つれない人魚

たきのこ

つれない人魚


 月も星も出ていない暗い闇に包まれた、夜。

その闇の中を、僕はランタンの灯りを頼りに進んでいく。

来たのは、海。赤い炎の揺らめきが真っ黒な水面に映る。

そこで、僕は浜辺に打ちあがった枝と持ってきた糸で出来合いの釣竿を作った。

そして、岩場に腰かけ、釣り糸を海に垂らす。

これは、合図だ。僕が「彼女」に会うために、僕が海に来たことを知らせる合図。

流木で作った浮きが波に揺られ、浮き沈みを繰り返す。

そのうちに、それは黒い水面に円を作り出した。

円は、波紋となり、ゆっくりと広がっていく。

そして、波紋が途切れた辺り、僕から少し離れたところで、彼女は顔を出した。


「おはよう。僕の愛しい人」


「今日も来たの?王子様なのに、暇なのね……」


 僕が声をかけると、彼女は薄桃色の愛らしい唇を動かして、素っ気なくそう返す。  僕は、そんな彼女が愛おしくて、ついじっと見つめる。

ランタンの炎に照らされる真珠のような白い肌と黄金のような金色の髪。

水面下で泳がせる二股に分かれた尾びれとそれを覆う七色の鱗。

そう、彼女は人魚だ。暗闇に輝く満月のように美しい人魚。


「どんな年月が経ったって、僕は毎晩君に会いに行くよ。

 それくらい僕は……君に振り向いてほしいからね」


思わず、僕は歯の浮くような甘い言葉を彼女に囁く。


「会いに来るだけで、私が振り向くと思うの?」


彼女は、それにため息交じりに冷たく返す。


「それもそうだ……それじゃあ、僕の城に招待させてもらえないかい。

 最高の景色、最高の料理、最高のおもてなし……

 思わず、君が僕に振り向いて、抱き着いてしまうくらい……

 それほどの素晴らしい体験を君にプレゼントするよ。」


それでも僕は、彼女の気を引こうと、お決まりの誘い文句を使う。


「私、人間の誘いには引っかからないようにしてるの」


それにも、彼女はいつもと同じ気のない返事をした。

そう、彼女は人魚だ。暗闇に輝く満月のように美しい人魚。

だがしかし、彼女はどうも「つれない」人魚なのだ。

 彼女と初めて出会ったのは、満月の夜。その時の彼女は、何故か泣いていた。

透明なしずくを、ぽたぽたと暗い海面に落としていた。

僕は思わず大丈夫かと声をかける。だけど、その途端に彼女は涙を止めた。

そして、別にと素っ気ない態度を僕に取ったのだった。

僕は、そんな彼女のことが気になっていた。

だから、色々と話しかけた。城で、姫たちとおしゃべりするときみたいに。

だけど、彼女はつれない性格のつれない人魚。

何を言っても、素っ気ない言葉を返される。

いつの間にか、僕は躍起になっていた。

彼女のことをどうにかして振り向かせようと、僕のこと、王宮のこと、町のこと、普段は言わないようなことまで……たくさんの話をした。

だけど、彼女はいつまで経っても、振り向いてくれなかった。

気がつけば、朝が来て、彼女は海の底へと帰ってしまう。

僕は、悔しかった。

だって、今まで僕にそんな態度をとる女の子なんていなかったから。

 だから、その日から毎晩、彼女を振り向かせるために僕は海へ通うようになった。

時にはきらびやかな宝石、時にはおいしい食べ物、時には美しい花を持って……僕は彼女に会い、彼女と話をする。


「それじゃあ、面白いお話をするよ。

 君が思わず、僕につられてしまうような話を」


「……聞くだけね」


 そして、今日も僕は海に来た。彼女を振り向かせるために、彼女と話をするために。


    ◇


「ああ、もう朝か」


 ふと、顔を上げれば、暗闇に包まれた空が白ばみ始めていた。

彼女と話をしていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。


「それじゃあ、また明日だね」


僕は、彼女に別れを告げ、その場から離れようとした。


「ねえ……」


彼女は空が明るくなると、さっさと海に潜ってしまう。

それなのに、今日は何故か話しかけてきた。僕は、思わず振り返って、彼女の方を見る。


「最近、海に化け物が現れるんだって。」


「その化け物は、何人もの人を食べたんだって……」


彼女は、今まで見せたことのない不安げな表情でそう言った。


「誰から聞いたんだい、そんな話」


「漁師達が言っていたの」


「それは、ただの伝承さ。気にしなくていい」


彼女はいるはずのない化け物に怯えているのだと、僕は思った。

だって、その話は、海は危険だから気を付けろという戒めとして漁師達の間で伝えられる話。化け物がいることを伝える話なんかではないのだ。

僕は、怯える彼女を励まそうと、大丈夫だ、気にするなと何度もそう声をかける。

しかし、それでも、彼女は目を伏せ不安げな表情をしていた。

いや、それどころか、彼女は俯いて、今にも泣きそうな顔を水面に映している。


「……それでも、君が心配なら。明日、君を守るための武器を持っていこう。

 どんなものも貫く槍、どんなものも防ぐ盾……

 幸い、城にはそういうのがたくさんあるから」


僕は、何とか彼女を元気づけようとそんなことを言う。


「いらないわ、そんなの。

 私は、化け物に襲われたって、泳いで逃げられるんだから」


