Episode215 お父様のおヒゲと貴方の夏のご予定は
冬期休暇以来となる帰省に、お父様を除く家族とお手伝いさんたちに温かく迎えられた私。
小学校時代にはいつも玄関で鈴ちゃんに飛び付いて出迎えられていたが、お母様が傍にいる時にやったら淑女高説をされるからかすっかり落ち着いており、大学一年生となっているお兄様から頭を撫でられるのは変わらずに、リビングへと向かって様々なことをお話しした。
「そう言えば鈴ちゃん。暫く見ない内にまた背が伸びたね?」
「はい! 鈴はいま、成長期なのです!」
胸を張ってフンスと鼻を鳴らしている鈴ちゃん。やっぱり子どもの成長は早いのか、暫く見なかったらサイズ感がえらく違うように見える。
ふと正面のソファにお母様と並んで座っているお兄様を見れば、彼の方は前に会った時とあまり変化がみられない。
「お兄様はもう伸びないんですね。そこで打ち止めですか」
「花蓮は僕のことを巨人族か何かと勘違いしているのかな? 僕は普通に人間だから、さすがにもう成長期は通り越したよ」
「でも奏多さん、まだおヒゲは生えないわよねぇ。あの人、奏多さんにおヒゲが生えたらお揃いの形にするって、とても楽しみにしているのに」
「ハハハ。父さんには悪いけど、僕としてはそんなお揃いは嫌ですね」
お父様の楽しみを乾いた笑いとともに、スパッとナイフでぶった切ったお兄様。ふむ、お父様がご帰宅されたらヒゲの形状を一番に確認しなければ。
そしてお母様だが、やはり何年経とうともその美貌に衰えが見えない。歳は取っている筈なのに、二十代後半と言われても不思議ではない。
私達三兄妹は百合宮の血が濃く出ていて、普通に年齢相当のおじさんの顔をしているお父様の影響はどこにも見当たらない。強いて言えば細身なところくらいか。
それを考慮すると、お兄様におヒゲが生えてくるのは大分先になるのではないだろうか?
これはお兄様の男性フェロモンが仕事をしていないのか、百合宮の血が仕事をし過ぎているのか。とても気になる謎である。
「お母様。お祖父さまのおヒゲはいつ頃生え始めたか、覚えてます?」
「え? そうね…………あら? ヒゲ、生えてたかしら……?」
「え」
首を傾げてその記憶を思い出そうとするお母様だが、ポツリと漏らした内容にお兄様が一瞬真顔になったのを目撃する。
本人は生えてこないのを密かに気にしていたようだ。お父様とのお揃いは拒否だが、ヒゲ自体は生やしたいらしい。
「私達は女の子で良かったね、鈴ちゃん」
「? はい! お姉さまとお揃いです!」
一瞬キョトンとした鈴ちゃんだったが、二パッと笑って答えたことに、久方ぶりに心臓をドキュンと打ち抜かれてしまった。相変わらずウチの妹が超絶可愛いです……!
お互いにギュッとし合っていると、お兄様からふと思い出したように。
「あ、そうそう。花蓮、学院では
「同学年のみならず、どうして離れて暮らしているお兄様の元にまでそのあだ名が!?」
信じられないとカッと目を見開いて問えば、何の気もなさそうに肩を竦められる。
「瑠璃子ちゃんからそう聞いているよ。まぁ僕も百合の貴公子なんて恥ずかしいあだ名を付けられているんだから、妹もそうじゃないとやっぱり納得できないよね」
「おかしいですよねその発言!? とんだ暴論ですよね!?」
というか瑠璃ちゃん! 本当に彼女には翼欧女学院で
昔は麗花とお兄様がサロンでコソコソ情報共有していたのに、今度は瑠璃ちゃんがお兄様とコソコソ情報共有しているってどういうこと!? ……ハッ!
「鈴ちゃん!? 鈴ちゃんは何か変なあだ名とか付けられてない!?」
慌てて確認すると、超絶可愛い妹は途端にスンッとした表情となった。
「……」
「歌鈴はベル・カサブランカだってさ」
だんまりしていたのにお兄様に暴露された鈴ちゃんが、プゥッと頬を膨らませて抗議する。
「お兄さま! 何で言っちゃうんですか!?」
「いま言わなくても遅かれ早かれ、どうせバレるだろ」
「鈴はそんなあだ名認めてません!」
「僕だって百合の貴公子とか認めてない。気づいた時には消そうにももう遅かったんだ」
「ふぬぅ!!」
我慢ならずに座ったままタシタシと床を足踏みして地団太踏む鈴ちゃんに、お母様から「お行儀が悪いわよ!」と注意が飛んだ。
ベル・カサブランカ。
これは間違いなく、鈴ちゃんがあの時やらかした踏みつけ事件から来ているものと察した。
カサブランカはオランダで改良された、ユリ科ユリ属の栽培品種の一つ。その別名は『百合の女王』と呼ばれ、その多くは純白で大輪の百合の花をつけると言う。
一部から野蛮人と評される私と違い、彼女の振舞いは多くの目には野蛮ではなく
「あらあら。三人ともそんなあだ名を付けられるほど、皆さんに好かれているのねぇ」
「そう仰られるお母様には、個人的に付けられたあだ名はなかったのでしょうか?」
「……」
「母さん」
「お母さま」
無言で静かに微笑むお母様に三兄妹からの視線が突き刺さるも、外見年齢と実年齢が比例していないお母様の踏んだ場数は三兄妹とは比べるまでもなく、圧に負けることなく頑として黙秘を貫き通していた。母は強し。
それからの時間は荷物の整理をしたり、久しぶりのお兄様のお部屋に侵入してベッドに転がってそれを見つかって怒られたり、鈴ちゃんの交友関係の進捗を聞いてほっこりしたり頬を引き攣らせたりしながら夕方まで過ごしていると、遂にお父様が家に帰宅した。
