19 みんなの役に

「このシーンを見て」動画を見せながら栗岡は続ける。

「與範君、トラップの前に首を振って周りの様子を見ているよね?」

「はい~」

「この時、後ろから来る相手に気付いていたの?」

「見えてましたよぉ~」

「それで何を考えた?」

「少し遠いなぁ~って」

「遠い? 相手が?」

「そうです~。ボールスピードも速いし、トラップする余裕があって」

「それで?」

「止めてもう一回見たら、近くまで来てたからぁ~、そこで反対側から抜こうかなぁ~って」

「ここのトラップね。DFの背後に軽く出して。ほら、DFは勢いがつきすぎて止まれない。これで簡単に入れ替わっちゃうの」

 巻き戻したシーンを何度か示す。

「そんな細かく見られると恥ずかしいよぉ~」

「いいの! 褒めるところは褒める! それでポイントなんだけど、一言で言うならファーストタッチね」

「ファーストタッチ?」

「そう。野心君の低くて強いロングパスを、完璧にコントロールしたファーストタッチ。ここでトラップが大きくなったら、次のプレーは出来なかった」

「なるほど」

「もちろんトラップ前に周りを確認するのも大切ね。敵味方の立ち位置が違えば選択肢も変わるし、余裕も生まれるわ。そのあと凡平君に出したパスも見事。スピードを殺さず……」


 栗岡の分析は的確だ。体が勝手に動いてしまうという與範も「言われてみればそうだよぉ~」と、納得した様子。野心も強く頷いた。より厳しいプレスをかけて来るプロのチーム相手ともなれば、ファーストタッチでしっかりボールを収められるかどうかで展開は全然違ってくる。與範ほど上手くは出来なくとも、これから重要になるから練習をするべきだろうという意見で一致した。パスを利き足側に出してあげる事。最後のプレーこそ丁寧にやるべきだ。などなど。その後も4人でビデオを見ながら、ああでもないこうでもないと議論し、暗くなる前に解散になった。

「近くだから平気だよ」遠慮する栗岡を、「買い物のついでだから」という理由を付けて家の前まで送り、本当は買う物も無いのにコンビニに寄ってから帰宅した。


 これと前後して、4月の上旬にもう一つ記録しておくべき出来事があった。祝勝会のあの日、顔を出した元サッカー部員の一人。172センチ71キロ、全身筋肉の塊のような男がいる。名前は海老沢椋也えびさわりょうや。サッカーはあまり上手くなく、高校3年間、一度もベンチ入りしなかった。というより、2年生の頃から椋也は自ら志願してホペイロ役をやっていた。ホペイロというのは、球拾いをしたり靴磨きをする用具係の事だ。選手として限界を感じるが、「サッカーが好きなのでみんなの役に立ちたい」そう言って、率先して練習の準備や後片付けに精を出していた。

 椋也がガチムチなのは、いつも部活の後、一人グラウンドに残って筋トレに励んでいたからだ。毎日毎日、たった一人、暗い中で。パートナーはメディシンボール。メディシンボールというのは、重りの入ったボールだ。5キロのメディシンボールを使って鍛えた椋也の胸板は、主力メンバーの誰より厚い。

 先の祝勝会で、チームに入れてくれと言った仲間を横目に何か言いたげであったが、その時、椋也は何も言って来なかった。数日前、その椋也から連絡があった。内容はあの時の元部員と基本的に同じだが、彼の望む事は全く違う。僕たちの手助けをしたい、球拾いでも何でもやらせてくれという話だった。僕たちの成功に付け込んでおこぼれを貰おうという話ではない。純粋に手伝いたい。この言葉に嘘偽りがない事を、3年間ひたすら裏方の仕事をこなしていた椋也を見てきた僕は知っている。独断では決められないからと、返答は保留した。

 この話を、帰る道すがら打ち明けると、彼ならばと栗岡のお墨付きを得た。キャプテンも、その他のメンバーも「椋也ならば」と、声を揃えた。こうして17人目のチームメンバーがキュー武に加わった。


 翌週末。椋也が加わった初のチーム練習。メンバーも多く集まって熱の入った練習が出来た。椋也はレギュラーではなかったが、一人でずっと自主トレを続けていたと言うだけあって、体力的にも高校でやっていた頃と変わらず。いや、体力的には高校時代より伸びているかも知れない。ボールを蹴る技術もそこそこある。ただ試合勘や連携面は全然なので、ベンチ要員である。これは本人も了解済みで、むしろベンチに入るのも辞退したいと言うほど。ベンチ登録は18人までなので、椋也が入っても足りないから問題無いと言うと、じゃあ足りない間だけと、ベンチ入りを承諾した。

 椋也について、もう一つ特筆するべき事がある。椋也の強靭な背筋から繰り出されるロングスローについてだ。紅白戦でSBに入った椋也が放ったスローインは、ピッチの横幅の半分を超えて、逆サイドのラインまで届きそうなほどの飛距離がある。直線距離で50メートル近く飛んだだろうか。これはキュー武の秘密兵器になるぞと、みな目を輝かせた。

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