吸血鬼のための新興宗教入門

雨藤フラシ

第一話 一緒に鬼にならねえか

「吸血鬼による、吸血鬼のための、吸血鬼の宗教を作るぞ。手伝え、真言まこと


 時は昭和末期の秋。昼休みの空き教室で、田字草でんじそう見聞あきひろが「よし、決めた」とそんなことを言い出したのがすべての始まりだった。

 真向かいで紙パック飲料を飲んでいた梔子くちなし真言は、「は?」と首を傾げる。人畜無害を絵に描いたような、高校一年男子。田字草とは中学からの付き合いだ。


「何言ってんですかデンジ先輩。宇宙からの電波ってやつですか。てか、なんで僕が手伝う前提なんですか。変なことに巻きこまないでくださいよ」


 真言はこれ以上なく冷たい声音を出して突き放してみたが、一学年上の田字草はひょうひょうとしたものである。中途半端に伸びたボサボサの黒髪に、銀ぶち眼鏡の優男。無駄に自信にあふれたニヤニヤ笑いがしゃくにさわる。

 黒いオニギリをぱくつきながら、田字草は人さし指を立てた。


「一つ一つ答えてやろう。オレがお前を見込んだ理由は最後だ」

「いや最初に答えて欲しいんですけど」


 眼鏡の奥で、すっと田字草の目が細められる。たまに彼が見せる真剣な眼差しは、普段のふざけた様子とは打って変わったおごそかさがあった。


「吸血鬼にも宗教が必要だと思わないか?」

「質問に答えるっつったくせに、質問してくんのアホですか?」


 真言はこのコーヒー牛乳を飲み終えたら紙パックを投げつけてやろうと決意しながら、一応は田字草に耳を傾けた。この男は突拍子もない行動によく出るが、そういう所がなんだかんだ面白いのだ。さすがに、宗教作りは奇っ怪だが。


「たとえば日本の神道はさ、米の宗教なんだよ。自分たちの食べ物、自分たちの命を作るものに感謝し、敬う。キリスト教は、血の穢れを嫌う神道とは逆に、血をありがたる。聖餐式のワインは、人類の原罪をあがなうため、救い主が流した血なのです、と。だがどこにも、血を吸って生きるやつのための宗教はない」

「はいはい」

「合いの手が適当だな。別にオレはオレのアイデアが、宇宙からの電波でもかまわないんだが、まあもうちょっと説明してやろう」

「毒電波ひろわないでくださいよ」


 言いながら、米の宗教とは考えたことがなかったな、と真言はちょっと感心した。あんパンの袋を開き、かじりつつ続きを待つ。


「人間はどこにいても宗教を、神を作り出す。なぜか? オレが思うに、神はインフラなんだよ。ガスや水道や電気と同じ、人間が楽に生きるためのシステムだ」

「あー、ちょっとわかります。今よりずっと治安がヤバい時代に、道徳とか教育を宗教がやってくれてた。って感じですか?」

「うむ、だいたい合っている」


 田字草は大口を開けてオニギリにかぶりつくと、素早く咀嚼そしゃくして話を続けた。


「技術が発展して、宗教が担っていたあれこれは、別々のものになった。神が言わずとも学校が教育し、法律が縛る。でも、それじゃ足りない。人の心の隙間を埋める、ニッチ産業としての宗教は、まだまだ現役だ。さて、ここで問題」


 決め台詞を言うつもりか、田字草は人さし指を立てる。


「人間社会のインフラは人間向けです。

――では、向けのインフラは、どうしましょう?」


 それは口に出さないと思っていたのに! 思わず真言は唖然あぜんとした。自分の嗅覚に意識を集中するまでもなく、教室の外、二人の会話が聞こえる範囲には誰もいないことはすぐ分かる。それにしても、テレビやアニメのそれではなく、〝自分たちの話〟をずっとしていたことに、真言は狼狽せずにはいられない。


