Episode219 それぞれが向き合う相手
紹介を終えて席に着き、白鴎夫人がウェイターに声を掛け予約したコース料理が運ばれて来るのを待つ間、正面に座す彼女は静かな微笑みを乗せて、お母様と私を交互に見てくる。
「ふふ。よく似ていらっしゃるわ。ご長男も家によく遊びに来られるけど、咲子さまととても似た顔立ちをされているもの。本当に百合宮家の血は濃くて強いのね。咲子さまも、
白鴎夫人はお母様と今まで疎遠だったことなんて微塵も感じさせない程、とても気さくに言葉を紡ぐ。その気さくさは、白鴎家の長男である佳月さまを思い起こさせた。
私もお母様も淑女の微笑みでそれを受け、お母様が返答をされる。
「ありがとうございます。雅さまにもお会いする度にそう言われているわ。でもよく探せば、夫に似ているところもあったりしますのよ」
「……そうなのね」
お母様がにこりと笑んで答えたことに、僅かな間が空いて白鴎夫人が返答される。表情は変わらず静かに微笑んでおり、特に変わったご様子ではない。
料理が運ばれてきて一旦会話はそこで終わり、黙々とコース料理を堪能する。その間、小学生の時に培ってきた給食時の観察をここでも密かに行う。
雰囲気としては穏やかな空気が漂っているが、少々固いような気もする。それは白鴎夫人ではなく、お母様の方。
向き合うと決心してドキドキして来たのに、相手があまりにも気さくに接してくるから自分だけが気にしているのかと、内心葛藤しているのだろうか?
まあでも、あるよね。自分はすごく気にしていたのに、相手はそんなに気にしていなかったってこと。二人もそれに該当するのだろうか?
「――――雅さまはお元気?」
唐突に、白鴎夫人からそんな問いが発せられた。
ローストされたお肉を口に運ぶ途中、お皿へと戻してお母様が微笑む。
「ええ。お元気にされているわ。最近も次女の洋服を購入するのに、一緒にお買い物もしたりしたの。学生時代は雅さまも水泳でお忙しかったけれど、今の方がその時よりも一緒に過ごしているかもしれないわね」
「そう。ふふ、雅さまが羨ましいわ。……ああ、そうだわ。美麗さまもお元気そうだった? 私、大学を卒業してから彼女たちとはまったく会わないから、どんなご様子でいらっしゃるのか分からないの」
何故か隣の空気が、少し張り詰めた。
「……どうして美麗さまだけなの? 樹里さまや、蘭子さんとだって親しかったでしょう?」
「あら、何か間違ったかしら? 咲子さまだってそのお二人とはお会いしていないじゃない。だから確か、一昨年よね? 美麗さまとはお会いしていたでしょう?」
「……」
「ふふ。どこのご夫人がどこのご夫人とお付き合いがあるかくらいの把握は、社交においての基本でしょう? おかしなことではない筈よ?」
……何だ。聞いているだけでは普通の会話にしか聞こえないのに、微笑みを保ったまま空気を固くするお母様のご様子のせいで、何だかこっちも落ち着かない。
と、白鴎夫人の顔がこちらを向いた。
「花蓮さんはそう思わない?」
「えっ。そう、ですね。特に……親しい方ならどのようにされているのか、気になるものだと思います」
「そうよね」
同意を得られて嬉しそうに笑みを深める、白鴎夫人。
遠目から密かにこちらを窺っているお客から、ほぅ……と魅了を帯びた溜息を吐く音が聞こえる。
「そうだわ。花蓮さんはいま、どちらの中学校にお通いになられているのかしら? 聖天学院ではないでしょう?」
「はい。香桜女学院に通っております」
返答後、夫人の目が僅かに細まったような気がした。
「……そう。女学院に。女子校の中では有名な進学校よね? 中高一貫で確か、全寮制のところ」
「静香さま」
私を見ていた顔がお母様の呼び掛けを受けて、再びそちらへと向けられる。
「私は娘を連れてきましたけれど。静香さまは本日、お一人?」
その問い掛けにドキリとする。
私がいたら心強いと仰っていたお母様だが、私がいるからこそ多分、当時の話ができないのだと思う。日程を決める時、事前に人数などは話していた筈。
ちらりと、視線を正面に向ける。
婦人二人が正面に向かい合うように座る中で、私の正面には――――空席一脚。
予約をしているから、その人数分の椅子が予め用意されているのは当たり前。明らかに向こう側で、誰かあと一人いる。
けれど私達が到着してすぐに料理を運んでくるように伝えていたことで、敢えて考えないようにしていた。白鴎側はご夫人お一人なのだと。
――お兄様からあの日言われたことが脳裏に甦る。
『いつまでも逃げてはいられない』
『今日は会わなかったけど次にその機会が訪れた時、しっかりと彼と向き合いなさい。向き合うことで花蓮が抱いている“怖い”以外のものが見えて、それが無くなる可能性もあるだろう?』
お母様が白鴎夫人と向き合おうとしている。
そして私も、詩月に向き合うと決めている。
夫人は暫くお母様を見つめて……ゆうるりと、微笑んだ。
「いいえ。息子が来るわ」
――っ!
