狩人たちの栄華

中樫恵太

序章 狩人たちの凱歌

狩人たちの凱歌 前編

 閃光が迸り、稲妻が大地を駆ける。外のざわめきを、我関せずと眺めながら酒をあおる一人の男。それなりに高そうなバーには似合わない、くたびれたスーツを身に纏っている。目には生気は宿っておらず、ただ無心で、味わうということも無く、ひたすら酒を胃に流し込んでいる。


「ゲンさん。まだ飲むのかい?」


 バーテンがくたびれたスーツ男に声をかける。その心配そうな声をかき消すかのように男は大声で返答した。


「うるせぇな。これで三日目だ。何の成果もねぇ。これが飲まずに居られるかってんだ」


「また仕事で悩んでいるなら、もう辞めちゃえばいいじゃないか」


「それができたら苦労しねぇよ。俺ん所は一度決まれば即就職。面接も無けりゃ辞表もねぇ。足も洗えねぇときた。ったく、本当に時代錯誤だぜ。今令和何年だよ?」


「まぁまぁ、もう今日は帰ってゆっくり休みな?」


 落ち着かせるバーテンの声。それには多少の厄介払い感も出ている。しかし、なまじ常連である以上手荒な真似はできない。店側が、最も扱いに困る人間だろう。


「いらっしゃいませ」


 店のドアが小気味よい鈴の音を鳴らす。新しい客が入ってきたところだ。バーテンも、仕事に戻らなければならない。


「ゲンさん。ほどほどにしときなよ?」


 そう言い残し、カウンターの向こう側へ消えていった。

 そうすると、愚痴のはけ口が見当たらないのはこの男である。仕方がないので、また外の汚い景色を眺めて、溜飲を下げるほかない。グラスを傾けると、歯と下唇に氷が当たり、中身が入っていないことに気づく。


 それにすら腹を立てながら、ボトルの酒をグラスに移した。ほどほどにと言われたためか、酒はボトルにあまり入っていなかった。


「……クソ」


 男はそう零す。目の前のボトルに。そして、先程入店してから他のものに一切目もくれずにこちらへ向かってきたもう一人の男。高坂こうさかアキラに対してだった。


「ガキがこんな所に何の用だ? 出口は向こうだぞ」


雨水うすいさん。緊急です。早く準備してください」


「あ? 何言ってんだ」


 嫌味に一切反応を見せることなく、淡々と要件を伝える高坂。その姿は昔のあの野郎に重なり、さらに嫌気が指した。


「ですから、俺たちが追っていたあのヤマ。招集がついに出たんですよ」


「冗談にしては笑えねぇな。あれは俺が、三日かけてきたんだ。それで何も無かったんだぞ。寝言は寝て言いやがれ」


「雨水さん。確かに昔の貴方は凄かった。その技は神がかっていましたよ。」


 ですけど、と一呼吸置いて、高坂が続ける。


「力の衰えは貴方が一番感じているはず。一週間近くは視えていた力ももうほとんど残っていません」


「しかし、貴方の持つ力は有用です。普通なら後方に下がる歳なのに、現役を続けている。その熱意も凄い」


「さっさと目的を言え。これ以上聞いてると、お前にぶちかましそうだ」


 若造が黙って聞いていれば好き放題言いやがって。男の怒りは爆発する寸前だ。


「早く来てください。行きますよ。会計はやっておきます」


 あくまで事務的に伝え、高坂は店を出る。男は一度苛立ったように座り、ボトルの酒を見た。ちょうど一口。この丁度よさに若干辟易しつつも、出入り口の扉に手をかける。


 ふと足元を見ると、入店時にはなかった黒い傘が置かれている。男は店内を一瞥し、


「ガキが余計なことしやがって……」


 そう呟き、傘をひったくるように持って店を後にした。


 *


「で? 場所は青葉であってのんか?」


「はい。間違いありませんでした。も上から頂いています」


 無言の車内。その沈黙に耐えられなくなった雨水は運転する高坂に声をかける。高坂は視線は前に固定したまま、無機質に返答した。


「許可ねぇ。じゃ俺の刀も持ってきてんのか?」


「えぇ。後部座席に置いてます。確認しますか?」


「いや、いい。今は直前まで仕事のことを考えたくねぇ」


 そうですか。と事務的な返答をする高坂。その姿に苛立ち、大きめの舌打ちをしてから、車の座席に寄りかかる。手持ち無沙汰であるが、ラジオを流す気分にもなれない。


「何が戦闘許可だよ。めんどくせぇな。生きづらくなっちまったな」


 雨水の出した結論は、愚痴。結局、古巣を懐かしむことと、現体制を批判することしかできないのであった。


「まぁ確かに、それはありますね」


「だろ?」


 思いのほか反応が良く、舌が回る。酒の影響もありそうだ。


「昔はよぉ、組織で好きに動けたんだがなぁ。うぜぇお上はいたけどよ、まだ勝手にできた。

 それが今はどうだ? 政府の犬になって、命令に従うまま化物狩りか国家の鉄砲玉。俺たちには俺たちのやり方があるってのによ」


「雨水さんは捜査向きの力ですからね。気持ちは分かりますよ」


「だろ? 敷地外からさっさと力使って、炙り出せばいいんだがな」


「ダメですよ。使用規定は、必ず国家公務員立ち会いの元に使わなければいけません。最低でも、許可は取る必要があります」


「わーってるよ。クソッ。

ったく。今じゃただ上からの命令を待つだけの窓際族よ。俺たちが必死になって戦って、勝ち取ったモノはこんな世界だと想像できたか?」


「確かに死んだ仲間も浮かばれませんね」


「あぁ、まったくだ」


 数年前のあの戦争を生き抜いた先にあったものが、クソの掃き溜めみてぇな世の中じゃ、仲間も死にきれない。なんの為にあいつらは命を賭けたのか。


 そして、今の俺たちは、あいつらに、顔向けできるのか。

 無造作に、後ろの刀を手に取る。無意識に、あの時のことを思い出す。血で血を洗う抗争。地獄。数多の犠牲を出して得た勝利。それが全て、上澄みだけを奪い取られたのだ。


「でも、俺たちは所詮霊狩り。結局、日陰者の人間凶器なんですよ」


「あぁ、そうだな」


 刀を握る手に力が入る。腐った仕事とは思いつつも、やらねばならない。いつから俺たちは国家の犬に成り下がった。誇りはどこへ消えたのか。俺たちは古い時代の人間になってしまったのか。淘汰されていくのか。