「学校でそんな話するなんて、何考えてんですか、デンジ先輩」

「鬼と人で対比させた方が、分かりやすくていいだろ。でも、そりゃ、かまわんけどね。どうせ近くに人間アカスナがいないのは分かってんだ」


 田字草も真言も、〝つぐみのもの〟あるいは単に〝つぐみ〟と言う吸血鬼の一族である。と言っても、ちょっと牙があって食性が違うだけの人種で、つぐみたち自身は己を人類の範疇はんちゅうと考えている。だから自らを吸血鬼と呼ぶことは、基本的にない。

 実際、田字草だって真言だって、ちゃんと戸籍を持ち、公立高校に学費を払って、お日様の下、堂々と登校している。黙っていればただの人間と変わらないのだ。


 その名は「口をつぐむ」のつぐみ。

 自分たちのことについて外部で話すのはご法度である。


「オレたちのじいさんばあさんの世代だと、迫害の生き証人なんかも多いからな。そりゃ慎重になるのも分かるさ。でもまあ、つぐみなんて固有名詞出すよりは、吸血鬼、つった方が人に聞かれても言い訳しやすいだろ」

「さいですか」


 今日の先輩は酒かシンナーでもやっているのだろうか。

 不安に思いながらも、真言は田字草の確信を持った語りにどこか安心してもいた。この人は思いつきの与太話ではなく、何か一つの軸を持って自分に話している。しかも、最初に手伝えと誘われているのだ。

 口では巻きこむなと言ったが、そのことが少し、うれしい。


「まずさ、輸血なんてもんが発明されて、オレたちはずいぶん生きやすくなったろ。血の売り買いは法律で禁止されたが、そこは建て前ってやつでよ」

「ですね。発明される前は、僕ら生まれてませんけど」


 人間のような大型の動物が、血液だけで必要なカロリーをまかなうのは大変なことだ。そのため、餓死をまぬがれるためクマの冬眠を真似たり、子どもが生まれたら殺して口減らししたりして、つぐみの祖先は悲惨な生活を送っていたと言う。

 人血じんけつ以外から栄養を得るには、消化できるよう何世代も体を慣らす必要があった。現在でも、米だろうが肉だろうが血液と混ぜて摂取するのが鉄則だ。


 そこへ現れたのが、血液けつえき製剤せいざい――輸血用血液パックだった。


「それでも、オレたちはまだまだ肩身が狭い。そう思わないか?」

「って、言われても、ですねえ」


 真言は残り少なくなったあんパンをかじった。

 日本全国にはつぐみで構成された任侠団体が複数存在する。数はそれほど多くはないが、彼らを統括する組織が、血液製剤の売買を一手に担っていた。

 これはもちろん病院など医療に回されることはなく、つぐみたちのコミュニティ間のみで流通している。そのおかげで、食糧事情は大幅に改善された。


 真言が食べているパンは、生地にもあんにも血液が入っている。飲んでいるコーヒー牛乳もそうだ。どちらも、地域のつぐみたちが集まるお寺で毎週販売されている。

 今では、夜闇にまぎれて人間アカスナを襲わなくても血が手には入るし、色んな加工がされて味の種類も豊富だ。人間の敵として殺される危険もない。


「僕たち、今そんなに不自由してます?」

「その自由が、何もしないでずっと続くと思うのか?」


 ぐ、と言葉に詰まる。なんだか都合良く、田字草の話に絡め取られている気がしてきた。気がするだけで、真言は何も言い返せない。


「自分が生きる環境を、少しでも良いものにしたいって思うのは当然のことだろ。ご先祖さまの努力にオレたちは乗っかってんだ。なら、もっと上を目指したってバチは当たらんだろ。むしろ、目指さない方がバチ当たりかもな」

