第11話 見知らぬ明日 Part1

経理部から東海道新幹線での出張が21日以上前に分かっている場合は可能な限りEX早特を使うよう通達が出ていたが、今回の東京行は一昨日に決まったばかりで通常の予約指定席を取らざるを得なかった。光時は電源が使え、他人にモニターを見られない1番の窓側席を好んでいたがここを好む者はほかにも多いのであろう、前々日ではグリーン車を含め全車両のその席が埋まっていることも多かった。木曜日早朝、新神戸6:10始発ののぞみ80号8号車の中ほどの通路側の席に光時は座していた。庸に入った鬼士にはグリーン車の使用が認められていた。桃花流水会本部での打ち合わせの後、人に会う約束もありスーツ姿の光時であったが全く違和感なく入社3年目あたりのビジネスパーソンで十分通用する雰囲気であった。出かけに沙耶子がふざけて演じた出張に行く夫を見送る新妻の小芝居を思い出すとついにやけてしまい周りの目を気にして慌てて笑いを引っ込めねばならなかった。たぶん帰宅時には「ご飯にする、お風呂にする、それともわ・た・し。」のべたな出迎えを受けるのかと思うと折角苦労して引っ込めたニヤニヤがまた出てしまった。彼女の笑顔を心の底から守りたいと願った。そのためには彼女と別れることさえ厭わなかった。気持ちを切り替えるため社内販売のアイスコーヒーを頼むと、資料編集は諦め読みかけの歴史ものの紙書籍を広げた。沙耶子が勧めてくれた婚期を逃した名家の姫君が女官として仕事とプライベートの両方にふりかかる難題に対処しながら生き甲斐を見つけていく平安時代のストーリは設定が現代的過ぎて違和感を覚えるのではと粗筋を聞いた時には危惧していたが頁をめくるとその懸念はすぐに消えた。時代背景に対する十分な知識に裏打ちされた作家の筆力にたちまち王朝絵巻に引き込まれていった。主人公が妖騒動に巻き込まれる件(くだり)でふと、今から報告に赴く桃花流水会のことを考えた。桃花流水会は平安中期に結成され、当時は百鬼夜行之会(ひゃっきやこうえ)と称されていた妖の互助組織である。江戸中期、元禄年間に桃花流水会と名を改めている。当時の煌(すめら)であった山背忠勝(やましろのただかつ)は文人でもあり李白に傾倒していたらしく山中問答の有名な一節、「桃花流水杳然として去り、別に天地の人閒(じんかん)に非ざる有り」から引用したとされている。理由を問われて、「百鬼はももきと読めることから桃木に通じ、夜行は流れ進む様から流水に通ずる。それが至る所にある人間に非ざるはこれ妖の意であり、この詩は百鬼夜行に他ならない。」と答えたそうだ。遥か古代に出雲王国を中心とした土着連合の戦士として大和王権と戦った鬼、龍、狼・狐は出雲王の停戦命令に従い矛を収めたが、一部がレジスタンスとなって平安期まで朝廷に敵対していた。崇徳天皇が自身の退位と引き換えに朝廷を説得し、妖に大きな特権を与える代わりに穢れから人を守る約定である永治の誓文を結び和平が成ってから妖と人との新たな関係が構築されていった。その時、妖の自治組織として百鬼夜行会が結成され、途中桃花流水会と改名し、現在に至っている。それまで百鬼夜行の長も皇を称していたが人の皇に憚り煌と称するようになったという。妖は第二次世界大戦終戦までは納税、徴兵の義務は負わず、全ての妖に年齢、性別に関わらず現在の価値で年間百万円程度の特殊技能保護助成金が、穢れ払いにあたる者にはその期間中月額30万円程度の治安維持協力感謝金が支払われていた。人間同士の争いには関わらず第二次大戦中は熊野三山や白神山地、屋久島などにこもり意外とのんびりとした生活を送っていたらしい。それらの疎開地が後にいずれもユネスコ世界遺産に登録されたのは妖のバックアップがあったからとの噂が一時立ったが個人レベルではいざ知れず、組織としては関与していなかったそうだ。ちなみに公式にも自分たちのことを妖と呼ぶようになったのは比較的最近、2000年頃に妖の少年と巫女の少女が戦国時代にタイムスリップして戦うアニメが流行してからで、それまでは公には神使と呼び、それぞれの種族を鬼神族、龍神族、大神、或いは山神族と号していた。庸にあたる男を士、女を姫、例えば龍神族の男は龍士、女は龍姫、大神族の男性は狼士、女性は狐姫と呼ばれている。いずれの種族も人を超える身体能力を持ち、普段は人に擬態しているが最強の鬼神族が人との和平に動いたため、闘争を放棄せざるを得なくなった歴史を持っている。煌とも親交があり、人として初めて妖に生物学的なアプローチを行った南方熊楠は生物的能力は高くてもエネルギー消費が高く単独で繁殖できない鬼神族は最も劣勢な種であり、大神族が最も種としてのバランスが取れており人が滅びたときその生態的地位を継ぐのは彼らであろうと予言した。

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