つづきを。
@azarasiseal17
つづきを。
これで何回目だろうか。
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朝六時半だ。月曜日の朝というものは誰にとっても憂鬱なものだと思う。朝起きて顔を洗ったら、冷蔵庫から納豆を取り出した。次にポットで湯を沸かし、インスタントコーヒーを飲む準備をする。湯を沸かしている間に納豆を混ぜるのが日課だ。
朝の支度を終えると、外から大声が聞こえた。
「そうたああ!まだああ?」
隣の家の
「おおぉい!そうたああ!」
自分の名前を住宅街で大声で叫ばれると迷惑なので、急いで靴を履いて外へ出た。
「お!やっときた!遅いよ想太!あれ、ヘルメットは?」
「あ、ごめん。忘れた。すぐ戻る。」
家にヘルメットを忘れてしまった。前波とは自転車で学校まで通っている。歩道が狭いので一緒に登校したくないと今まで何度も言っているのだが、そんなことには耳を傾けることすらしてくれない。いつもの白いヘルメットを取り出して玄関を出ると、すぐに前波に話しかけられた。
「もう、忘れっぽいんだから。この前もヘルメット忘れてたよね?私のおかげで想太の身の安全を確保してあげてるんだからね?感謝しなさいっ。」
そう言いながらも前波は笑顔で僕の肩をぽんっと叩いた。すると前波は自分の腰の方へ手を伸ばした。
「あ、こっちじゃ無かった。ほんと、制服って後ろにポケットがないから不便。」
そう言うと次はジャケットのポケットに手を伸ばし、スマホを取り出した。そういえば前波はいつもスマホをジーンズの後ろポケットに入れている。
「うわっ、もうこんな時間。」
そうこうしている間に時間が経ってしまったので、急いで自転車に乗った。僕が自転車に乗った頃にはもう前波は数十メートル先にいた。彼女はおっとりした見た目に反してわんぱくなところがある。何をするにしても全力だ。僕は急いであとを追いかけた。少しして追いつくと、長い髪を風になびかせながら前波が話しかけてきた。
「いやあ最近寒くなってきたねえ。」
「こんなの寒いって言わないよ。」
「あ、そっか。想太は水泳部だもんねー。このくらいどうってことないか。」
確かに最近少しずつ寒くなってきた。学校のプールで練習が出来るのももう長くないかもしれない。
「ってかさ、下の名前で呼ばないでくれない?前波。馴れ馴れしいんだって。」
あまりにも自然に話しかけてきていたのですっかり忘れていたが、下の名前で呼ばれるのは困る。いくら幼なじみでも、もう高校生だ。やめてほしいと長く思っている。しかし前波は、
「あ、今月に入ってから六回目~。お得意の『馴れ馴れしい』攻撃。別に良いじゃんっ!小学校からの幼なじみってやつなんだから。」
そう悪びれもせずに笑っている。
「攻撃じゃないって…やめてほしいだけだって。」
「そう水臭くなんないでよ!そーたっ!」
「はぁ…」
思わずため息をついた。
ごたごたしゃべっている間に学校に着いた。十五分もすれば到着する。ホームルームが終わり、一時間目の世界史まであと十分弱だ。準備をしようとリュックをあさった。しかしその瞬間血の気が引いていくのが分かった。教科書を忘れてしまったのだ。これで何回目だろうか。世界史で忘れ物をするとろくな事がない。残りの時間からして家に取りに帰るのは不可能だと考えた。そこで、他のクラスの友達に教科書を借りる事を思いついたが、残念なことにこの一年二組に世界史がある日は、他の三クラスに一時間も世界史はないのだ。その時、ふとある日の事を思い出した。
―今年初めて世界史の教科書を忘れた日のことだ。焦って他クラスを走り回った。
「世界史の教科書持ってない?」
寝ぼけた声でそのセリフをくり返したが、首を縦に振る生徒は一人もいなかった。隣の三組で絶望していると、快活な声で横から話しかけられた。
「あ、もしかして、世界史の教科書を忘れちゃいましたー?そうた?」
すぐに誰か分かった。前波だ。
「はい、私の貸してあげる。」
するとロッカーへ向かい教科書を取り出した。彼女は真面目なのか不真面目なのかわからないが毎日ほとんどの教科書を学校に置いているようだ。
「はい。どーぞ。」
「ありがとう。」
