④予想外の敵と、想定内の協調性

翌朝。

一晩とちょっとの時間をずっと寝ていたエウレアが、ようやく起きた。

「あーよく寝た…」

呑気なその声に、横に寝ていたオレンジ色の耳がピクリと動いた。

むくりと起き上がったのは、フラミーだ。

「ようフラミー、おは」

「おはようじゃないわこの馬鹿野郎!!」

朝の山小屋に、フラミーの怒声が響き渡った。

言葉を遮られた当のエウレアは、目をぱちくりさせている。

エウレアが言葉を継げないままいると、フラミーがさらに怒鳴った。

「なんのためにパーティー組んでると思ってるの!? 協力して、できる限り数の不利をなくして安全に戦うためでしょ!? なのになんなのあの戦い方! 片っ端から敵を呼んで? 計画性も協調性も0! 前衛後衛無視して戦う! 危ないこと極まりない! ふざけんな!!!」 

「いや、それはお前らがもっと強ければよかったんじゃ…」

エウレアが消え入りそうな声で、しかしはっきりと地雷を踏みぬいた。

案の定。フラミーの毛が逆立ち、耳がぴんと張り、尻尾がまっすぐ伸びた。

肉食獣人特有の鋭い犬歯が、唇の端から覗く。

「そうよ、私たちは確かにあんたほど強くはないけど! あそこまで危ない戦いをする必要は、一切ない! なんで私たちがあんたの気分のために命かけなきゃいけないわけ

!? 私たちの仕事は、この山の異常の調査! がむしゃらに敵倒すんじゃないわ! こんなんだったらパーティー組まない方がよかった!!」

ヒートアップしたフラミーの言葉の弾丸の嵐を、縮こまりながらやり過ごしたエウレアは、最後に一言。

「…どうもすいませんでした」

それだけ言うと、そそくさとフラミーの隣から逃げ出した。


いまさっきのひと悶着ですっかり目を覚ましてしまったレオニスが、穏やかでない場を何とかしようと、軽く手を叩いた。

「ほら、干し肉炙っといたから食うぞ。朝飯だ」

「おっしゃ、食う!」

逃げ出したはずのエウレアが、電光石火の速さですっ飛んできた。

手元にちゃっかり皿を用意している。

炙られた干し肉を皿に乗せてもらいほくほく顔のエウレアを一瞥して、ため息をつくと、フラミーも皿を取り出した。

少し焦げたような匂いに、まだ起き渋っていたリリウムもゆっくりと起き上がった。


文字通り獣のように干し肉にがっついたエウレアは、昨日付いた返り血をこそげ落としている。

その音を背にしながら、干し肉を食いちぎったフラミーがレオニスの方を向いた。

「で、だ。この異常の原因は何なの? 昨日のモンスター共の中に、あの中にいるの?」

話を振られたレオニスは、豪快に干し肉をほおばると、あっという間にのみ下した。

「いや、あの中には特段強い者はいなかったから、恐らく違うな」

「…あれで、あんまり強くないモンスターなの?」

硬すぎるクッキーを牛乳に浸しながら、リリウムは昨日の激闘を思い出して顔をしかめた。

「そうだよ、しかも魔物呼びの笛を使った割には数が少なかった。せっかく強敵に会えると思ったのによ」

鉈を研ぎながら、エウレアが言う。

「あいつ、普段どんな戦場にいるのよ…」

リリウムと同じ光景を浮かべながら、フラミーが呆れた声でつぶやいた。

フラミーのつぶやきを無視して、レオニスは、爪で床をこつこつと鳴らした。

「そうなると、モンスターたちはきっと、何か強大な力を持った者を恐れて出てこないのだろう。恐らく、一連の異常もそいつのせいだ」

「へぇ、そうなのかしら。じゃあきっと、その強大な力を持った何かが、噂のドラゴンなのね」

少し声音が変わっているリリウムが言う。

「…それは、わからないな。伝説によれば、ドラゴンはあくまで守り神だから」

苦々しさが混じった声で、レオニスが答えた。

不信感を覚えたのか、フラミーの眉間に軽くしわが寄る。

その不信感を声にしようとしたその瞬間。


エウレアの動きがとまった。