「でも、なんでそれが宗教なんですか。僕たちには〝嘗会じょうかい〟だってあるのに」


 ようやく真言は反論の糸口を見つけた。

 嘗会とは「常会」と同音なので、誰かに聞かれても「町内会の話です」とごまかすことが出来る(※通常国会の略称でもあるが、町内会をそう呼ぶ地域もあるのだ)。

 その名のとおり各市町村ごとに結成された自治会で、地域の寺社などを個々のコミュニティの拠点とする、日本最大のつぐみ互助組織だ。

 だが待ってましたとばかりに、田字草はカウンターを喰らわせる。


「嘗会は宗教を隠れ蓑にしてるだけだ。どの宗教でも、人間って呼ばれるのはアカスナだけで、あいつら向けの宗教なのにな。それをごまかして、つぐみは化け物じゃないから、これは私たちのことでもありますよ、信じれば救われますよとごまかしてんだ。誰も、オレたち自身も、つぐみをハッキリ吸血鬼だなんて言わない」


 机をくっつけた真向かいで、黒いオニギリを食べる手を止めて言う田字草の姿は、真言が知らない男のように見えた。

 血液製剤で餅米を炊いた、血のおこわ。中には田字草が好きな、山椒と昆布の佃煮が入っている。いつもと変わらない昼休みなのに、肌のうぶ毛がひりつく。

 田字草の心は最初から決まっていて、真言が考える「吸血鬼用の宗教なんていらないんじゃないか?」という選択肢は最初からないのだ。


「だって、化け物じゃないのは事実でしょ。人間ですよ」


 それでも一応の意見は口にするのは、田字草が会話したがっていると思ったからだ。ひとまず色んな可能性を検討して、つぶして、互いの前提を共有するために。


「そうだ、オレたちは化け物じゃない。でも、アカスナが言う人間にも含まれない。種族としての誇りをごまかして、殺されないよう息を潜めて生きている」


 種族としての誇り。漠然ばくぜんとした言葉だけれど、真言の耳には田字草が切実に発したもののように聞こえた。そう確信したのは次の言葉だ。


「そんなの、ダメだろ」


 その一言は様々なやるせなさ、晴れることのない憤懣ふんまんが積もり積もった、重たい鋼鉄の柱のように真言の胸に落ちた。ぺきり、ぺきりと自分のか細い肋骨が折れて、肺と心臓を貫きからみつく。そんな心地がする一言。


「オレの宗教では、つぐみは鬼としての自覚を持てって言うぜ。鬼は強く気高く良いものだ、ってな。これが最初の教義だ」


 梔子くちなし真言まことはつぐみとして生まれて、両親や嘗会の言いつけをハイハイと守って、特に不満もなく生きてきた。まったく無かったということもないが、それでも、忘れてしまうぐらい、どうでもいいようなことばかりで。

 だが田字草でんじそう見聞あきひろは違う。

 初めて会った時から、真言はそれを思い知っていたはずだった。彼と付き合って三年が経つというのに、いったいこのひとの何を見ていたのだろう。


 ひょろりと細い体を風に任すように、いつもヘラヘラ、ニヤニヤ。うすっぺらなようで、そのくせずっと一つのことに怒っている。

 真言はこれまで、その怒りと歯がゆさの表面を、うっすらとなぞることしか許されなかった。だから最初から触れないようにつとめて、いつしか忘れてしまったのだ。


「どうだ、真言。オレと一緒に鬼にならねえか」


 田字草のその誘いは、つまりは真言に与えられた赦しに他ならない。


「僕が信者第一号ってことは、先輩が教祖やるんですね。似合うなあ」


 高校生二人が新興宗教の計画を練るなんて、ずいぶんと突飛なものだけれど。田字草と一緒にやれるなら、真言はそれで良かった。


「オレが教祖ねえ。そういうのはもっとこう、雰囲気あるの探して来るとして。当面は教義とか思想とか、教団作りの計画だな。十年は覚悟しとけよ」

「十年!?」

「宗教法人やろうってんだ、当たり前だろ。最低限、オレと一緒に会社立ち上げんぞ、ぐらいのスケールで考えろ。今さらケツまくるなよ」

「わかってますよ! だって――」


 だって僕は、と真言が続ける前に、田字草がその先を口にした。


「お前は信者第一号じゃなくて、オレの共犯者なんだからな」


 初めて会った時からずっと、悪いことをするなら、一蓮托生の二人なのだ。

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