続・針のむしろ and 衝撃の事実
居酒屋での赤裸々の話のあと、案外あっさりと解散が許された。
あれからあっという間にときは流れた。
今、あれからほぼ1年が経過しようとしている。
梨樹人にとっては修士1年の秋も終わりに差し掛かっている。
研究や仕事の方はそれなりに無難にこなせている。
メンタルトレーナーとしての仕事現場にお願いして、自身の研究の実践をさせていただいており、そこで得られた結果を研究にフィードバックできる好環境で働けているのも大きいだろう。
数ヶ月に1度程度、学会での発表もできており、とてもラッキーなことに修士1年の秋も終わりの現在で論文誌への投稿準備に入ることができている。
というように、生活の公私の公の方、オフィシャルな側面については、順風満帆と言って差し支えないだろう。
ただ、公私の私の側面には不安材料、というか不和が散見される状況が続いている。
奨学金を月に12万円程度借りており、トレーナーの仕事でも同じ程度の額を給与としてもらっているので、生活に困るということはない。
問題なのは、この1年間、詩から梨樹人へのアタリがこれまでにないくらい強くなっていることだ。
研究の話をするときには無視はしないものの、必要最小限の伝達事項だけ無愛想に伝えて話を切り上げる。
雑談をふると、「そうね」とか「えぇ」とか、ぶっきらぼうな返事だけが返ってくる。
間違っても飲み会や遊びに誘える雰囲気ではない。
飲み会の次の朝からこの調子なので、原因はあの日した話なのは間違いないのだろう。
なんでこんなに邪険に扱われているのか、実際のところはわからないので、研究室にいても少し居心地の悪さを感じないでもない。
とはいえ、他の先輩方や新しく入ってきている後輩たちとは別に不仲というわけではなく、むしろ良好な関係を築けていると思う。
研究室での生活はそんな感じ。
他の私の時間はというと......。
『りっくーん、そろそろお仕事終わるかなぁー♥』
こんなメッセージが柚津から毎日届いている。
あれから結局柚津とヨリを戻すことにして付き合い始めた。
なのでこの関係もおよそ1年が経とうとしている。
柚津には毎晩電話することを強要されている。
「強要」というと人聞きが悪いか。時々めんどうな気持ちにもなることがありつつも、一応毎日1時間くらい電話させてもらっている。
研究と仕事で休日はそれほど多く取れているわけではない。
週によってばらつきがあるが、平均すると2週間に1日程度は自由に使える日がある。
この休みは柚津とのお出かけデートに費やされることがほとんどになっている。
そして、ほぼ毎回のデートの最後には、柚津に引っ張られるようにホテルに入ることになる、というような私生活を送っている。
幸いにも、例の逆レ◯プがあった日に生でしてしまったときの子どもはできていなかったようで、無事月のモノが来たようだった。
柚津は定期的に生理不順に陥る体質らしく、そのときも1月半ほど遅れており、冷や汗を流していたのはイイ(悪い)思い出だ。
あれ以来、柚津は不満そうにしているようにも見えるが、梨樹人の意思で避妊はしっかりとしている。
あとは、梨樹人があまり時間を取れないことにも不満をいだいているようだ。
「柚津との時間をもっととってほしい!」という理由で拗ねモードに入ることは1度や2度では効かず、定期的に、ほとんど1ヶ月ごとに訪れていた。
たぶん、女性の日が結構重たくて、溜まったストレスと一緒に爆発しているのだろう。
梨樹人もこのあたりは高校時代に付き合っていたころと変わらない部分でもあるので、喧嘩にもならず、梨樹人が平謝りしてしばらくすると終わるというパターンができていた。
今は柚津の機嫌が悪くない時期で、今日も無難な生活を無難にこなしていた。
「おやすみ」と、毎晩の電話を終えて通話を切断した梨樹人のスマホには、ものすごく久々の名前が表示されていた。
メッセージの送り主は、小・中学生時代に部活も一緒にしていた幼馴染である春朝 慧莉(はるあさ けいり)だった。
中学を卒業してから言葉を交わしたのは成人式の日くらいだったろうか。
ともかく永らく連絡なんてとっていなかった懐かしい友人からの連絡に、一抹の不安を覚えつつも、恐る恐るメッセージを開いてみた。
