第3章 王家の争い 26
「顔を上げよ」ベアード卿は命じた。
シェリーは静かに起き上がった。
シェリーの視線は斜めに落ちている。
ベアード卿は面白そうに、シェリーの周りを歩いてみせた。
「こんな日が来るとは、予想もしなかっただろう」
シェリーは黙っていた。
ベアード卿は、彼女の顔を指で軽くつまんだ。
「もう、レオナルドを忘れることができたか?」
シェリーの唇は震えた。
「どうだ、答えろ」
「お答えする必要はありません」
シェリーは、ベアード卿に目を向けた。瞳がエメラルド色に輝いている。
「今日は、ご挨拶に来ただけです」
ベアード卿の顔が気色ばんだ。
「俺を誰だと思っている。このロルティサは俺のものだ。レオナルドは死んだ。お前は、それがわかっているのか」
「だから、ここに来ました」
シェリーは平然と答えた。シェリーの度胸が急に定まった。
ベアード卿は侮蔑的な眼差しを見せた。
「お前は立場を心得ているのか。俺の命には従わなければならない」
「わかっております」
ベアード卿は、シェリーを威嚇するかのように顔を近づけた。シェリーは、仮面舞踏会での恐怖を思い出した。あのときと同じように、ベアード卿が襲いかかってきたら……
シェリーは目がくらみそうになった。
「まあ、いいさ。抵抗しても、時間の問題だ。俺はレオナルドとは違う。本物の貴族だ。君だってまんざらでもないだろう」
ベアード卿は顔を離すと、薄笑いを浮かべた。
シェリーは背筋に冷たい戦慄を感じた。
ベアード卿は指を鳴らし、部屋の外にいた兵士を呼んだ。
「この女を監禁しておけ。カトラル伯爵に通じていた疑いがある」
兵士は、立ちすくむシェリーを有無も言わせず、腕をつかんだ。彼女は強い力で部屋の外に連れ出された。
兵士は、シェリーを伯爵邸の二階にある狭い一室に閉じ込めた。
部屋の中には、ベッドと古びた椅子と机があるだけだった。シェリーの背丈より高い位置に、換気用の窓がひとつある。その小さい窓から、かろうじて光が差し込んでいる。粗末な監禁室だ。
シェリーは一人取り残されると、きしむベッドに座り、静かに泣き出した。
その日の夜は、泣きながら眠った。
翌日シェリーは、窓から入る朝の光で目を覚ました。恐怖に身を縮めながら眠ったせいで、体の節々が痛い。
部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」シェリーは疲れた声で言った。
扉が開かれると、侍女が顔を出した。
「シェリー様、朝食の用意ができました」
丸顔のふっくらとした侍女は、パンとスープという簡単な朝食をトレイにのせていた。
侍女は朝食をテーブルに置くと、身をかがめ、笑顔を浮かべた。
「シェリー様、お気をしっかりとしてください」
侍女は椅子に座るシェリーに、声をひそめて話しかけた。
シェリーは目を大きく見開いた。
「あなたは……」
侍女は指を唇にあてた。
「私は、カトラル伯爵にお仕えしていた者です。シェリー様のことは存じております」
シェリーは心に、温かい感情が沸き上がった。この閉ざされた空間に、ささやかな希望が現れたように思えた。
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