「お父様、お帰りなさいませ」
「ただいま花蓮、そしてお帰り。……うむ。冬にも思ったが、段々咲子に似てきたなぁ」
「そうですか?」
玄関でお出迎えをしたところ、ジッと見られたと思ったら優しく目を細めてそんなことを言われた。
お母様の若い頃の写真と言えば寝室の結婚写真(今と大きな変化はない)しか見たことないので、そう言われてもピンとこない。まぁ親子なので造形は多少似るかもしれないが。
そして注目すべきはお父様のおヒゲ。
何やら当主として、外見にも貫禄を持たせたくなったらしいお父様。体型はガリヒョロなので、肉を装着するよりも断然早くに生えてくるもので、手っ取り早く見た目の体裁を整えようとしているようだ。
「……」
「どうしたのだ? 花蓮」
「お父様そのおヒゲ、
「いきなり何を言うのだ!?」
愛娘から何の話の脈絡もなく、いきなりヒゲの酷評をされたお父様はショックを受けた。
いやだって、鼻の下にちょいんと生やして、顎下も狭い範囲でちょいんて。
生やし方も伸ばし方も中途半端過ぎて、見ていて逆に鬱陶しく感じるのだ。そんな中途半端はもう剃り切ってしまえ。
「これはナイフでぶった切ったお兄様が正しいです」
「奏多と何の話をした!?」
「ヒゲが生えてきても、お父様のおヒゲとお揃いは拒否すると」
「奏多……!」
そんな帰宅早々に玄関先で手をついて項垂れるお父様と、真顔でそれを見つめる長女の姿は目撃したお手伝いさんによって後日、楽しい百合宮家の日常録として記録されることとなる。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
「……そうですか。ありがとうございます、あ、いえ大丈夫です。元気でいることが分かっただけでも安心しております。はい……はい。それではまた。失礼致します」
ピッと通話終了の表示をタップして通話を終える。
翌日に柚子島家へと連絡をしたら結果はご覧の通りで、今年の夏もたっくんは元気に寮生活を続行するらしい。
くっ! そうかなって薄々感じていたけど、こんな勘は本当に当たってほしくないよね! たっくんせめてお盆だけでも帰ってきて!
ポスンと自室のベッドに転がり、天井を仰ぐ。
「あーあ。本当、向こうはどうしているんだろう?」
ゴロンゴロンして転がっても気分は晴れない。これから麗花と瑠璃ちゃんにも、『今年も拓也くんは不在です』と残念連絡を入れなければならぬのだ。
二人だって仲良しのお友達である彼とは、会って話したいと思っている。ああ、二人の残念顔が目に浮かぶようだ。
……夏は毎年、瑠璃ちゃんはダイエット訓練を継続して行っている。それは去年も同様。器具は薔之院家から無償レンタル中のまま。
よく知っての通り、中学受験の年は正コーチである麗花不在の下に行われた。
臨時で呼んだ神様コーチは何故か個人の連絡先を渡してきて、瑠璃ちゃんも社交辞令で仕方なく受け取ったが、その後密かに瑠璃ちゃんに聞けば何と臨時コーチ、結構な頻度で予定を組んできた。
というかぶっちゃけ、夏から範囲を広げていた。
実は一年生の夏休みで帰省してすぐにそのことで、瑠璃ちゃんから連絡があったのだ。
二回目にコーチされた時、次はお断りしようとしていた瑠璃ちゃんが訓練終了後に、春日井から言われた内容が。
『夏以外にも継続してやった方が効果は出ると思うんだ。毎年同じ時期に継続してできるのなら、それが日々になっても問題なく続けられるよね? 僕も水泳をずっと続けていて、タイムは年々短くなっていてね。土曜日は猫……百合宮さんと一緒の水泳時間だったけど、それもなくなるから。だからその時間を今度は米河原さんのために充てようと思うんだ。どうかな? あ、言っておくけど全然迷惑じゃないからね。これは僕から提案していることだから』
などとキュラララスマイル全開で、お断りの選択肢を消滅させられながら告げられたとのこと。
同年代カースト上位男子に対して免疫耐性のない瑠璃ちゃんでは太刀打ちできる訳もなく、素直に頷き従うしかなかったそうだ。瑠璃ちゃんは何も悪くありません。
確かにどうにかしようと思えば時間は作れると言っていたけど、まさか本気で取り掛かってくるとは思わなかった。肩書は所詮臨時コーチでしかないのに、彼の本気度がそこで量れてしまうとは。
……女性にフェミニストである白馬の王子さまの筈だが、些か言い方と態度に強引の気が見え隠れしている。強引な俺様は別にいる筈なのに。
だから去年は正コーチとやる気に溢れた臨時コーチが鉢合わせしないようにするのに、連絡調整がとても大変でした。
ライバル令嬢である麗花と同編の攻略対象者である春日井を出会わすなど、以ての外! 瑠璃ちゃんには麗花と春日井が鉢合わせしない方が良い理由を何とか口八丁で言いくるめて納得させ、そうしてその夏は乗り切ったのだ。
遠い目をしながらそんなことを思い返していて、私は次に取るべき行動のためにベッドを降りた。
携帯に登録していない連絡先にかけるため、部屋を出て家の電話機の前に立ち番号をピポパと押す。
「春日井さまのお宅でしょうか? 私、長年そちらで大変お世話になりました、百合宮 花蓮と申します。……夕紀さまはご在宅でしょうか?」
私の取るべき次の行動イコール――
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