 ふと隣を見ると、高坂のハンドルを握る手が震えていることに気がつく。こいつもこいつなりに、悔しさはあるのだ。


 不思議と酔いは覚めていた。もうすぐ、市の境だ。気合いも同時に入る。立場は変わっても結局のところ、彼らはどうしようもない狩人なのだ。


 青葉市内に入ると、ひりついた空気が窓越しに伝わってきた。何度もくぐり抜けた、修羅場の匂いだ。件の家のすぐそばまで来ていることを察する。


 ここから雨水は最終調整に入る。刀の鯉口を切って少し刃を覗かせ、刀身の点検を行う。この刀はいわく付きの代物で、厳密には点検の必要はあまりないが、雨水は毎回これを行う。ずっと昔からやってきた、ルーティンのようなものだ。


 ここから集中力を練り上げ、任務に臨むのが彼の決まりであった。

 どれほど時間が経ったのか、大きく息を吐いて決まりごとを終了する。その目つきは、とても先刻まで飲んだくれていたくたびれた男の目ではない。意志の宿った、燃える目である。


「雨水さん。着きました。適当に停めて置きます。お先にどうぞ」


「あぁ」

 男は刀と一緒に置いてあったコートを羽織り、雨の夜へ舞い降りた。


「すまない、通してくれ」

 閉鎖された、というよりかは立ち入り禁止指定されている家に近づく。何名かの報道人が構えていたが、雨水の凄みに気圧され、道を開けた。


「すみません、ここは関係者以外立ち入り禁止で……」


 行く手を遮る警察官に無言で刀を見せる雨水。警官は言葉を止め、失礼しましたと詫びた後、脇に避けた。


「どういうことですか!? なぜ凶器を持った男を中へ入れるのですか!?」


 当然の追求。殺害現場の中に、刀を持った男が入ろうとしているのだ。写真を撮り、異常事態の説明を警官に求める。


「えぇっと、これは、その。つまり……」


「専門家だ。俺たちは」


 後ろから聞こえる男の声。振り返る報道人。見えたのは黒スーツに黒手袋、腰に刀を差した高坂であった。


 高坂に詰め寄る人々。誰なのか、目的は何か、そもそもなぜ刀を差しているのか。我先にと質問する記者たちに嫌気がさした高坂は、一つ息を吐いてから手袋を外した。


 刹那、先程の喧騒が嘘のように記者たちの興味が高坂から消えた。そして、今一度振り返って警官に詰め寄る。狼狽える警官の方を見ながら、彼に見えるように会釈した後、人差し指を口に当てて通り過ぎた。


「おい、アキラ。お前カタギに力使ったろ。掟を忘れたのか」


「カタギじゃなくて一般人ですよ。雨水さん。それに、今の規定にはやむを得ない場合は力を使って良いとされています。昔じゃないんですよ」


「チッ……クソが」


「使ったとしても、『裏』の判断は絶対に公平です。あのままにしていたら任務に支障が出ましたから、問題ないと思い、行使しました」


 彼ら霊狩りは、普通の人々が扱えぬ特殊な力を持つ。それは、任務を遂行するために必要な武器であり、防具でもあった。


 しかし、一個人が法律の適用範囲外の武器を持つことは、国家の秩序の崩壊を招く。そのため、今の霊狩りは国によって厳しく押さえつけられている。


 国が定める規定に基づき、霊狩りは任務に臨むが、状況によっては、一般人の目を避けられない場合がある。その場合には、あくまで機密保持のための能力行使が認められているのである。


 いわば、「危害を加えなければOK」という大雑把な規定であったが、その裁量は、捜査班の『裏』という組織に一任されている。霊狩りの能力行使が適切であったか判断し、処分を下す存在だ。彼らは公平さこそが心情であり、私情などの余計な介入を一切受け付けない。


 そして、危険因子にもなり得る霊狩り達は、国の事件の解決を命じられるままに実行する忠実な犬であった。


 だが、捜査にすら加われず、ただ結果として命令された霊の討伐を遂行するだけの操り人形。反抗しようにも、先の大戦で人数は劇的に減少しており、とても徒党を組めるような状況ではない。いくら異能の力を持つとしても、大量の銃火器には勝てないのだ。


「クソが……」


 そのことを誰よりも理解している雨水は、このされるがままの現状を受け入れるほかないことに苛立っている。歯向かえば文字通り犬死に。先に死んだ仲間に合わせる顔が無い。


「雨水さん。……この結界」


「あぁ、閉じ込めるためのモノだ。こんだけ強力ってことは、相当ヤバいものがいるだろうな」


「護衛クラスでしょうか」


「いくら俺たちでも、二人で護衛を相手取れない。その場合はもっと人数がいるはずだ」


「行くぞ、準備はいいか?」


「はい。高坂アキラ。何時でも行けます」


 重たい鉄の扉を開き、雨水と高坂は中に入る。

 生暖かい風が、二人の間を逃げるように通り過ぎていった。

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