供物
博雅の三位
供物
甲冑姿で、壁にもたれかかり、片膝を伸ばした体育座りのような姿勢で、女が寝息を立てている。
西洋の刀剣が一振り、脇に転がされている。
すぐに拾い上げて、構えられるようにか、左手が柄に添えられていた。
唐突に女は目を開き、警戒するように周囲を見回す。
女のいる家は、キッチンを兼ねた居間と、寝室の二部屋で構成されている。
居間の方は、まるで誰かが慌てて逃げ出したように、荒らし尽くされていたが、 寝室にはまだ秩序が残っていた。
「おはようございます。寝心地はいかがでしたか?」
女は静かに体を起こし、正面のベッドに仰向けで寝かされている青年に声をかける。
青年からの返答はなく、女は安心したように口元に笑みを含ませる。
「余計な心配でしたね。もうしばらく、身体をお休めください」
女は甲冑を脱いで、音を立てないように寝室の隅に置くと、荒れた居間の掃除を始めた。 掃除の手つきそのものには、手慣れているものを窺わせたが、まだどこか、ぎこちなさが残っており、まるで他人の家を掃除しているような雰囲気があった。
朝に始められた掃除は、昼過ぎまで続き、その間、青年はベッドから一切出る素振りを見せなかった。
「必要なものを調達してきます。むやみに外出なさらないでくださいね」
甲冑を装着し直した女は、そう言い残して出かけたが、相変わらず青年からの返答は無かった。
月が中天に差し掛かった時、小さな民家の扉は、静かに開かれた。
「ただいま戻りました」
扉の外から、両肩を隆起させた人型の影が入ってくる。
女が、両肩に大きな二つの袋を抱えて戻ってきたのだ。
女の全身は血で滴っており、それは全て返り血のようであった。
女が重そうに二つの袋を降ろし、そのはずみに袋の口がほどける。
それぞれの袋からは、袋の中身が滑り出てくる。 片方の袋からは、皿や食べ物のような雑多な日用品が。
もう片方からは、種種雑多な大量の薬草、厚みのある本が数冊、そして人間の臓器や肉片がまろびでてきた。
「もう、一日中そうしていたのですか?」
女はベッドの青年に声をかけるが、青年は微動だにしない。
女は一瞬だけ悲しげに顔を歪ませたが、すぐに普段の笑顔に戻した。
「少し服が汚れてしまったので、川で洗い流してきますね」
女はそう言って出ていくが、昼と違って、返事を期待するような様子は無かった。
女は昨日と同じように眠り、目を覚ました。
昨日の朝と違う所は、二つあった。
一つは、生活感があったことである。
荒れていた居間は、整頓され、持ち帰った日用品が綺麗に配置されていた。
二つ目は、寝室の様相である。
大小様々な、謎の模様が床のあらゆる所に描かれており、模様の中心には、それぞれ不気味な何かが据えられていた。
動物の首を串刺しにして刃が突き立てられていたり、謎の薬草の束が置かれていたり、何かの液体が注がれている手製の容器が置かれていたりしている。
寝室と居間の様子は全くの対極であり、二つの部屋を仕切る、扉の排除された枠組みは、まるで彼岸と此岸を隔てる境界線のようであった。
女は壁に打ち付けられた、木組みの本棚に数冊の本を立て掛け、ベッドの中で沈黙し続ける青年の側に、両膝をつけて座る。
背筋を伸ばして、女はやわらに語り始めた。
「これからは『材料』や食料の他に、本も時々持ってきます」
「あなたは大層、本がお好きでしたね。読んだ本の内容を、とても楽しそうに、何度も私に語り聞かせてくれました。」
女は懐かし気に目を細めて、動きのない青年の頬を、愛おしそうに撫でながら続ける。
「私は職務がありましたから、あなたのお話を聞いてあげることしかできませんでした」
「だから私も本を読むことにしました。今度は私が色々なお話をして差し上げますね」
「読み終えた本は、あなたの部屋に並べておきます。目を覚ました時、本に囲まれた部屋を見回して驚く、あなたの顔を見たいですから」
そう言って青年の頭を撫でようとした瞬間、家の外から、大量の甲冑の擦れる音が聞こえる。
女は名残惜しそうに青年の髪を撫で、立ち上がる。
「では、行ってきます。良い子にしていてくださいね」 青年に背を向けた女の表情は、冷淡そのものだった。「今日は悲しい報せを受けました」
そう言って、女は三段目の本棚に本を立てかける。
「私達の祖国が滅んだそうです。国王は処刑され、共和政の国家が新たに樹立されたとか」「いずれこうなるとわかってはいましたが、故郷が無くなってしまうというのは、やはり、寂しいものがありますね」
女は、壁に立てかけた甲冑の胸の部分に彫られている、祖国の紋章を何度もなぞりながら、祖国での青年との思い出を、夜が更けるまで語り続けた。
「今日は面白いものを見ましたよ」
そう言って、女は七段目の本棚に本を立てかける。