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『よぉイソ、めちゃくちゃ久しぶり!』
『最近どうしてるよ?』
『俺の方は結構仕事にも慣れて落ち着いてきたんだけど、イソに時間があるときにでも久々に遊びに行かねぇか?』
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昔と変わらない春朝のノリに苦笑しつつも、心配したようなネガティブな内容が含まれていなかったことにひとまず安堵し、すぐに返信を送る。
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『おう、まじで久しぶり』
『俺はぼちぼちかな』
『仕事と大学半々でやってるって感じ』
『時間は、結構シビアだけど、来週以降の週末のどこか指定してくれたら頑張って空けるわ』
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梨樹人の率直な返答に、日程の候補を提示してくる。
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『へぇ、まだ大学いってんだ?』
『まぁ、そのあたりは会ったときに聞かせてくれよ』
『直近の日程の候補↓』
『10月の第3土曜日、
第4土曜日、日曜日、
11月の第2日曜日』
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直近で春朝が大丈夫な日程をフィルターして提示してくれる。
春朝はこのあたりスムーズにしてくれる人間になっているようで、少し感心しながら了解の返事を送る。
ちょうど再来週にあたる10月の第3土曜日は梨樹人の方でスケジュールの調整ができそうな見通しがたつので、とりあえずこの日程でお願いしておこう。
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『じゃあ、10月の第3土曜日で見ておいてくれるか』
『調整できなさそうだったらまた連絡するわ』
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春朝から「りょうかい」とだけシンプルな返事が返ってきてやり取りが終わる。
野郎との連絡はこれくらいシンプルに終われるのがいいんだよなぁ。
柚津とのやり取りも、これくらいドライに終われたら、もうちょっと体力温存できるんだけどな......。
失礼なことを考えながら、柚津に報告しなければならないことができたことに憂鬱な気分になる梨樹人。
次の土曜休みを柚津ではなく春朝と過ごすことになること。
これを柚津に伝えないまま遊びに行って、万が一にも柚津にバレたりしたら、また拗ねモードに突入してしまい、謝りまくり、毎日愛してるメッセージの強要されまくりは免れない。
それが火を見るより明らかなので、連絡しないわけにはいかないだろう。
ノらない気を奮い立たせて改めてスマホを手に取り、柚津へのメッセージを送った。
*****
「おーい、イソ〜」
人通りの多い都心部の駅。
改札で待っている梨樹人に元気な声で呼びかけてくるのは、梨樹人のことを「イソ」などと呼ぶ唯一の人間、春朝慧莉だ。
「おう、久しぶり」
片手を挙げて挨拶を返す。
会って早々にあるき出そうとする春朝。
「じゃあ、混む時間になる前に、どっかそのへんの飲み屋にでも入るか」
「だな」
「なんでもいいか?」
「おう。別に食えないものはないよ」
「うい〜」
雑なやり取りをしながら飲食店街へと赴き、適当な焼き鳥屋に入る。
2人ともビールと簡単なおつまみ、焼き鳥数人前を適当に注文する。
提供されるまでの間、梨樹人の方から素朴な疑問を投げかける。
「んで、なんで突然、俺に連絡を寄越してきたんだ?」
「え?別になんとなくかな」
「は?そうなの?なんかあったから俺にメッセージ飛ばしてきたんじゃねーのかよ」
「んー、まぁ会ったといえばあったんだが、それとは関係なく久々にお前としゃべりたくなったってのが本音だよ」
「なんだよ気持ちわりぃなw」
「気持ち悪いとはお言葉だなぁw」
