アップルパイを焼いたら勝利点は獲得できますか
くれは
彼女の勝利点が欲しい
ボドゲ部
「次に持ってくるボドゲ、どんなのが良いとかある?」
大須さんはちょっと困ったような顔をした。
そもそも大須さんはボドゲに限らずゲーム全般あまり好きじゃない。それは彼女の体質とそれに関わる出来事のせいで、その出来事が彼女にとって嫌な思い出なのは俺のせいでもある。だから彼女とボドゲで遊んでいるのは、彼女がゲームを楽しめるようになってくれたら、というのが理由。ボドゲ部を作ったのだって、本当はそのためだ。
ただまあ、そんなのはただのお節介だと思うし、どちらかと言えば彼女と一緒にボドゲを遊びたいという気持ちが強く出ちゃってる気はするし、なんなら俺は彼女と遊ぶのをめちゃくちゃ楽しんでしまっているので、全部俺のワガママの押し付けだろうというのは否定できない。それでも最近は、彼女も楽しんでくれている──と、思うけど。
大須さんは困ったような表情のまま、呟くように言った。
「甘いもの」
もしかしたら、その時の彼女は甘いものを食べたかっただけなのかもしれない。それでも俺は、家のボドゲ棚を思い出しながら大須さんが気に入りそうな「甘い」ボドゲをあれこれと口にする。
「ケーキを切り分けるゲームとか、見た目が甘くて美味しそうだよ。あと、リスがタルトを作るゲーム、小さい子向けで駒が可愛いんだよね。それから、くだものの種をまいて育てて集めるゲームもあって」
「ごめん、ボードゲームの説明聞いてもぴんとこないかも……。あ、くだものの中だと林檎が好き」
林檎が、好き。
その一瞬、俺は呼吸を止めてしまった。彼女が何気なく放った「好き」という声に、こんなに動揺してる自分に驚いている。俺は「林檎か」と呟いて自分の首筋に手を当てると、考えている素振りで視線を逸らした。
林檎が出てくるボドゲ。内心の動揺を押し殺して、ボドゲ棚を思い出す。何かあったと思うんだけど、うまく思い出せない。
黙り込んだ俺の隣で、大須さんは「アップルパイとか良いな」なんて呟いた。それももしかしたら、大須さんがその時食べたい気分てだけだったのかもしれない。
アップルパイ、と呟いてみたけど、ボドゲ棚もボドゲの名前も思い浮かばない。それでも何か言わなくちゃと、出てきたのは苦し紛れの冗談だった。
「アップルパイ焼いてみる? レシピを選んで材料を揃えて、好みのアップルパイが焼けたら勝利点」
ボードゲーマーが美味しい食べ物の写真にボドゲ紹介風の言葉を添えてSNSに投稿してるのを見かけることがある。例えば焼肉屋の肉の写真に「焼き加減を管理しながらバランスよく肉と野菜を食べるゲームです。ルールはシンプルですが、楽しめます。値段に見合う質とボリュームで個人的には大満足なプレイ感でした。拡張の卵かけご飯おすすめ」みたいな。
大須さんには当然そんな冗談は通じない。アップルパイを焼くゲームがあるのかと勘違いされて、そうじゃなくて本当にアップルパイを焼いて食べるつもりの冗談だった、ということを説明する。これはわかりにくい冗談を言った俺が悪い。
それで話は終わるかと思ったけど、大須さんは何度か瞬きした後、隣を歩く俺を見上げてきた。
大須さんとの身長差は、どうやら二十センチ以上あるらしい。彼女は普通に見上げているつもりなんだろうけど俺から見るとそれは上目遣いだ。そんな彼女の視線は、いつも、こう──俺の中の何かを刺激してくる。
「アップルパイ焼くのも冗談? それとも本当に作れる?」
「え、作れるけど」
「
「慣れてるってほどじゃ……遊びみたいなものだし」
大須さんは俺を見上げたまま、小さく「すごい」と呟いた。それはなんだか過大評価な気がして、早口で言い訳めいたことを口にする。
「レシピの通りに材料揃えて時間をかけたら出来上がるのって、ゲームみたいで面白いなって思って……それでたまに遊びで作ってるだけだから、本当に、たいしたことしてないからね」
そう、遊び。俺の中では、ボドゲでルールに従って効率良く得点を獲得するのも、レシピの通りに材料を揃えて調理して食べるのも、同じ話だった。
逆にルールが提示されないものは苦手だ。作文の「思ったことを書きましょう」みたいなのはやめて欲しい。具体的に得点方法を書いてくれたらうまくやるんだけど、と思ってしまう。
多分、自分で新しい何かを作りたい欲求みたいなものが、きっと俺にはない。俺の興味はどうしても、ルールの中で得点行動をとることに向かいがちで、きっとそれは、向き不向きの話だ。
まあつまり、そういう理由で俺はたまに自発的に何かを作る程度には料理が好き、なんだと思っている。趣味かと言われると悩むけど。趣味はボドゲだ。
