。
「ヤバい……。大魔王から破廉恥報復される……」
「もう一回帰ってきてくれる?」
真っ赤になればいいのか、真っ青になればいいのか。
取り敢えず再度スポーツドリンクを飲んで一旦落ち着いた私は、正座仲間も飲み物を飲んで落ち着こうとしていることに気付く。ちなみに緋凰のはウバのアイスティーだ。
うん、今が旬で美味しいよね、その紅茶……。
同じ生活圏で過ごしているからか行動も何だかシンクロしがちになっている私と緋凰は、お互いに項垂れるしかなかった。
世間の想像力とは私達が思っている以上に真実から遠く飛躍するものだと、先生から教えてもらったのだから。
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