美しい駄文に閉じ込められた!

唯野キュウ

美しい駄文に閉じ込められた!

 真っ白な空間に1人、目が覚める。

 「……は?」

 理解し難い状況に、思わず声が漏れだした。空間はどこまでも続いているように見え、一定の感覚で指の腹程の大きさの正方形が連なっている。列になった正方形の合間には隙間があり、一般の原稿用紙のように見える。

「何処だ、ここ。何で、文字が」

 僕は驚いて言葉の続きを発せなかった。自分の言ったことがそのまま、地面の正方形に綴られたからである。

「違う、僕は驚いてない」

 僕は恐怖のあまり虚勢をはって見せるが、声は虚しく傍線に飲み込まれ、言葉は白い床を黒く染め上げる。

「いいや、違う。僕は恐れていないし、驚いてもない。単に奇っ怪なこの状況を理解しようとしているだけだ」

 また、地面に僕の言ったことが書かれる。目を瞑っても文字は頭に流れ続ける。それを拒む事は出来ず、地の文の内容が嫌でも理解出来てしまう。

 怖い。僕はこの空間から出られないのだろうか。

「だからそんな事は考えていない。床の「」の中身は確かに僕の言ったことだが、この拙い地の文を書いているのは誰だ! まるで登場人物である僕のことが理解出来ていないし、勝手に話を進めるな!」

 僕の“セリフ”は空を切る。全く困ってしまった。どうすれば、この原稿用紙の中から出られるか、てんで見当がつかない。いっそ忘れて眠ろうにも、眼前に言葉がチラついて煩わしい。

「はあ。成程。“エセ小説家”さんは僕を主人公にしてどうにか面白い小説を書こうと躍起になっているらしい。しかし根本的に国語力が足りないな。どう考えればこの状況から僕が眠ろうするんだ。どう考えても、この状況から僕が抱く感情は――」

 怒りだろ。この作者の国語力は僕程すら無いぞ。深いため息をぶっきらぼうに吐いて、原稿用紙の向かいに居る誰かに腹を立てる。

「自信満々で遮って下さりありがとう。しかし不正解だよ。正解は呆れだ。国語のテストなら落としちゃいけないレベルの問題だが、不正解だよ。

 君の元に生まれる魅力的なキャラクターは全て、君の色眼鏡による曲解から、動機の無い不可解な行動を取り、今の私のように周囲を呆れさせているんだろうね」

 僕は呆れながら、言葉で床を黒く染め――「そして君は頭も悪い。僕が呆れていると分かったら直ぐに呆れていると文字で書く。1回言ったことは読者は分かっているよ。君程頭が悪くないのでね。ところで、君に質問したいことがあるんだが、君は先程『原稿用紙の向かいにいる誰か』と言ったね。つまり君はこの原稿用紙の向こうに居る。それはそうだ。リアルタイムで地面が文で埋まっていくのだから、リアルタイムで君はそこに居る」

 僕は画面の先の誰かを、確実に追い込んでいく。

「画面? ああ。執筆はデジタルなんだね。書かれている文字が明朝体だから、そうと言えばそうか」

 僕は形勢逆転を確信した。この原稿用紙に繋がる誰かへの道筋を確かにこの手に掴んだ。

 ――つもりでいた。

 ある瞬間僕はふと気付いてしまった。例え言葉で作者を追い詰めることが出来たとて、何も変わらないことに。僕が原稿用紙に居ることは変わらないし、作者にその気が無い限り、この空間には無限に文字だけしか現れない。ともすれば、作者が一言彼は死んだと添えるだけで、僕は死んでしまうのかもしれない。所詮、僕はまな板の上の鯉であり、この原稿用紙は、作者の手のひらの上であるということだ。

「それは――確かに、まずいぞ……」

 僕はいままでの発言を悔やんだ。僕の発言で作者が機嫌を損ねていれば、いつ僕は殺されてもおかしくない。言葉のナイフは常に僕の首元に突きつけられている。

「やめてくれ! まだ死にたくない!」

 僕はみっともなく地面に伏して許しを乞う。

 全ては助かりたい一心で、作者の為に謙る――「なんて言うとでも思ったか?」

 セリフで、続く文章を遮る。

「僕が死ぬことは物語の死だ。本当に小説を面白くしようという気持ちがあるのなら、今更僕は殺せない。それこそ突拍子がないし、僕を殺しても未来が無い。真に言葉のナイフを突き付けられているのは君だよ。それに、君――僕の姿見えてないだろう。

 君がしたり顔で形勢逆転がどうたら言ってる時、僕が必死に君に対して命乞いをしている時、両方僕は満面の笑みを浮かべてたよ。けど、文章にはそれが表れなかった。「」の中以上の情報は、君には分からないんだろう? 現実に則して考えればそれはそうだ。小説に描かれなかった部分は、見ている人達で想像で補填をするしかない。人によってそれは少しずつ違っていて、君には僕が本気で命乞いをしているように見えていた訳だ」

 ――淡々と書かれた地面のセリフからは、落ち着いた声色を感じ、明朝体の効果でそれは更に形式ばった硬い印象に感じる。

「総じて君の失敗は2つ。作者であるにも関わらずこの空間に関する理解が足りなかった事、閉じ込めたキャラクターが不運にも僕であったこと。閉鎖された空間で恐怖させたかったなら、以上の点が悪かった。まあ、後者に限ってはどうしようもなかったかな」

 僕は鼻の下を指で擦りながら、ご機嫌でフィニッシュを綴った。

「そうそう。僕の気持ちが分かってきたじゃないか。最初よりかは国語力が上がったと思うよ。お疲れ様。長いこと居た事だしそろそろ僕を元の日常に解放して頂きたい。ああ、それと。

 ――ああは言ったが、僕は結構君の小説が好きだよ。基本駄文だが、美しい表現もあった。もし次また会う時は、もう少し開放的な場所を描いてくれると助かるな」


*  *  *


 ――そう言い残したきり、空間に「」が綴られることは無かった。キャラクターが独立したあの空間で彼の存在を証明するのは、“言葉”であった事にも、きっと彼は気付いていた。主人公のいない世界は間もなく死を迎える。無限に続いた方眼が途切れ、あるマス目から先へは絶対に進むことが出来なくなる。

 もう一度彼に会おうと思うなら、“ 私”は再びペンを持つしかない。さて、次の原稿用紙にはどんな駄文を綴ろうか。

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