デジタル庁特別捜査官 非構造化犯罪ファイル

@Gasoline

Part 1

 冬が近づいている。曇り空の下空気はわずかに湿り気を含み、冷たさを増した風が人々の肌を刺す。陰鬱さを増す社会に追い打ちをかけるように、季節までもが人の心を重くしていた。2022年11月2日、15時30分。大阪府吹田市。江坂駅に直結した古い高層ビルに本社を構える準大手保険会社、広徳生命。その17階執務室通用口が、大きな音をたてて蹴破られた。

「DAIです! 全員動かないで!」

 大声を上げ、手に身分証を掲げたスーツ姿の女性がつかつかと踏み込んでくる。そのあとを追うように、"DIGITAL"と大きく書かれた紺色のジャケットを着た10名ほどのスタッフがなだれ込み、フロアの半分を占有する執務室の各所に散っていった。


 執務室内で働いていた50名あまりの従業員のなかに、動くものはいなかった。彼女の言葉に従ったのではない。事態が読み込めないのだ。スーツの女性は中央のデスクの島の奥にいた初老の男性に向かって大股で歩いて行った。

「広徳生命業人事総務部長、柴山俊彦さんですね?」

「な、なんだ君は?」

 執務室は静寂から脱し始めた。ジャケット姿のスタッフ、つまり彼女の配下の捜査官たちが、従業員からノートPCを取り上げたり、デスクの引き出しを開けさせたりして、執務室の各所で従業員との問答が始まったのだ。

「デジタル庁デジタル監付特別捜査チーム 深川頼子です。御社には17件のデジタル関連法違反の容疑がかかっています」

「デジ……関連法? いったいなんだ?」

「官報をお読みください。それから敬語をお使いください。我々は正式な国の機関であり、法にのっとり公正な捜査を行う用意があります。まず……」

 深川は、柴山の脇で湯呑に載せた盆を持ったまま、立ちつくしているOL制服姿の女性に目を向けた。

「あなたはここの正社員?」

「えっ、派遣ですけど……」

「職務は?」

「事務アシスタントです」

「お茶汲みは業務の中で明確に規定されてます?」

「えっと……」

 グレーのベストに膝上の黒いスカート。安っぽい制服が、この会社の昭和時代からの変わらぬ体質を物語っていた。深川は再び柴山に目を向けた。

「総務部長でらっしゃるなら、派遣法についてもご承知の上かとおもいますが……しかし21世紀も半ばになろうかというのに、この働かせ方はどうなんでしょう?」

 あきれ果てた、という演技がかった口調だったが、柴山にはその質問にウィットで応える余裕もエスプリもなく、それはその……と口ごもるだけだった。それが更に彼女を興ざめにさせた。

「ご安心ください、ただのアイスブレイク・トークです。本件は我々の管轄ではありません。本題はこちらです」

 そう言って、彼女は柴山の手元を指さした。柴山はそこで初めて、自分が決裁文書に部長印を押そうとしていることを思い出した。そして、デジタル庁が“従業員500名以上の企業における、業務ワークフローのデジタル化”を打ち出していたことも。

 深川はしげしげと書類の右肩を眺めた。丁寧に4つの枠が切られており、そのうち3つは押印済だ。

「担当社員、係長、課長……で、部長印。スタンプラリーですね。電子化の期限はご存じです?」

「は? 期限? いや電子化すべきなのはわかってますが……」

「いえ、今年の10月末が期限です。デジ庁が発足して最初の法令で、1年以内と定められたので。違反した企業には所定の課徴金が課せられます」

「いや努力目標でしょ? 私んとこだって、改革のプロジェクトチームが……」

「官報、ご覧になってくださいね。明確な法律違反、現行犯です。御社の場合、印鑑使用罪のほかにもコピー用紙の濫用、電子議事録の作成不備、表計算ソフトの異常な利用法に関する法律……まあ詳しくは局でお話ししますが、大変問題が多いということで、国としても直ちに捜査し是正させよ、という方針がでているのです。

「か、カネか? 社会不安で保険会社が荒稼ぎしてるからって、勝手に罰則作ってカネをむしろうって魂胆なんだなあんたらは!」

 ようやく柴山も言葉に調子が出てきたようだが、もはや深川に相手にする気はなかった。

「詳しくは中之島のほうでうかがいます。難でしたら、紀尾井町の本庁までいらっしゃいます? 」

 気が付くと、柴山の脇からアシスタントは消え、代わりに屈強な男性捜査官ふたりが挟み込むように立っている。

「ご同行を」

そう言って、深川は踵を返した。




長く停滞した日本社会のイノベーションを再始動するための機関として成立したデジタル庁であったが、保守主義と縁故主義に染まった現在の社会において、その実効性は庁の成立前から疑われる状況となっていた。これを危惧した事務方の一部は、パンデミック下での拙速な法整備のどさくさにまぎれ、刑事罰を含むデジタル法と、当該法の監視・捜査を行う司法警察員の庁内設置を実現。それが、デジタル庁デジタル監付特別捜査チーム、通称DAIである。


続く

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