「既に前の時間に予定が入っていたから、遅れて来るの。だから花蓮さん。息子が来て食事が終わった後、最上階にあるアートフロアを一緒に巡ってみたらどうかしら? 世界から集めた美術品を展示されているようだから、とても楽しめるのではないかと思うわ」
上品に、穏やかに微笑まれて提案されているのに、何だか蛇に睨まれたカエルのような心地になる。
解る。当時のことを話せないから、他の人間と時間を潰させようとさせるのは。
息子。どっち?
佳月さまか。それとも、詩月か。
「そうですね。美術品を鑑賞するのは好きですので、ご令息がよろしければ」
「あら、ふふふ。花蓮さんのように可愛らしくて淑やかな方となら、息子も楽しく過ごせる筈よ」
「ありがとうございます」
それは本心なのか社交辞令なのか分からないけれど、何とか淑女の微笑みを貼りつけて対応できた。
――ああ、いやだ
来る可能性があるとはっきりした途端、胃がキリキリと痛み出す。ナイフとフォークを動かして口へと運ぶも、味がよく分からない。
お母様と白鴎夫人と一緒なら、まだ冷静さを保てられると思う。けど二人と離れてしまった時、もし来るのが詩月で二人きりになってしまったら。私は……冷静でいられる?
車内から見つめていた、怜悧な美貌の顔。
心の奥がキシリと音を立てたような気がするが、咀嚼したものと一緒に飲み込む。
……大丈夫。私には裏エースくんがいる。離れているけれど、気持ちは繋がっている。婚約さえしなければ私と詩月は始まらない。月編なんて、始まらない。
――……お前のために、俺は――……
どこかで響いた声に、思わず身体が硬直した。
「花蓮ちゃん?」
私のちょっとした変化を感じ取ったらしいお母様に呼ばれてゆっくりと二人のご婦人を見ても、不思議そうに私を見つめているだけで、他のことを気にしている様子はない。
それに妙な焦燥を覚えた私は、上手く微笑みを作れずに二人へと問い掛けた。
「あの。いま何か、声が聞こえませんでしたか?」
「声? 他のお客様の?」
「いえ、そういうのではなくて何か、男の人の」
「……私は、聞こえなかったわ」
お母様も白鴎夫人も知らない、私だけが聞こえた声。
胃が、キリキリする。
「……すみません。少し、お手洗いに行ってきます」
頷く二人にそっと席を立って、レストランから出て宣言通りまっすぐトイレを目指す。ホテルの共有女子トイレに入って個室へと駆け込み、震える手で持ってきていた携帯を手に取り操作する。
ダメだ。ダメ! こんな不安定な情緒になっている時に、白鴎と向き合うことなんてできない……っ!!
プチパニックになっている頭では誰に助けを求めれば良いのかすぐに出てこず、けれど向き合うように背中を押してくれたお兄様だけは絶対に駄目だと思って、震えて覚束ない指で必死に画面をスクロールする。
すると唯一、この場から助けてくれそうな人物の名前が目に留まった。相手の都合など考える余裕もなく通話アイコンをタップして、耳に当てて相手が出てくれるのを必死に祈る。
お願い、お願い! 出て!
けれど必死の祈りも空しく何度目かのコールの後、留守電の応答メッセージが聞こえてきて本気で泣きそうになる。
それでも留守電メッセージに吹き込めば良かったのだが、混乱中の頭では焦るばかりで何も残さず切ってしまい、どうにかしてここに来てもらうことばかりを考えていて、別の方法で相手に伝える手段を取った。
「えっと、えっと、<いま、サトバノグランドホテル、トイレの中、たすけて>……えいっ、届け!!」
後から冷静になって考えればどう見てもアレな文章だったが、震える指ではこれしか打てなかったのだ。
携帯を握りしめてジッとしていると、結構すぐに折り返しが掛かってきて、息つく間もなく速攻で出た。
「もしもし麗花! 助けて!!」
『ちょっ、なん……ですの、いきなり! っ、たすけ、って』
「あのね! あの、いますごく麗花に助けてほしくて麗花にしか頼めなくて、すごく困ってて、そのホテルの三十八階…………え? あれ待って、何か麗花、声変じゃない? もしかして泣い<ブツッ>……あ?」
電話の向こうの様子をおかしく思って訊ねようとした瞬間、何も聞こえなくなった。
恐る恐る耳から離して画面を見れば、真っ暗な状態で。
まさかと思い何度も電源を入れようとボタンを長押ししても、小さな薄い長方形に再び明かりが灯ることはなく。
……何でよりにもよってこんな時に充電がなくなるのおおぉぉぉ!!?
出掛ける前に鈴ちゃんとブロック消しゲームで遊んで、大量に減らしていたことが原因だと思い至るのは、本日という日を終える頃。
そうしてトイレに立て籠もって今はただ、真っ暗な画面を呆然と見つめるしかない私であった。
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