「鉄砲と言って、鉄の筒に火薬を詰めて、炸裂させることで、鉛玉を打ち出す武器です」
「最近の人達も、色んなことを思いつくんですね。おかげで酷い目に遭いましたよ」 女の服や甲冑は、最早、装備品の体を成せないほどの風穴を開けられていた。
「でも大丈夫です。あなたにそれが向けられることは決してありません。」
「私がいますから」
女は、銃火に晒されて穴だらけになった服を、青年の側で夜通し修繕していた。
その肉体に、銃創は全く見当たらなかった。
「今日は大変な一日でした」
そう言って、本棚で埋め尽くされた壁の真下の床に、本を並べる。
「あなたを癒すための材料が、どこかに行ってしまって」
「代わりに兵士がたくさんいたんです」
大きなため息をついて、青年のベッドに腰掛ける。
「彼らを皆、消し去ってから、材料を調達するために、ずいぶん遠くまで足を運びました」
「そこでも色んな攻撃に見舞われて、本当に骨が折れましたよ」
女は座った姿勢のまま、上体を横に倒し、ベッドに身体を半分だけ預けた。
そして、壁にある大量の本の背表紙を眺めながら、外で自分の身に起きたことへの愚痴をこぼし続けた。
「ただいま戻りました」
そう言って、玄関の扉を開けたと同時に、中へ倒れこむ。
女は肩を上下させ、目の焦点は定まっていなかった。
全身には謎の金属片や鉄の棒が突き刺さっており、そこからは滾々と血が這い出ている。 枯渇した気力をふり絞り、何とか身体を起こして、キッチンにある自家製の液体を飲み干す。
よろよろと壁にもたれかかり、身体から伸びている金属を乱暴に引き抜いていく。
壁を支えにして、深呼吸を繰り返していると、みるみる身体の傷はふさがり、意識も明瞭なものとなってきた。
まだややおぼつかない足取りで、青年の元へ向かう。
足元は、魔法陣と本で埋め尽くされていたが、女はそれらを踏みつけないよう、何とか足を操作して、青年の元へたどり着いた。
ベッドに身体を乗り出し、青年の顔を両手で包む。
「あなたはあれからずっと、その瞼を閉じたまま」
「きっとまだ、あなたの心は怯えという鎖に繋がれたままなのですね」 女が青年に口づけをする。
青年の唇は、血色こそ悪かったが、潤いはあった。
「ですが、安心してください。いつか必ず、その心に平穏を取り戻して見せます」
そう言った女が、力なく笑いかけた瞬間、玄関の扉が粉砕され、外から大きな機械の足が現れた。
足の持ち主が、玄関の敷居を跨ごうと、伸びた足を地につけようとする。
すかさず女が片手を掌底のように突き出すと、機械の足とその持ち主は、玄関ごと、はるか彼方へ吹き飛んでいった。
機械の足は、それ一つではなかった。
外から聞こえてくる、無数の機械が地面を踏む音が、だんだんと大きくなってくる。
じきに、別の足が、この家に踏み入ってくるだろう。
女の両眼から、不意に涙が零れ落ちる。
「だから、あなたが再び、その瞳に私を映した時には、あの頃と同じ笑顔を、私に向けていただけませんか。この数百年、それだけを願って、戦い続けてきたのです」
この言葉が、青年からの返答を期待してのものだったのかは、女にもわからなかった。
ただ、言わずにはいられなかった。
女は、涙を流したまま、青年の顔をしばらく無言で見つめ、外へ飛び出した。
すぐに家の外から、金属の割れるような音が届くようになった。
青年からの返事は、最後まで無かった。
女の作った自家製の液体が全て蒸発しきった頃、何人かの人間が、家の前に立った。
その人間達は、全員が白い防護服のようなものを身にまとい、ガスマスクを装着している。
肩には無線機が付けられており、各々が何らかの武器を装備していた。
人間達は家を物色し、いくつかの書物を回収した後、家を出た。
リーダーらしきの人間の合図で、火炎放射器を装備していた人間が、家を火で包む。
家の何もかもが燃え、灰へと姿を変えていく。 女の家が完全に焼き尽くされたことを確認したリーダーの人間が、任務完了を無線で報告する。
無線から、管制室の人間の声が聞こえてきた。
「了解。ところで、人間の遺体らしきものは見つかったか?」
「遺体?」
リーダーは怪訝そうな声で繰り返す。
「そうだ。肉片や臓器の一部ではなく、五体満足の遺体だ」
「そんなものは見当たらなかった。遺体があったような痕跡もだ」
「何もか?」
「一人でに歩き出すようなことでも起きてない限り、遺体が存在したとは考えられない」
「了解、直ちに帰投せよ」
無線を終了すると、彼らを回収するためのヘリコプターのローター音が、近づいてくるのがわかった。
供物 博雅の三位 @hahutatu
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