わるい先輩
羽田宇佐
景山百香は鬱陶しい
第1話
幼馴染みは三人いる。
そのうちの二人は年上で、ウザい先輩と優しい先輩に分類することができる。今はどちらにも会いたくないけれど、どうしても会わなければいけないのなら優しい先輩に会いたい。
でも、家の前にいるのはウザいほうの先輩で、私は彼女と会話をせずに家の中に入りたいと思っている。
七月の炎天下、汗を拭きながら影が極端に少ない道をやっと帰ってきたと思ったら、景山先輩が家の前で待ち構えているなんて拷問以外の何ものでもない。
よし、見なかったことにして時間を潰してこよう。
私は家の前で踵を返す。
「おーい、
うるさく鳴いている蝉の声よりも大きな声が背中にぶつかってくるけれど、無視して家から離れていく。
「たーかーみーちゃーん!」
私は、三軒先まで聞こえそうな声で名前を呼ばれて耐えきれずに足を止めた。
振り向いて景山先輩を見る。
一番上まで閉められたブラウスのボタンと几帳面に結ばれた制服のリボンは、見ているだけで汗が出る。存在自体が暑苦しい彼女にぴったりだと思うが、真面目すぎるとも思う。
「景山先輩、うるさい」
彼女には学校帰りにわざわざ私の家に寄る用事なんてないはずだし、あったとしてもこんな場所で大声を出されたくない。
いくらここが隣どころか地域住民すべてが顔見知りと言ってもいい田舎で、道を歩けば「あら、多香美ちゃん」なんて声をかけられることが日常茶飯事な場所でも迷惑だ。それにこのままだと、近所の人から「相変わらず百香ちゃんと仲が良いのね」と声をかけられそうで目眩がする。
「えー、多香美が自分の家から遠ざかっていくから声をかけただけじゃん。親切だよ、親切」
押しつけがましい口調で言って、景山先輩がにこりと人の良さそうな笑みを浮かべる。そして、こっちへ来いというように手招きをした。
私は仕方なく彼女の前へ行く。
いつまでも大声で話をしていたら、本当に近所の人から景山先輩と仲が良いと言われることになってしまう。
「そういう親切いらないから」
素っ気なく言って、おまけにため息もつけておく。
「親切、いるでしょ。暑さで自分の家がわからなくなったのかと思って、心配して声かけたのに。かわいい妹になにかあったら困るじゃん」
「なにもないし、大丈夫だから。あと私は景山先輩の妹じゃない」
「妹みたいなもんじゃん。多香美がここに引っ越してきてからずっと面倒見てるんだし」
「ずっとって言ったって小五のときからだし、妹ってほどじゃない」
景山先輩の言葉は間違っていないが、大げさではある。
小学五年生になって東京からこの町に引っ越してきた私が、彼女に世話を焼かれていたのは事実だけれど、妹というほどかまわれてはいなかった。妹というポジションに相応しい人物は他にいた。
私と同い年の幼馴染み。
景山先輩に妹のようにかわいがられていたのは彼女だ。いや、今もかわいがられている。
「一緒に遊んであげたのに、もう忘れたの」
景山先輩がわざとらしく拗ねたような声を出す。
「学校同じだったことないし」
私が小学五年生だったときは中学二年生。
そして、私が中学三年生になった今は高校三年生。
私と景山先輩は、同時期に同じ学校に通ったことがない。
「ないけど、こうやって高校生になっても多香美に会いに来てるじゃん」
「会いに来てって頼んでないから」
「多香美、ひどーい。っていうかさ、帰ってくるの遅くない? なにやってたの? 暑いじゃん」
「委員会」
「私、委員会に負けたんだー。悲しい」
景山先輩は昔から地球は私のために回っているというような性格だったけれど、高校生になってその性格に磨きがかかっている。勝手に来て、勝手に待っていたくせに、早く帰ってこない私のほうが悪いみたいに言われても困る。
本当にウザい。
エスパーじゃないんだから、景山先輩が待っていることを想定して早く帰ってくるなんてできるわけがない。そもそも景山先輩が待っていると知っていたら、帰る時間を遅らせている。
「ま、いいか。早く中に入ろ。多香美、熱中症になるよ」
「いれないから。大体、景山先輩と会う約束なんてしてないし、ここにいる理由もわかんない。家、こっちじゃないでしょ」
「多香美と話したくてここにいるんだけど」
「どんな?」
「多香美のお母さんから、進路の相談にのってあげてって頼まれたの」
「はい、それ嘘。そこどいて」
私は手に持っていた鞄を景山先輩の足にぶつける。
「なんで嘘だってわかったの?」
「うちのお母さん、そんなこと景山先輩に頼まないから」
進路は、誰かに相談するまでもなく決めている。
それは母親にも伝えてあるから、相談役を誰かに頼むはずがない。
「えー、私、かわいいし、頭良いし、県内一の進学校に通う才女だよ」
景山先輩がこの上なくウザい口調で言う。
あまり認めたくはないが、彼女はかわいいと言ってもおかしくない外見をしている。
――鬱陶しいけれど。
本人が言うように県内一の進学校に通っているから頭もいい。
――鬱陶しいけれど。
総合すると、彼女はかわいくて優秀だけれど、それ以上にウザいということになる。さらに付け加えると、それを自分で言う性格に大きな問題がある。
「そういうこと自分で言う人って信用ないと思う。才女なら、それくらい気がつきなよ」
「ほんっと、多香美って私に当たり強いよね。こんなに真面目で優しい私に酷くない?」
優しいかどうかはともかく、見た目は真面目そうではある。景山先輩は校則を守っているとわかる格好をしているし、肩にかかるくらいの髪も制服と同じように校則を守っているとわかる黒だ。
でも、見た目と中身は関係がない。
景山先輩は、私から酷い扱いを受けても仕方がない距離感で接してきている。
「妥当だと思うけど。景山先輩、ウザいもん」
「そのウザさも、かわいさの一つだと思わない?」
「思わない。暑いから帰って。どうせ用事ないんでしょ」
「ちゃんとあるよ、用事」
そう言うと、景山先輩が私に三歩近づいて耳元に口を寄せた。
「多香美。
ずっと蝉が鳴いている。
うるさいくらい鳴き続けている。
景山先輩の声は蝉の声にかき消されそうなほど小さな声だったはずなのに、鼓膜が破れそうなほど大きな声に聞こえた。
汗が流れて、ぽたりと落ちる。
視線が汗と一緒に下へと落ちる。
玄関の前、染みが一つできている。
ここは海の近くで日陰も少ないし、暑い。
セーラー服は夏服でもそれほど涼しくない。
だから、汗が流れた。
景山先輩の言葉をすぐに否定できなかったのも、暑すぎるせいだ。夕方になっても気温はすぐに下がらないから、暑さで頭がくらくらとしている。背中が冷えてすうっとしているなんて気のせいだ。
顔を上げると、いつの間にか私から離れた景山先輩のウザいくらいの笑顔が目に映る。
「暑いからいれてよ、中に」
景山先輩が催促するように玄関を見た。
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