「大体、どんなものも貫く槍、どんなものも防ぐ盾なんて……

 どっちも信用できないわ」


 すると、彼女はいつものように素っ気なくて冷たい言葉を僕にかけた。

その様子に、僕はひどく安心させられる。

 本格的に太陽が昇りだして、僕達は別れを余儀なくされた。僕は、再び彼女に別れを告げる。


「……気をつけて」


彼女は、小さくそう呟いた。そして、僕が言葉を返す間もないままに海の底へと深く深く沈んでいった。


    ◇


つれない会話、つれない彼女。

それでも、僕は、会いに行く。彼女に振り向いてもらうために。

……いや、本当は、振り向いてもらわなくたっていい。

君と話ができる、それだけでいいんだ。

だって、君と話をしているときは、本当の自分でいられる。

僕に気に入られようと必死におべっかを使う大臣、僕の財産にしか興味のない姫、  僕の王位を虎視眈々と狙う弟……

あいつらの前みたいに、自分を偽らなくていいんだ。

君だけが、本当の僕を見てくれる。

ああ、君に会いたい……君と話がしたい……

君と話せるなら、君と一緒にいられるなら、僕はどうだって、どうなったっていいんだ……


    ◇


 太陽が落ち、月が上り、また夜が来た。そして、僕は今日も彼女に会いに行く。

釣り糸を垂らしていつものように彼女を待って、水面から顔を出したら、いつものようにあいさつをして、いつものようにつれない返事をもらう。

そして、ずっと二人で話をして、朝が来たらまたねと別れを告げる……そのはずだった。


「……もう会いに来ないで欲しいの」


 朝が来て、彼女に別れを告げたとき彼女は、突然そう言った。

僕は驚いた。彼女には、いつもつれないことを言われている。

でも、会わないでなんて言われたのは初めてだったから。


「な、何で……」


僕は、思わず彼女にそう問いかける。


「分かってるでしょ。これ以上、一緒にいてもお互いが不幸になるだけだって」


「だって、あなたと私は住む場所が違うんだから」


彼女は、淡々とそう言った。


「だから、何だっていうんだっ! 僕は、いつだって君に会いに行くよ!!」


僕は、つい感情的になって叫んでしまった。


「そういう問題じゃないわ。分かってるでしょ。

 同じ場所に住めないってことは、ずっと一緒にはいられないってこと……

 私達は、決して一緒にはなれないってこと……」


それでも、彼女は、無表情で淡々とそう言い続ける。


「……そんなこといわないでくれ」


僕は、いつのまにか泣いていた。ぼろぼろと大粒の涙を流していた。

だって、もう彼女と会えないなんて……悲しくてどうにかなりそうだったんだ。


「それなら、一緒に城に住もうじゃないか。城にいっぱいの海水を溜めて……

 そうすれば、君と一緒に……」


どうしても彼女と一緒にいたくて……僕はそんな提案をする。


「無理よ、お日様の光が眩しすぎるもの。

 海にいなくちゃ、私は干からびちゃう」


彼女は、いつものようにため息交じりで冷たくそう返した。

でも、ずっと話してきたから分かる。

彼女のその声は少し寂しそうだった。


「……それじゃあ、僕が海に住むよ!」


 僕はそう言うと、岩場から海へと飛び込む。

だって耐え切れなかったんだ。

彼女に会えないだなんて。彼女ともう一緒にいられないだなんて。

 夜の海が体を包みこむ。それは、とても冷たく、重く、僕の体にまとわりついた。自分の体がどんどん動かなくなっていくのが分かる。

それでも、彼女と一緒にいたいその一心で、目を開け、彼女の元へ行こうとする。

辺り一帯は暗闇に包まれていた。そのせいで何も見えない。

だけど、太陽の光が差し込んで、徐々に視界が晴れていく。

目に映ったのは、下水のような薄汚い茶色の肌といぼだらけの丸々とした醜い体。

今にも零れ落ちそうなヘドロのような黒い瞳、海面へと伸びる頭から生えた気味の悪い触手。

それは、化け物だった。例えるものすら見つからない醜悪でおぞましい化け物。

この世の全てを飲み込まんとばかりに大きな口を開けている。

ああ、これが、彼女がいっていた化け物だと、僕は直感した。


(彼女を逃がさなければっ!)


意識が薄れつつある頭で、僕はとっさにそう思う。

二人とも食べられるというのは、何としてでも避けたかった。

彼女だけでも生きて欲しい。

彼女と一緒にいたい、彼女と一緒になりたい。

でも、その前に、僕は……彼女を愛していたんだ。

彼女に逃げろと伝えるため、僕は上を向く。

視界の端に無表情で、物憂げな彼女の顔が映る。

……そして、僕は分かってしまった。彼女がつれない人魚であった理由が。


 彼女がつれないのは、僕が彼女に釣られていたから。


 化け物は、その大きな口で大量の水を飲みこみながら僕を吸い込もうとしている。

冷たい海に沈んだ体は、言うことをきかない。逃げるもできずに、僕はどんどんと吸い込まれていく。

 でも、悪い気はしない。だって、これで……ようやく君と一緒になれるから……

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つれない人魚 たきのこ @kinokoaisiteru

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