最近は大学や仕事関係の知り合いとのやり取りしかなく、肩肘張ったコミュニケーションばかりだった梨樹人にとって、春朝と交わす雑な対話はとてもリラックスできるものだった。
そうこうしている内に飲み物と簡単な料理が運ばれてくる。
「んじゃ」
「久々の再開に」
「「かんぱーい!」」
ゴキュッゴキュッと小気味よい音が数瞬続き、その後ドンッと空になった2つのジョッキが勢いよく置かれる。
2人はニヤッとアイコンタクトをとったかと思うと、店員さんを呼ぶ。
「「すいませーん。生中2つ〜」」
春朝とは本当に気が合う。
最後に会ってから何年も経っているにも関わらず、これくらいの意思の疎通はできるのだから大したものだと思う。
昔から梨樹人と慧莉には、趣味や思考に似通った部分が多かった。
その性質が無駄に遺憾なく発揮された場面だと言えるだろう。
4杯目のビールが届いたあたりでゆっくりと話し始める雰囲気になる。
「とりあえず、イソの近況から聞かせてもらおうかな」
「んー、近況って言ってもなぁ。とりあえず、今は大学院でスポーツ心理の研究をしながら、知り合いのツテのチームでメンタルトレーナーの仕事をぼちぼちしてるって感じかな」
「へぇ、すげぇじゃん。収入とかは結構いいのか?」
「いやいや、全然。大学の学費払って、食っていくのでいっぱいいっぱいって感じだ」
「なるほどなぁ。そういう状況だと女を作んのも大変か?」
「あぁ〜、それに関しては一応今の所は困ってないって感じかな」
「お、なんだよ、彼女いんのか!聞かせろよ!」
女性同士が集まった飲み会がいかがなものなのかは存じないが、同級の男同士が集まって酒を飲みながら盛り上がる話なんてのは相場が決まっている。
この2人においても、男女関係の話題は酒の肴にもってこいというわけで。
春朝が若干前のめり気味に聞いてくるが、梨樹人にとっては、この話題は慧莉の同級生でもある柚津もからんでくるある程度話が膨らみそうな話題であり、後回しにしてじっくり話すネタにとっておきたい気持ちがある。
とういうわけで、話題を慧莉のターンに移す。
「いやいや、俺の話ばっかじゃなく、まずはお前の話から聞かせろよ。今回誘ってきたのだってお前だろ」
「焦らすねぇ。まぁいいぜ、確かに折れから誘ったしな。
そうだなぁ......どっから話したもんか......」
慧莉は相当しゃべりたかったのか、そこから1時間ほどマシンガンのように自身の近況、つまり仕事の話や昔の仲間の話、諸々の愚痴や自慢を語り尽くした。
梨樹人も元々自分が話すよりも、人の話を聞いている方が好きなタイプなので、全く苦はならず、適当な相槌を打ちながら、ときに爆笑し、ときに真面目に返答した。
いい肴に酒も進み、2人は適度にアルコールが回ってきている。
そして、宴もたけなわといったころに、爆弾となる話題が投下されることになった。
「んでさー、今回イソに連絡した一番の理由なんだけどさ〜」
「おぉ、そうだ、その話を聞かないとな」
「俺に新しく彼女ができたって話なんだ!」
「おぉ、それはすげぇめでたいじゃん!!!ってかお前はずっと彼女が絶えてないもんだと思ってたわ」
「なにいってんだ、そんなわけねぇだろ。1年くらいは付き合いとかなかったね」
「1年くらい無いようなもんじゃねぇか。
んで、めでたいのはいいし、祝福するけどよ。
なんでそれで俺に連絡してくることになるんだ?
今までの彼女も、別に付き合い出したときに俺に報告なんてしたことないじゃねぇか」
梨樹人がツッコムと、「その言葉を待ってました」と言わんばかりに慧莉の顔がドヤっている。
「今回はお前も関係ある相手だからな〜。ちゃんと報告しとこうと思ってさ!」
ここで、話を聞いたことが良かったのか、悪かったのか。
もちろん、中・長期的に見れば少なくともプラスなのだろう。
知らずにいたままでは明らかに後悔したであろう。
ただ、短期的に、この瞬間のショックだけは、聞かなければよかったと思わせられるものだった。
慧莉から発せられるその言葉を、梨樹人はしばらく理解することができなかった。
「俺の新しい彼女ってさ、あの柚津なんだよね」
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