第6章 謎の富豪夫人 54

 オルコット夫人の顔が優しくなった。

「アシュビー家の方々はご苦労なさったのね」

「祖母はとっても大変だったと思います。気丈な人なのでなんとかやってこれたんです」


 シェリーはエリザベスの苦労を想っていた。両親亡きあと、ひとりで取り仕切ってきた。幼いシェリーにはわからなかったが、エリザベスは頑張ってきた。慣れないワイナリーの経営も亡き息子が作り上げたものなので、つぶすまいと細々ながらも継続してきたのだ。


 シェリーは、ふと父の口ぐせを思い出した。

「シェリー、ワインは生きているんだ。だから手が抜けない」

 アシュビー家のワインは、一家の想いのこもった芸術作品だ。


「シェリー、これからは私が力になるから安心してね」

 オルコット夫人の目が力強く輝いた。

「ありがとうございます。でも……」シェリーは言葉に詰まった。

「なにかしら?」オルコット夫人が訊いた。

「感謝の気持ちでいっぱいですが、なぜ、そこまで私に親切にしてくださるのでしょうか」これは最初から不思議に思っていたことだ。


 夫人は含みのある謎めいた表情を見せた。

「それは、私の趣味みたいなものよ」

「趣味?」

「そう、あなたのように頑張っている女性を応援したいの」


 そうなのか。だが、なにか腑に落ちない話でもあるとシェリーは思った。

「シェリー、そんなに考えこまないで。幸運が訪れたときは、迷わず従ってほしいわ。それに、アシュビー家のワインは素晴らしいもの。それが支援の一番の理由なの」

 オルコット夫人は、人を魅了するようなほほ笑みを浮かべた。


「この最高のワインは、聖アナベラ祭のパーティーのときに使わせてもらうわ。まだ、在庫はあるかしら」

 聖アナベラ祭は、ロルティサの春を告げる最大の祝賀祭だ。

「他ならぬオルコット夫人のためです。大事にとっておいた分を出させていただきます」とシェリーは言った。

 オルコット夫人は嬉しそうにグラスをかかげた。

「今年は盛大よ。カトラル伯爵家では、お祝い事があるそうだから」

 

 カトラル伯爵、その名によって、シェリーは胸のあたりにひりひりとした痛みを感じた。お祝い事とはレオナルドの結婚式のことだろう。

「春には、カトラル伯爵が結婚するそうですね。お相手はコルトハード大公の姫君だというお話です。ロルティサもさぞかし、お祝いで盛り上がるでしょうね」

 シェリーはさりげなく言ったが、顔は自然に血の気がうせて青白くなっていた。


 その様子に夫人が気がついた。

「シェリー、あなたも早くふさわしい男性をみつけたいでしょうね。きれいなあなたが、ひとりでいるのはもったいないわ」

 シェリーは、笑いながら手を振った。

「とうぶんは、ワイナリーのことでいっぱい。恋にはこりています」


 オルコット夫人は好奇心に満ちた顔を向けた。

「誰か好きな人でもいたの?」

「いいえ、そんなことは別に、ただ、男の人って難しいって思うことがあったんです」

「まあ、そうなの。だけど、世の中ってそう悪いことばかりじゃないの。きっと、あなたにもいい人があらわれるわ」


 シェリーは小さく肩をすくめた。

「そんなことあるのかしら……」

「絶対に現れると思うわ。幸運が訪れたら、素直に従ってね」


 シェリーはオルコット夫人は楽天的な人だと思った。きっと、これまで愛されて幸せに暮らしてきたのかもしれない。

「ありがとうございます」シェリーは儀礼的にお礼を言った。





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