人鳥の夢

おくとりょう

『戻らない人を待つ』

Aspettare il corvo.《カラスを待つ》

 頭の上に被さるように、突き出した水槽。

 エサにつられたように数羽のペンギンたちが集まっていく。


 …ペンギンは飛ばないだろ。頭上を横切ろうとも。空を背景にしようとも。

 どんな展示のしかたをしても、所詮しょせんはただの飛べない鳥…。


「飛べない鳥に勇気は要るか?」


 自分の顔が醜く歪んでいるのが分かった。

 でも、そんな僕のことなんてペンギンたちは見向きもしない。ガラスの向こうで、すぅーっと水を割くように滑らかに、縦横無尽に動き回る。


******************************


「こらっ!ジョージ!

 いつまで寝てんのよぉ!」


 妙に甲高い薄気味悪い裏声に薄目を開けると、無愛想な一重眼ひとえまなこの坊主頭がこちらを覗き込んでいた。短いまつ毛のその奥で深く黒い瞳がいたずらっぽく光る。まだ寝ていたい僕は頭の向きを変え、再びまぶたを下ろす。


「…授ぅ業ぉぉ…終わった…ぞぉぉ…」

 さっきとはうってかわって低い声。耳の中に生暖かい息を吹きかけられて、びくっと飛び上がるように身体を起こす。首と背中がバキバキだった。机に突っ伏して寝ていたからだろう。

「…おっはよぉ」

 ニタっと白い歯を見せる彼の名前は、黒井竜。その名にたがわぬ体格で、所属している野球部ではエースとして活躍している人気者。厳つい外見で、怖がられがちだが、根は優しい。大事な、大事な……クラスメートだ。


「今日は部活休みだからよぉ、一緒に帰ろうぜ」


 野球部らしいよく通る声で言った。

 ベタッと頬を机につけて、ナマケモノみたいに気だるげな態度で。

 ギョロッと目だけこちらに向けて、だらしなく、ニタァっと口を開く。


「…昨日バイト代入ったから、今日は俺が奢ってやるよ」


 当然のようにファミレスに寄り道をするつもりらしい。僕の意見も聞かずに…。まったく…もう…。


******************************


 天井の空調が音を立てる。

 少し淀んだ、静かな空気に満ちた午後のファミレス。

「うぅ…。彼女が欲しい!」

 バンっと机に置いたカップの中で、飲み残された氷がクルクルっと回った。

「しぃー…」

 フライドポテトをつまみながら、人差し指を立てる。ちょうどおやつと夕飯の間くらいの時間だからか、店内の客は少ない。


「だって、もう夏も終わりだぜ?

 文化祭にクリスマスとイベント満載なんだから、さっさと彼女作んねぇと寂しい夜を重ねることになっちまうよ」


「…別に、竜はクラスの人気者なんだから、寂しい夜にはならないでしょ」

 氷を噛りながらボヤく竜に苦笑いを返す。…一瞬、何かが頭をよぎった気がした。


「そうでもねぇよ。

 …俺もいろいろ苦労してんだよぉ。

 だって、友だちが多いってのは、揉め事に巻き込まれることも多いんだぜ。みんなそれぞれいろんな意見を持ってるんだから」

 ポテトを一掴み頬張ると、氷が溶けて薄くなったコーラで流し込んだ。

「…それに顧問もうるせぇから、部活だけじゃなくて、勉強も手は抜けねぇし…」

「えぇ、めんどくさいな…。

 じゃあ、彼女と遊ぶ時間もないじゃん」

 不意に視界の端、窓の外が気にかかる。そこには一羽の黒いカラス。


「んー?そうか?…んー…そうだな。

 でもな、これが幸せなんだ。

 マイペースな自分時間が少なくても、周りの言動に腹が立ったり、哀しくなったりしても。このぐちゃぐちゃした中に、俺の幸せはあるんだよ」


 カラスは何かを見つけたのか、電柱の上でじっとしている。僕は何だかカラスから目が離せなかった。

 と、前触れもなく飛び上がった。


「お前が今の毎日の中に幸せを見つけているのと一緒だよ」


 歩道の上の、看板や電灯もある狭い空間をひゅーうっと通り抜けていくカラス。器用に周りにぶつかることもなく。


「…おい、おい!聞こえてる?」

 切れ長の瞳が怪訝そうにこちらを見つめている。

「え?あ?ごめん、えっと…幸せな彼女が欲しいんだっけ?」

 ぼうっとした頭でぼんやり応えると、がどっと沸き返った。


 ……え?…ここ、教室?


 首と背中がバキバキに凝っていて、僕は辺りを見渡せなかった。みんながどんな表情をしてるか、見れなかった。


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