29 綺麗な横顔を思い浮かべるうちに
「いち!」
「に!」
「さん!」
掛け声と共に、一斉に腹筋を始める。一回ずつアゴを膝の上に乗せて、最後は肩まで地面に戻す。それがルールだ。
「ななじゅういち!」
「ななじゅうに!」
「あ~、もうダメだ……」
ぼちぼち脱落するメンバーが出始めたが、僕はまだまだ余裕である。
「ひゃく!」
「……まだやるの?」
「え? 全然余裕だけど」
フィジカルモンスターの椋也も、まだ余力がありそうだ。
「ひゃくごじゅう!」
「畜生! もうダメだ~」
最後まで残っていた椋也が降参すると、残っているのは僕だけになった。
「にひゃく!」
「日課にしているのは210回ちょっとだから、もう少しだけ付き合ってくれるかな。最後の10回だけはペースを落として、腹筋に負荷かけながらやるんで……」
屈強な肉体を持つ椋也でも、ここまでは出来ないらしい。ボールを扱う技術や、ボールの奪い方、体の使い方。そうしたサッカーの技術では、僕は医師や與範らに敵わないだろう。各種フィジカル面、スピードでも、瞬発力でも、持久力でも、ジャンプ力でも、反射神経でも、パワーでも。だけど単純な腹筋運動なら僕でも張り合える。そう思うと少し自信になった。まあ僕の方が年長でお兄さんなのだから、出来なければおかしいとも言えるが。
「うッ……」
「おいおい無理すんなよ?」
「ちがぅ……ちょっと頭が……」
……まただ。また、頭がズキッと痛んだ。無理しすぎて腹筋が痛いと勘違いした医師が声を掛けてきた。片頭痛はすぐに治まった。「何でそんなに腹筋出来るんですか?」野心の質問に、僕は毎日少しずつ回数を増やしていくフィジカルトレーニングについて教えた。「なるほど」「帰ったらやってみる」と、感心するメンバーであった。
二日目。午前中。歩いて近くの海岸へ向かい、ひと泳ぎ。午後は大仏を見に行った。遠目からも大きな像が見える。玉砂利が敷き詰められた境内を歩き、大仏の裏手に回ると、背中の小窓が空いていて、換気? 掃除? の最中であった。参観料を払って中の展示物も見て回り、近場で昼食休憩。
それからガイドブックを片手に銭洗弁財天へ。「弁財天なら埼玉にもありますよ」野心の言葉にカチンときたのか、「いいの! 地元とは別だから!」ムキになって反論する女性陣であった。土産物屋を見回りつつ山道を歩き、洞穴を抜けると弁財天がある。池を泳ぐ鯉を眺め、小銭を洗う。金運の神様のようで、ここで清めた小銭やお札を大切に持っていれば、大きなお金になって戻ってくるそうだ。僕たち兄弟には全く関係ない話である。
夜。海岸で花火大会があるのはネットで調べておいた。少し遠いが、車で行くと渋滞に巻き込まれる。駐車場を探すのも大変だろう。会場までは、みんなでのんびり歩いて向かった。近付くにつれ、ものすごい人集りになっている。車は予想通り列になっているし、歩きで向かう人も多い。途中、「もうこの辺でいっか?」という声も出たが、やはり「近くで見たい」という声の方が大きかった。最寄り駅を過ぎると、電車で来た人の群れも合流して、なかなか前に進めなくなった。時間に余裕を持って出たつもりだったが、会場付近の海岸に着いた頃には、もう花火大会の開始時刻である。
陣取りに向かう班と、出店で食べ物を調達する班に分かれた。宿で夕食は済ませてあるが、別腹である。僕は買い出し班の方に入り、みんなで分けて食べられそうなもの、たこ焼き、焼き鳥、唐揚げ、団子、揚げ餅、ベビーカステラなどを中心に、抱えるほどの戦利品をゲットした。
打ち上げが始まり、花火の明かりが足元を照らす中、みんなと合流。それから小一時間、花火と屋台の味を楽しんだ。そっと隣に腰掛け、ベビーカステラを頬張り、色鮮やかな花火に彩られた栗岡の横顔。花火よりも、花火を楽しむ栗岡の表情の方が気になって、何気なく眺めていただけなのだが、後ろから誰かに蹴っ飛ばされた。おい、サッカー選手の蹴りは凶器だぞ! と思ったが、女性の顔をジッと視姦していた僕の方が悪いだろうと思い至る。反省。
ひときわ大きな尺玉が夜空を飾ると、花火大会は終了である。綺麗な花火と大音響の余韻に浸りつつ、僕たちは帰路についた。
寝る前。お風呂に入ると、背中がヒリヒリと痛んだ。それも尋常な痛さではない。この2日間、上半身裸で外を歩き回った結果、日焼けをし過ぎたようだ。他のメンバーの体を見ると、僕と同じように真っ赤になっている。熱い湯船に浸かるのは無理なので、冷水シャワーを浴びて火照る体を冷やした。シャワーの水は冷んやりとして気持ち良かったが、風呂場を出るとまた熱くなる。
みんなでカードゲームを楽しみ、日課の筋トレをこなし、布団に入るまで、そして入った後も、背中の痛みが僕たちを苦しめた。一日中遊び歩いて体には疲労を感じる。それでも寝付くまでにかなりの時間を要した。花火会場で見た、栗岡の綺麗な横顔を思い浮かべるうちに、僕はいつしか眠りに落ちていった。
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