吉祥寺変わるもの変わらないもの
佐倉涼@10/30もふペコ料理人発売
第1話
井の頭公園の池を望むベンチに腰掛け、空っぽになった串を弄ぶ。
この串は公園横にある老舗焼き鳥屋「いせや」で買ったネギ串が刺さっていた串だ。
いせやの焼き鳥は、少々変わっている。
具体的にはねぎまがない。
焼き鳥の定番であるねぎまがないというのは最初びっくりするが、慣れるとどうということもなくなる。ネギだけが刺さったネギ串も、これはこれで美味しいものだ。
ネギが刺さっていない串をくるくる弄びながら、池を眺める。
平日の吉祥寺は、静かだ。
池に漕ぎ出すボートは少なく、道ゆく散歩客もまばらだった。
「吉祥寺、変わっちゃってたなぁ……」
ベンチからぼーっと池を眺めながら一人そう呟いた。
吉祥寺に来たのは実に五年ぶり。学生時代に散々通いつめたこの街は、社会人になって久々に来たところ様変わりをしていた。
今日は平日。仕事で嫌なことがあったので有給を取り、在りし日の輝いていた頃の自分を思い出したくて吉祥寺までやって来た。
吉祥寺という街は新陳代謝が激しい。
大きな変化で言えば、十年ほど前にJR中央線と京王井の頭線を結ぶ通路が刷新され、大きな駅ビルができた。同じく「ロンロン」の名称で親しまれたJRの駅ビルも「アトレ」へと変わり、テナントにはお洒落で若者が好むお店が軒を連ねるようになった。
これは当時の自分をして楽しみであったと同時にちょっとした寂しさがあったのを覚えている。
小さな変化はもっとたくさん。
雑居ビルに入る隠れ家的なカフェはすぐに看板を掛け替えるし、この間まであったはずの雑貨屋はひっそりと姿を消す。
行列のできる居酒屋もあっという間に退店し、似た様な違う店が新たにオープンする。
吉祥寺という街だけでなく、世界も大きく変わってしまった。
生活が百八十度変わった人もいれば、大切な人に会えない期間が長い人もいるだろう。
青春を送るはずの高校生や大学生は、貴重な一年を孤独に費やし無気力になっているかもしれない。
それを考えれば職がありこうしてふらっと散歩に出ている自分はまだましだと思う。
今ある平穏がずっと続くなんていうのはきっと幻想で、明日にも世界はその姿を変えてしまう、という残酷な事実をこの一年で見せつけられた。
足元の基盤が崩された世界で、それでも人は前を向いて生きていかないといけない。
漠然とした不安を胸のうちに抱えたまま、そんな世界で変わらないものを求めて吉祥寺に来たのかもしれない。
吉祥寺という街は新陳代謝が激しい。
けれど、変わらないものだってたくさんある。
例えば駅を出てすぐの場所にあるハーモニカ横丁。
昔ながらの小さな喫茶店。
いせやだってそうだ。
それに勿論、今自分がいる井の頭公園も。
めまぐるしく変わっていく世界のスピードについていけなくなった時、変わっていないものを探すとホッとする。
それは「そのままでいていいんだよ」と言ってくれている様で、取り残されていると焦らなくてもいいんだと思える。
そうして前を向いたなら、また明日に向けて一歩を踏み出せるというものだ。
「……よし、頑張るか」
串をしまって立ち上がった。
一日ぶらぶらしたおかげでエネルギーが充電できた気がする。
これで明日からまた、頑張れる。頑張ろう。
自分にそう言い聞かせて、変わらない変わっていく街を後にした。
吉祥寺変わるもの変わらないもの 佐倉涼@10/30もふペコ料理人発売 @sakura_ryou
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