一.
広い庭を足早に通り抜け、植木を整えていた侍従の青年に外出を告げて
すると突然、ひときわ明るい閃光がひらめいた。一条の雷光が地を打ったかと思うと、地鳴りのような轟音と地震が温文洸を襲う。激しい衝撃に足元をすくわれて、温文洸は地面に倒れ伏した。
怪我、病、悪天候、災害、地上にいた頃には散々煩わされたもの全てがここ天界には存在しない。そんな天界が天変地異に見舞われるとき、それは新しい神が迎えられるときに他ならないのだ。そしていつものように、揺れはすぐに収まって空も何事もなかったかのように晴れ渡っていく。温文洸は立ち上がって膝を払うと、雷の落ちた場所に向かって走り出した。
新しい神は、自身の大殿のできる場所に雷とともに落ちてくる。今回は智将大殿からはさほど離れていなかったが、それでも生前から体が弱く、体力も乏しい温文洸が走るには辛い距離だ。途中で何度か立ち止まりながら、息を切らしてようやく到着したときにはすでに人だかりができていた。額の汗を拭い、両手を膝について息を整える間にも、人々——もとい神々が新入りを囲んでいる声が次々と耳に飛び込んでくる。
「ついに昇天されましたな!あなたほどの仁君ならばもっと早くに来られてもおかしくなかったのに」
「いやはや、あれほどの揺れを起こすとは、やはり只者ではありませんな。さすがは
「そうですね、さすが国中から信仰されているだけのことはありますわ。貴方が昇られたと知ったら、衍義智将もお喜びになるでしょう」
祖武王と衍義智将の名が耳に入った途端、温文洸ははじかれたように顔を上げた。
「まさか、江——ッ、けほん、
まだ息が上がっているところに慌てて言葉を発したせいで、温文洸は派手にむせてしまった。もちろん、興奮した人だかりの後ろで一人咳き込む温文洸に目を向ける者は誰もいない。
「しかし、
誰かが温文洸の名を出した——その一言を皮切りに群衆の話題は彼に移り、皆があたりを見回し始める。
「そういえば私も見ていませんわ。今回はご親友の祖武王陛下だと言うのに珍しい」
「もしかして、道中でへばっているのではないか?ほら、あの方は昇天しても体が弱いままだから……」
「待て、文洸もここにいるのか?道中でへばっているとは何事だ?」
群衆の声を遮って、ひときわ力強い声が聞こえてきた。太くたくましいその声は、何年離れていても間違えようがない。温文洸はどうにか息を整えると、
「陛下、ご安心を。臣はここにおります!」
と、扇子を持った手を振りながら大声で言った。
途端に、群衆は水を打ったように静まり返った。皆が温文洸を振り返り、人垣が割れて中心にいる人が姿を現す。温文洸は、百年越しに再会したその人物、かつての主君こと祖武王・江青虯と見つめ合った。
温文洸が世を去ったのは、宇国が中原を平定する直前のことだった。江青虯のために無理をして戦場に行き、そこで病を得て帰らぬ人となってしまったのだ。それから天界の神々に加えられて昇天したときには、実に二十五の年月が流れていた。
一方の祖武王こと
「祖武王陛下の昇天を心よりお祝い申し上げます。願わくは陛下を慕う国民が、これからも陛下の武功と仁政を忘れることなく、陛下への信心を持ち続けますよう、微力ながらお祈り申し上げまする。」
と述べた。
「温智将、そなたとこうして再び相まみえるは我が最大の慶事である。万事変わりないか?」
江青虯はそう言いながら
「はい。ここに迎えられてからは、病を得ることもなく過ごしております。体力の方は相変わらずですが……」
「気にせずともよい。そなたの武器は体ではなく頭なのだから、健康に過ごせているならそれで良い」
温文洸が自虐を交えれば、江青虯はしごく真面目な顔でそれを否定する。肩に置かれた手も決して力のあり余った男のそれではなく、温文洸の薄い肩をふわりと優しく掴んでくれている。
二人は少しの間見つめ合っていたが、ふいに江青虯があたりを見回して言った。
「ところで、私はどこに滞在すれば良いのだ?この場所には何もないが」
「それならば、日暮れまでお待ちいただければ祖武王陛下の大殿が完成いたします」
周囲を見回す江青虯に、人垣の中から誰かが答えた。
「せっかく再会されたのですし、今日は一日衍義智将と過ごされてはいかがです?積もる話がおありでしょう」
また別の誰かが言った。その言葉につられて、群衆も口々に賛成の声を上げる。衍義智将と祖武王の物語は、宇国建国の歴史における重要な要素だ。それは天界においても同様で、しかもここにいる皆が二人きりで時間を過ごすことに賛意を示している。江青虯はそれを見て取ると、温文洸を促して人垣から離れていった。
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