「でも、作れるんだよね?」
「それは、まあ……でも、誰でもできる程度だよ、簡単なことしかやってないから」
自分の作ったものが人に食べてもらえるようなものだと思ったことはなかった。だというのに、彼女の視線と彼女の口から出てきた「食べてみたい」という言葉を、俺は真に受けてしまった。
今度、大須さんのお兄さんに呼ばれて家にお邪魔する。いや、彼とは以前からの知り合い──ボドゲ関係の──で、それだってボドゲを遊びに行くだけなんだけど。でもその家が彼女の家でもあるのは事実。だからその日に合わせて作ろうと、勝利点に繋がりそうなレシピをスマホで探してしまっている。
そう、レシピ選びで最終的に獲得できる勝利点はほとんど決まってしまう。アップルパイと言えばやっぱり生地を網目状に被せたものか。いやでも切り分けの手間を考えたら小さめサイズの方が喜ばれるかも。林檎が見える形も良いかもしれない。綺麗な見た目のインパクトのあるものよりは、オーソドックスな方が喜ぶかな、でも無難すぎるかな。
大須さんの好みをもっと聞いておけば良かった、と思いながら、俺はスマホの画面をスクロールする。
料理はゲームに似てる。ついそう思ってしまうんだけど、それは逆だ。ゲームというのは世の中のいろんなことをゲームにしている。だから「戦いってゲームに似てる」なんてことも言えてしまう。ゲームが戦いを模しているんだから、似てて当たり前だしやっぱり逆。
ゲームっていうのはつまり、世の中の全てを表現できるんだと思う。料理をしているとよく、そういうことを考える。
バイトで手に入れたお金というリソースを消費して、林檎や冷凍パイシートといった資源を手に入れる。パイ生地の手作りは高難易度で、失敗する可能性が高すぎる。パイ生地から手作りすれば彼女から得られる勝利点も大きいのかもしれない。けど、その賭けは今じゃなくて良い。
料理の工程は時間リソースの管理だ。リソース管理は得意な方だと思う。いや、そうでもないか、ボドゲ会では割と負けてる方だった。社会人が多いボドゲ会の中では俺はやっぱりまだ子供だし、知識も実力も全然足りない。
そういえばこないだのボドゲ会で遊ばせてもらった『ニュートン』は面白かったな、と箱絵に描かれた林檎を思い出しながら、林檎を切って皮をむく。林檎が好きなら、きっと林檎の食感を楽しめるようなレシピが良いんじゃないかと思った。だから、林檎は大きめに切っている。それが本当に勝利点に繋がるのかは、最後までわからない。
砂糖とレモン汁を入れて少し待つと水分が出てくる。水の量を見て、少しだけ水を足す。後は弱火で煮るだけ。焦がさないようにだけ気をつければ良い。ここまでレシピの通り。
この辺りの成功判定はきっと自分の調理技術レベル依存なんだと思う。けど、アップルパイは市販のパイシートさえ買ってしまえば、失敗率は割と低いような気がする。生クリームよりも、クッキー生地よりも、ずっと楽──これは俺の感覚でしかないけど。
それでも念のため、失敗してもやり直せるくらいの資源は用意した。やり直しは時間リソースの消費が大きくはなるけど、選択できない手段ってほどじゃない。
鍋の中の透き通ってきた林檎と甘酸っぱいにおいに、彼女の声と笑顔を思い出す。誰かのために料理するのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。
大きめの林檎のフィリングを活かす、大きめのアップルパイ。丸じゃなくて四角なのは、その方が冷凍パイシートで作りやすいから。上に乗せるパイシートを細長く切って網目状に重ねる。なんとなく網目がある方が高得点な気がしている、特に理由はないけど。
そうやって焼きあがったアップルパイに、アプリコットジャムを塗って艶々とさせる。店で出せるとまでは言わないけど、素人作にしては綺麗な完成品だと思う。この辺りは冷凍パイシートとレシピの力だ。
この「アップルパイ」を彼女のところに持っていって、一緒に食べる。それで十勝利点はいける、と思った。
つまりこれは、お金をコストに資源を揃えて、時間リソースを消費して料理して、出来上がったものを彼女に届けると勝利点を得られるゲーム、として表現できるのかもしれない。
このゲームの勝利点は、彼女が言ってくれるかもしれない「美味しい」って言葉だったり、彼女がアップルパイを頬張って笑う表情だったり、一緒にアップルパイを食べるその時間だったりを表現したもので──いや、その価値って十勝利点どころじゃないんじゃないか。十とか二十じゃ収まらない、もしかしたら三桁にだってなるかもしれない。
なんて浮かれていたけれど。