同時に、研石の音が止む。

あまりに不自然な終わりだったため、3人ともがエウレアを振り向いた。

彼女から、警戒心が沁みだしてくる。

その異常に、レオニスが気が付いた。

「エウレア。何があった」

簡潔に、低い声で彼は言う。

「…何かが暴走してる。強大な力だ」

その言葉を、3人が認識した刹那。

殺気を孕んだ風が、小屋の中を走り抜けた。

いつの間にかエウレアと、その愛鉈の姿はなかった。

「「待て!」」

フラミーとレオニスが叫び、次の瞬間、リリウムの髪が大きく揺れた。

数秒呆気にとられ、その場に立ち尽くしたリリウム。

はっと吸う息と共に我に返ると、彼女は杖にまたがった。

その数秒後、小屋の扉は開け放たれたまま、閉める者は誰もいなくなった。


日を受け、眩く輝く純白の地の空気を裂くような速さで、白銀の光が走っていく。

その横に並んだのは、鮮やかなオレンジ色。

「エウレア! 説明しろって、レオニスが、言ってたのに、勝手に、飛び出すんじゃ、ないわ!」

正面から叩きつける風のせいでとぎれとぎれになりながらも、フラミーがエウレアに批判を浴びせる。

「強敵だ! 今までの気配で一番強い!!」

極度に見開かれた瞳に狂気を纏い、正面を睨みつけたエウレアが叫ぶ。

その声に応ずるかのように、突如、鼓膜を破るような、腹の底まで響く咆哮が山に響き渡った。

獣人故の聴力を持つフラミーは、あまりの轟音に、耳を塞いだ。

「ああ、エウレアの言うことに間違いはないな。恐らく察知したのは、全ての元凶の気配だ!」

紅い瞳に焦りを浮かべ、飛ぶように走るレオニスが言う。

「…なにあの、どす黒い平地…」

上空から降ってきたのは、か細く、煙のようにふっと消え失せそうな声。

見上げれば、恐怖で小刻みに震えた細い指が、前方をさしている。

高く茂り、視界を遮っていた杉が開けた、次の瞬間。

彼らの足は、一斉に止まった。


磨き抜かれた黒曜石のような艶めかしい光沢と、毒々しい黒さを持つ、金属をも弾く鱗。

一振りで地を抉り木々をなぎ倒す、太く、長く伸びた尾。

鋭く尖り、美しさすら感じる湾曲を持った鉤爪。

一噛みで魔物を骨まで砕く、人の背を優に超える大きさの牙。

そして、それらを合わせ持つ、見上げてもなお余りあるばかりの巨体。


「…やはりか。ワイバーンだ。それも亜種、ベノムワイバーン」

ぼそりと呟かれたその声は、僅かに戦慄いていた。


いつの間にか地上に降り立ったリリウムが、レオニスの後ろから声をあげた。

「あんな敵を倒すなら、昨日みたいな突撃じゃあだめだよね? だから、ほら、作戦を…」

険しい表情で木の陰からワイバーンを睨みつけていたレオニスは、はっと我に返るとリリウムを振り返った。

「ああ、私もそう思う。フラミー、決めるぞ…」

フラミーにも判断を仰ごうとした彼の言葉はしかし、フラミーの形相の前に掻き消えた。


ぎりぎりと、歯が恐ろしい力で軋み、削れる音が聞こえる。

半月刀を筋が浮かび上がるほどに強く握りしめる手が、赤くなっていく。

ざわざわと毛が逆立ち、耳と尾が立ち上がる。

重心が落とされ、地を踏みしめる足が、徐々に雪へ沈んでいく。

噛み締められた歯の隙間から、白く息が漏れる。

怒りに満ちた空気を全身に纏ったその様子は、さながら鬼神のようだ。


「えっと、フラミー…?」

あからさまに異常なその様子に怯えながら、リリウムがそっとささやく。

当のフラミーは、何も耳に入っていない様子でワイバーンを睨みつけた。


喉の奥から響く威嚇の唸り声とともに、

「ラルドを、私の、ラルドを!返せっっっっ!!」

フラミーの声が雪山にこだまする。

次の瞬間、弾丸のごとくフラミーが飛び出した。

あからさまに自分に向けられた殺意と大声に、ワイバーンの底光りする目がこちらを見据える。

