第二部 天皇杯本戦
17 買って来なくてもいいのに
祝勝会から一夜が明けた。
母が早朝、コンビニで買って来たのは、地元の地方紙『たま新』である。普段取っている新聞は全国紙なので、今日は特別だ。なぜ特別なのかは言うまでもないだろう。そう、あの記者がどんな記事を書いてくれたのか気になったからだ。
「ほら、ちゃんと載ってるわよ」新聞を指し示す母。本当は興味津々だったのだが「わざわざ買って来なくてもいいのに」などと、なるべく平静を装って新聞を受け取った。ページの六分の一ほど、5段の半面サイズ。写真入りで、思ったよりずっと大きく紙面が割かれていた。
『2020年度 第100回天皇杯 全日本サッカー選手権 埼玉県代表が決定!
22日、JFA天皇杯全日本サッカー選手権の埼玉県予選決勝が行われ、キュービックジルコニアTAKEDAがアルゼンチン国際大学を1-0で下し、天皇杯本戦への出場を決めた。武田與範 (16)が殊勲の決勝点を挙げ、アルゼンチン国際の反撃はチーム全員の体を張った守備で守り切った。武田與範は予選一回戦でもハットトリックを決めるなど、今予選を通じて合計7得点。(山崎信一郎)』
僕の名前が載っていなかったのは少し残念。だけど僕たちキュー武や與範の名前が載っているから、これは永久保存版にしよう。そう思って、母にハサミを持ってきて貰うと、記事を丁寧に切り取った。それから部屋の中を漁って、高校時代に使っていたファイルを探した。適当な物が見付からない。仕方が無いので、ずっと空っぽのまま棚に置いてあったファイルを取り出した。ファイルの表裏両面には、僕が中学生の頃人気だったアニメのキャラクターが描かれている。恥ずかしくて学校では使えなかったもの。幸いというべきか、一度も使わなかったので状態は良好である。これからも切り抜き記事が増えるだろうか。天皇杯を勝ち続ければ、いずれいっぱいになるだろうか。
それから僕は運動しやすい格好に着替えると、「行ってきます」一言残し、いつものランニングに出掛けた。あの日。「体を鍛え直さないと」と、キャプテンに誓った日から、僕は筋トレ・ランニングなどのフィジカルトレーニングを日課にしている。試合前日など大事な日はやらなかったり、軽めのメニューにしているが、それ以外は雨の日でも欠かさない。その成果は少しずつ出ている。
まずランニング。1月、体が鈍り切っていた頃は、例の工場のグラウンドを1周、約2キロ走るだけでバテていた。それで動けなくなるほど運動音痴ではないのだが、息が上がってしまう。いきなり無理しても仕方が無いので、最初の10日ほどは1日1周だけ軽くランニングをして体を慣らした。慣れてきてからは1周と四分の一、約2・5キロの距離を、また10日。2月に入ってからは1周半、約3キロになり、3・5キロになり、今は2周4キロを日課にしている。
ランニングの後は筋トレ。機材を使ったトレーニングより、何も使わないトレーニングの方が良いと聞いた事がある。だから自重を負荷にした腕立て伏せと、腹筋背筋スクワットを基本メニューにしている。鈍っているとはいえ高校時代はそこそこ鍛えていた僕だ。初日から各30回ずつをこなした。翌日、少し筋肉痛というか、筋肉のハリ・重みを感じた。1月いっぱい、各30回のメニューを継続すると、体も慣れてきて
天皇杯予選があったのでそれどころではなく、見に行く機会が無かったJリーグ。実は既に開幕している。スタジアムには行けなかったものの、テレビやネット配信で毎試合観戦していた。地元さいサファは開幕ダッシュに成功し、すこぶる好調である。今シーズンも優勝候補の筆頭との呼び声が高い。そのさいサファの年間ホームチケットを父が用意してくれた。僕一人の分だけじゃない。玲人や野心の分もだ。それだけじゃない。チームメイト全員が見に行ってもなお余る、20人分である。ホームSS指定席で年間パスポートが約15万円、その20人分なのだから、ざっと300万円。僕からすれば目が飛び出るほどの大金。父はいつものように「お金の心配は要らないから好きにやりなさい」と言って応援してくれているようだ。父の好意を有難く受け取った。
今週末の土曜日、28日はさいサファのホームゲームがある。天皇杯の地区予選をまだ行っている地域もあり、チームが出揃っていない。だから当然対戦相手や会場、日程も決まっていない。みんなに連絡して、28日は暇なメンバー全員でサッカー観戦に行く事にした。マネージャーの栗岡も誘った。サッカーオタクの栗岡が二つ返事でオッケーしたのは言うまでもないだろう。
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