第13話 推しと現状把握 4
窓の外は夕暮れに染まっている。
ふあ、とわたしがあくびをしていると、「眠っても大丈夫ですよ」と柔らかな推しの声で言われた。いくら手で覆い隠していたとはいえ、推しに大口を開けているのを見られたことに対する恥ずかしさが込み上げる。
「失礼しました……。エスティオーレ様は疲れてませんか?」
ふ、と推しが笑ったような気がした。相変わらず毛がもじゃもじゃで顔は見えないし体格すらわからないけれど、空気がどことなくゆるんだ気がする。
「アシェルと呼んでください。しかしそれが憚れるのでしたら、お好きなように呼んでもらって構いません」
「……では、アシェル様と」
推しからの名前呼び許可のイベントなのに、いまいち乗り切れない。おそらく推しの態度のせいだと思うけれど。
そもそも、推しが結構ずばずば物を言うタイプだと原作を読んだわたしには知っている。丁寧な態度はルシアちゃんにとっておいてよ、と思ってしまうのだ。
慇懃無礼こそ推しの本来の姿だと力説したいのだけれど、主君が招くゲストに大してもその態度だったら確かに大問題だ。このビジネスライクな推しこそ、仕事の鬼である彼らしいと言えばそうである。
しかし本心としてはもっと雑に、こう、路傍の石みたいに扱われたい。せめて使い捨てのモブらしく扱ってほしい。
「もしかしたら、グラニテス王の来賓のタイミングとぶつかってしまうかもしれません。使節団が来ているので首都は厳戒態勢ですが、あまり緊張なさらないでください」
「そうだったのですね……」
忙しいところすまんな、推し……。
本来ならグラニテス王の警備にあたっていただろうに、なぜこんな小娘の警護役になってしまったのだろうか……。推しはたぶん悪くない。
だが、七巻のルシアちゃんへの押さえきれない推しの感情を前世の私は浴びている。きっと王太子であるレオナルドが気づいて、ルシアちゃんから遠ざけたんだろうなあ。だってレオナルドって、察しのいいとこあるし。
人の感情に機敏なくせに、それを利用して漁夫の利を得るタイプだ。だから年下腹黒殿下とルシアちゃんに悪口言われるんだよ。
「……本来ならば私が警備の総指揮を執る予定でしたが、いまここにいるのはフィナ様のせいではありません」
推しをそっと見つめる。推しから生える紺色の太い糸がうねうねしていた。
「職務に余計な私情を挟んだゆえ、主君より頭を冷やせと言われたのです」
推し、誠実なところは推せるけど一般市民にそんなこと言わなくていいと思うよ!?
でもその話もっと詳しく教えて!!!!!!
そう叫びたい私はぐっと唇を噛んでから、言った。
「……きっと冷静なアシェル様が私情を挟んでしまうほど、お疲れだったんでしょう。王太子殿下もアシェル様を気遣って、息抜きをさせるためだったのかもしれません。ほら、わたしの居た村は笑ってしまうほどのどかでしょう?」
むりやり笑って、おどけたように首を傾げてみる。
「きっと休息が足りないんですよ。神経を張りつめていては、誰も疲れてしまいます。この世に完璧な人などいないのですから」
「……そうですね」
推しの柔らかな声に、わたしはふと泣きそうになった。
推しの敏くて優しくてずるいところが、本当に大好きで大嫌いなんだ。
◇◇◇
「……人たらしですね」
部下の不躾な感想に、アシェルは眉根を寄せた。さきほどまで目蓋を閉ざし、静かに仮眠をとっていたリリは、女の敵と言わんばかりに胡乱気な目でアシェルを見ている。
「語弊がある」
「副団長の人心掌握の手法には感心します」
「酷い言いようだな」
後部確認用のミラーを見れば、フィナ嬢がぐっすりと眠っているのが見える。巨犬のスノウがフィナ嬢の腹に乗り上げ、さらには仰向けに寝ているので、スノウの頭がぐりぐりとフィナ嬢のみぞおち辺りを抉っているようだった。
フィナ嬢はというと、「ううぅ……」と時おり苦悶の声を漏らしている。
「普段はタフな男がふとした弱さを見せると、大抵の女性は自分にだけ甘えられている、あるいは心を許されていると勘違いします」
「そうか、参考にする」
「そうやって警護対象者の警戒心を解くことが護衛としての仕事の範疇だったとしても、いつか心底惚れられて刺されますよ」
「留意する」
「クリスに」
「クリスが刺すのかよ」
アシェルは思わず言い返してしまった。
クリスとはアシェルが率いる騎士団の中でも、トップクラスの強さを誇るルーキーだ。何事も人間を葬り去って解決しようとする合理的な性格をしている。
「爛れた第三騎士団の秩序のために奴はやります」
「否と言えんところが嫌だな」
アシェルはクリスに後ろからさくっと刺されるところを想像して、苦虫を噛んだような顔をした。
「ですから、女性への扱いは気をつけてください。それが高貴であればあるほど」
リリが何を言いたいのか、アシェルだってわかっている。なので、アシェルは神妙に頷いた。
「……ああ、前からバッサリ切られるのもごめんだ」
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