⑤協調性がなくったって、理解度がなくったって

場を支配した、圧倒的な絶望感。

重く、重くのしかかるその空気の中。

「…やるしか、ないか」

低く、唸るような声でレオニスが呟いた。

そして、何を思ったか、ゆっくりとした足取りでワイバーンの方へ歩いて行く。

「レオニス!? 死ぬ気なの!?」

後ろから、リリウムが絶叫する。

しかし、それでも、彼の歩みが止まることはなかった。


ようやく体を起こし、こちらに近づいてくる彼を見たフラミーの肌が、粟立った。

畏怖の感情が湧きあがり、本能が警鐘を鳴らす。

そこにいるのはレオニスのはずなのに、纏う気配は、人間離れした何かだった。


普段は静まり返った湖面のような深い紅の瞳が、暗い光を帯びる。

爪が伸び、鉤爪のように鋭く尖る。

本来、籠手が護っている腕の位置に、純白の鱗がうっすらと浮かび上がる。

手に取れるほどに濃い殺意は、やがてゆらゆらと沈むように、ゆっくりとレオニスの体に纏わりつく。

山に入る前に彼が持っていた謎の威圧感が、彼が地を踏みしめる程、再び表れる。


ワイバーンの双眸が、彼を捉えた。

レオニスの瞳が、それをはっきりと見据える。


「ベノムワイバーン。お前は、聖なるこの山を穢し、麓の住民を苦しめ、あまつさえ、幾千もの命を不必要に葬った。その罪、万死に値する」


静かに、巨大なバスターソードを抜きはらう。

握りしめられたその剣からは、強大な魔力が、気配が感じられた。


「レーデンベルグの守護者として、見逃すわけにはいかない」


剣が、徐々に白い光を纏う。

それを構え、レオニスは言い放った。


「我が名はレオニス・レーデンベルグ。この山の糧となれ、ベノムワイバーン」


刹那、ワイバーンの牙とレオニスの刃が交錯した。

白い光が眩く輝き、視界が白一色になる。

甲高い音。

途轍もなく重い何かが落下した、どしゃっという音。

僅かな時差。

苦悶の叫び声が、空気を震わせた。


視界が回復した3人の視界に入ったのは、綺麗に断ち切られ、地面に突き刺さっている、人の背ほどもある一本の牙だった。


レオニスが攻撃の手を緩めることはなかった。

光の筋かと見紛うばかりの速さで、斬撃が繰り出される。

そのたびに、あれほどまでに硬かった鱗が、確実に切り裂かれていく。

ぱらぱらと黒い破片が舞い、赤が滲む。

「勝てるぜぇ! よっしゃ、俺も加勢だ!!」

エウレアが叫び、傷を負った片足に構うことなく近場の木を蹴って飛び出した。

「私も!!」

半月刀を片手に、杖をもう一方の手に引っ掴み、フラミーも走り出した。

リリウムは、無言で弓を構えた。


すさまじいスピードで間合いを詰め、エウレアは斬撃を繰り出す。

レオニスには及ばないものの、人間離れしたそのスピード。

しかし、ワイバーンに正確に位置を把握されてしまったエウレアでは、十分に傷をつけることができない。

その様子に、フラミーが気が付いた。

エウレアの反対側、ワイバーンの視線の先に正確に立つ。

半月刀を構えると、彼女は叫んだ。

「リリウム! お願い!!」

「了解!」

瞬く間に、ワイバーンの傷跡に無数の矢が突き刺さる。

低い唸り声が、空気を縫って聞こえる。

次の瞬間、エウレアの鉈がその傷口を深く抉った。

沁みだしていた血が、一気に吹き出す。

フラミーが続き、反対側の傷を抉り取った。

その隙に、エウレアの鉈で他の傷口も抉られていく。

間を置かず、その跡を無数の矢が覆う。

泥の黒がかった色に混ざり、深い赤がじわりと地を侵食していく。

徐々に徐々に、ワイバーンの体力が削れていく。

「このままいけばいけるんじゃない!?」

喜色を浮かべ、フラミーがそう呟いた時だった。


今まで一歩たりとも動かなかったワイバーンが、のそりと動いた。

背を向けることなく、徐々に後退していく。

「逃がさないわ!」

杖を手にしたリリウムが、巨大な氷壁を一瞬にして作り上げる。

退路を断たれたワイバーンは、狼狽えたように立ち止まった。

「この野郎、待ちやがれ!!」

エウレアが叫び、飛びかかる。

しかし、ワイバーンも速かった。

巨大な腕が、エウレアを払い落さんばかりに襲う。

体を捻り、間一髪で逃れる。

ギリギリの体勢で着地。

すぐに体を起こし、ワイバーンに向けて再び飛び出す。

その間に、ワイバーンは翼を広げ、大きく羽ばたこうとした。

「どうしよう、飛ばされちゃう!」

リリウムが狼狽え、杖にしがみつく。

その時だった。

オレンジ色と純白の残像が、真っすぐにワイバーンへ向かって行った。

そして、次の瞬間。

文字通り皮一枚つながった状態でぶら下がる翼と、大幅に表面を抉り取られた翼が、彼女の視界に入った。

状況を把握できなかったのか、ワイバーンの動きがしばし完全に止まる。

数秒後。歪んだ金切り声が虚空を震わせた。


間を置かず、レオニスは掌の上で、鋭い氷の結晶を形成。

強大な魔力を纏わせ、暴れるワイバーンの目に向かって正確に投げた。

刹那、ワイバーンの瞳から血が吹き出す。

再び、耳ざわりな声が響き渡った。


間を置かず、レオニスは強く地を蹴る。

宙を舞う彼とその剣の影が、逆光の中、鮮明に浮かび上がる。

思わず上空に目をやり、見惚れるほどに美しい影だった。


次の瞬間、剣から、白熱した炎が吹き出した。

赤い瞳に、真っ白な炎が映る。

上空で大きく剣を振りかぶる。

レオニスが空を蹴った

と思うが早いか、彼の体はまっすぐにワイバーンの首筋に向かって落ちて行った。

白熱した炎が後を引き、光の軌跡を残していく。

大きく振りかぶった剣を、首へ向かって振り下ろそうとしたその時だった。


ワイバーンの片目が、はっきりと彼を捉えた。

ギラギラと鈍く光り、怒りで赤く血走った瞳が燃え上がる。


真っすぐに、彼に向かって鉤爪が大きく振られる。

虚空で攻撃から逃げる術はない。

大きく振りかぶった剣で鉤爪を斬ろうとしても、到達までに間に合わない。

助けに行きたくとも、誰しもがその場で手いっぱいで動けない。

「くそっ!」

歯嚙みする。しかし、今更悔しがったところで何も起きない。


死が、確定した。


誰しもが、そう思った。


そのはずなのに。

次の瞬間に悲鳴を上げたのは、ワイバーンだった。

驚いて視線を向けた先には、強い意志を宿したリリウムが、弓を撃ち終わった格好のまま、佇んでいた。

一瞬狼狽えたレオニス。しかし、剣を再び握りしめて。


目にもとまらぬ速さで振られた剣と共に、ワイバーンは背後の氷壁に叩きつけられた。

黒々とした巨体の動きが止まり、やがて、ゆっくりと崩れ落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る