舌なめずりするように薄く開けられた口から覗く牙が、ギラリと光った。

「ちょっと! ねえ何やってんの!?」

レオニスの後ろから、リリウムが焦った声で叫ぶ。

そのすぐ前では、レオニスがごつい片手で顔を覆う。

もう片方の手では、羽交い絞めにされたエウレアが暴れていた。


飛び出した勢いをそのままに、一気に間合いを詰める。

半月刀を握りしめ、首の下へ回り込むと、勢いよく振り上げた。

しかし、肉厚なその刀は、薄いはずの喉下にはじかれた。

反動を抑えきれず、刀もろとも飛ばされる。

地を転がりながらも気だるげに繰り出された腕を間一髪でかわし、一回転して起き上がると半月刀を片手で握り、片手でクナイを投げ上げる。

ワイバーンの視線がクナイをとらえた。

大きく口が開き、クナイが吸い込まれる。

がりがり、という鈍い音が僅かに聞こえてきた。

その隙を狙い、跳びあがって、腕をめがけて振り下ろした。

金属同士がぶつかる、甲高く、耳障りな音が響く。

刀身から、ぱらぱらと金属片が舞う。

舌打ちとともに半月刀を投げ捨てると、杖を構えた。

「やあっ!」

刹那、一陣の風が周りの雪を巻き上げた。

細かな雪が視界を遮る。

ワイバーンは空を払うように、尾を一つ振る。

空気を唸らせ、強烈な風圧が襲った。

飛びずさって逃げようとしたが、想像以上に重い杖に邪魔されて思うように動けない。

「まずいっ!」

…ここまでで終わり?

眼前に尾が迫る。フラミーは、覚悟を決めた。

それに動いたのは、腕に噛みついてレオニスの拘束から逃れたエウレアだった。

「っしゃあああ! 俺も加勢するぜ!!」

一瞬でフラミーに近づき、小脇に抱えて飛び上がる。

驚異的な跳躍力で襲い掛かる尾から逃げ、その上に着地。そして、

「おら、邪魔だ!」

乱雑にフラミーを放り投げた。

されるがまま状態のフラミーに、着地体勢をとる時間なんてあるわけがない。

空中で横向きに数回転して、背中から地面に叩きつけられるように落下した。

生憎なことに、地面はワイバーンによって汚された、半分泥沼。しかも、その時落ちたところは、泥がかなり深いところだった。

跳ね上がった泥に顔を汚され、フラミーの怒りが再燃する。

「あいつ…!」

ぎりぎりと歯ぎしりをして、腰に差してあったクナイを抜きはらうと、怒りをぶつけるが如く地を蹴とばして飛び出した。

一方のエウレアは、深く曲げた膝を生かし、前のめりのまま凄いスピードで駆けだした。

艶があり、滑る鱗をものともせず、整備された道を走るように駆け上がる。

下に気を取られ、ワイバーンは背中のエウレアに気づく由もない。

あっという間に背中に乗ったエウレアは、大きく鉈を振りかぶった。

「まずは、お前の翼をいただくぜっ!」

その声に反応して、ワイバーンの視線が後ろへ向いた。

レオニスが叫ぶ。

「待てエウレア! そのままだと…!」

しかし、その声は間に合わなかった。

恐ろしく硬い鱗は、翼でも同様だった。

「なっ!」

エウレアの目が見開かれる。


次の瞬間。

先ほどよりも格段に大きく、空気を震わせ、木々を激しくざわめかせ、地面を揺らす、衝撃波となる咆哮が発せられた。

首の傍にいたエウレアは掴まる間もなく吹き飛ばされ、フラミーは耳をやられ、崩れ落ちた。

木の傍にいたリリウムとレオニスは、あまりの衝撃にしばらく動けなかった。


そんな彼らの前で、ワイバーンは、圧倒的な重量で構えている。

黒々としたその巨体は、傷一つなく、堂々たるものだ。


これを倒すのは、人の所業ではない。

もちろん、エルフにとっても、獣人にとっても。


「…どうしよう。どうやって太刀打ちすればいいの…?」

ようやく口がきけるようになったリリウムは、杖にしがみつきながら呟いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る