ふと、不安が過ぎる。もっと食べやすい、小さめのサイズが良かったのでは。素人作の手作りの食べ物なんか、渡されても困るだけかもしれない。「本当に作ってきたの?」とかドン引きされたりしないだろうか。あの「食べてみたい」だって、社交辞令のようなものだったんじゃ。もしそうだったら、勝利点どころじゃない。なんなら、ここまで積み上げてきた勝利点が全部なくなるくらいに、ひどいマイナスだ。どうしてここまで気付かなかったんだろう。
出来上がりの高揚感があっという間に冷める。
これを持っていけば百勝利点、あるいはマイナス百勝利点。持っていかなければ何も起こらない、ゼロ点。でも、ゼロ点はマイナスよりはずっとマシ。艶々とした網目を見て溜息をついた。
アップルパイを冷蔵庫にしまう。ちょっと悩んでから、付箋に「食べるな!」と書いて一緒に置いておく。残りの材料も道具も片付けて、もう一度溜息をついた。一人で勝手に浮かれて、馬鹿みたいだと思った。最悪だ。
夜に、大須さんのお兄さんからメッセージが届く。バイトで少し遅くなるかもしれないけど部屋に上がってて良いから、と。わかりましたと短く返事をして、でもアップルパイのことは言い出せなかった。
その少し後に、今度は大須さんから「明日くるの何時?」とメッセージが届く。ただそれだけのことなのに、返信に時間をかけてしまった。変に思わなかっただろうか、気を悪くしてないだろうか。
当たり前のように、大須さんは会話を続けた。
──この前に言ってた
アップルパイのことを言い当てられたような気持ちになって、息をのむ。彼女の言葉が届くまでのわずかな時間がもどかしい。
──タルトのゲーム ウサギかリス?
詰めていた息を吐く。力を抜いてボドゲ棚を見る。その小さめの箱を確認してから、メッセージを入力する。
──リスのタルトやさん 小さい子向けのゲームで遊びやすいし面白いよ 可愛いし 持っていこうか?
──遊ぶかはわからない コマが可愛いって言ってたから見てみたい
──持っていくよ リンゴは出てこないけど
──りんご?
次の言葉を待ったけど、何も送られてこない。何かまずいことを言っただろうかと不安になって、言い訳のようなメッセージを送る。
──リンゴが好きって言ってたから この前 勘違いだったらごめん
──それでか
その後に送られてきたのは、表情のよくわからないイラストのスタンプだった。これの意味はなんだと悩んでいる間に、次の言葉が送られてくる。
──リンゴが登場するボードゲームなら遊ぶとかじゃないからね
──せっかくなら好きなものが出てくる方が嬉しいかなって
──別にリンゴだけが好きってわけじゃ ないよ
──リンゴ好きなんだよね?
──好き
──アップルパイは?
──好き
自分で聞いておいて間抜けな話だけど、彼女から「好き」という文字が送られてくるたびに、彼女の「林檎が好き」という声を思い出して、うろたえてしまう。なんだか言わせているみたいで、悪いことをしてるような気持ちになってきた。その罪悪感にも動揺する。
何秒かぼんやりしてしまってから、文字を入力して、消して、もう一度入力して、書き足して、やっぱり書きすぎな気がして、また消して、それから悩んだのは何秒くらいだろう。もう一度入力し直して、思い切って送信した。
──アップルパイ焼いたんだけど食べる?
既読になる。心の準備をする前に、もう返事がすぐに届いてしまった。
──食べたい
テーブルに突っ伏した。たったこれだけのことで乱れてしまった呼吸を落ち着かせる。返事をしなくちゃ。すぐに返事しなくちゃ。
慌てて、でもようやく入力できたのは一言だけ。
──もってく
またすぐに、「楽しみ」という文字のスタンプが送られてくる。床に体を投げ出して、スマホの画面を眺める。アップルパイ、作って良かった。
ぼんやりと眺めていたら「おやすみ」というスタンプが送られてくる。慌てて、こちらからも似たようなスタンプを送る。既読になったことを確認する。顔がにやけてる自覚はあるけど、一人だから問題ない。
彼女と一緒にボドゲを遊びたい。それだけのことだと思っていたんだけど──本当にいつの間にこんなことになってしまったんだろうって自分でも思う。思うけど、スマホの画面を眺めるのをやめられないでいた。
なんだか湧き上がってきた衝動を持て余して床の上をごろごろ転がってたらテーブルの足にスネをぶつけて痛かったけど、そんなものは明日手に入るはずの勝利点に比べたら、全然ちっともこれっぽっちもなんてことはなかった。
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