つい平たい声で返してしまった。教科書を貸してくれたのは確かに嬉しかった。だが幼なじみだからこその嫌気が差してしまった。それと同時に周りの目も気になった。幼なじみとはいえいつも一緒にいるというような印象を受けたくなかった。そして逃げるように自分のクラスに戻ってしまった。―
そんな事もあったので前波の顔が浮かんだが、やはり彼女から教科書は借りたくなかった。しかし世界史は刻一刻と近づいてくる。あの時計の針が逆方向に進んでくれないか、とつい思ってしまった。だが針は止まることすらせず、世界史を迎えてしまった。僕は授業が終わるまで教科書を忘れたことを隠し通すことにした。あの厄介な女教師から五十五分間隠し通すことが出来れば、僕の勝ちだ。
その勝負は一瞬で決着した。
「今虹、今日は教科書何ページからだっけ?」
授業の始めに女教師が僕にいきなり確認をしてきたのだ。おそらく教科書を忘れていたのには気づいたおらず、ふと目にとまった人を指したのだろうが、運悪くそれが僕だった。
「あ、えっと…」
教師から強い視線を送られ、自分の目が泳いでいるのがよくわかった。
「持ってきてないのか?今虹。忘れたんじゃないだろうな?」
持ってきていないということは忘れたということだ。
「今虹!」
その声をきっかけに数分間の説教が始まってしまったのだ。教科書を忘れているのに気がつかなかった朝の自分を叱責したかった。
ノートしか置いていない机を眺めているうちに授業は終わり、その後の授業もいつの間にか終わり、気づくとだいぶ日が傾いていた。今日は月曜日なので部活はない。そのためクラスメイトと少し雑談をした。そしていつも通りヘルメットをかぶり自転車に乗る。風は朝よりは少し暖かかった。
「もう十月か…」
そんなことをつぶやきながら使い古した自転車を漕いで、この地域で一番大きい交差点を越えると、後ろから聞き覚えのある声がした。
「そうたああ!」
呆れてスピードを緩めると、やはり前波が追いついてきた。
「だからあ、馴れ馴れしいんだって」
と、つい言ってしまった。
「はい。今月七回目ですっ!」
前波はにたにたと笑い喜んでいる。その笑顔は昔から変わらない。そんな笑顔につられてつい笑ってしまうのだ。
家に着くと、ペットのゴールデンレトリーバーの「ボルタ」が玄関で出迎えてくれた。毎日の疲れをこいつが癒やしてくれる。靴を脱ぐとすぐに飛びついてきた。
「おお、おっきくなったなあお前。」
餌はいつも僕があげているので家族の中では一番懐いている。ボルタに見守られながら手洗いを済ませると、ボルタが餌をねだったので、犬用の餌がある納戸に向かった。餌をとりだして専用の皿に入れ餌をやり、制服のままでは動きにくいので普段着に着替えてボルタと数十分遊んだ。いつの間にか五時を過ぎてしまったので、そろそろ課題をやらなければと二階の自分の部屋に向かおうとした時、階段脇の廊下の壁の、ある異変に気がついた。自分の体よりも少し大きな長方形の線がついている。不思議に思い壁を触っていると、突然壁が奥に開いた。体重をかけてしまっていたので思わず体がつんのめってしまった。つんのめった先には、まるで天井裏のような薄暗い小さな部屋があった。
その薄暗い部屋には何も置いていなかった。しかし、真正面に一つだけまるでアンティークのような趣のある扉があった。ボルタも部屋の中をクンクンと嗅ぎ回りまだ状況を探っている。部屋の位置からしてここに扉があるのは明らかにおかしかった。ここを開ければただ壁が現れるだけだろう。そう思って扉をゆっくりと開けた。すると扉はギィッっと不気味な音を立て、その奥は異常に輝いた。僕はゆっくりとその奥へと進むことにした。
1
顔面蒼白どころではなかった。いつの間にか自転車に乗っているのだ。
「うわっ!」
とても脳の処理が追いつかず、この地域で一番大きい交差点にある小さな縁石に衝突し、自転車ごと転倒してしまった。幸い、水泳部ということもあって体つきは良いので、怪我はせずに済んだ。しかしさらに脳の細胞を破壊しに来ているような現象が起こった。
「そうたああ!こけてんじゃんっ!」
そう笑いながら自転車に乗った前波が後ろから近づいてきたのだ。さらに彼女は制服を着ている。自分の目を疑い次は自分の服を見てみると、同じく制服を着ていた。
あまりの僕の動揺ぶりに、前波からは笑いが消え心配に転じた。
「大丈夫?なんか変だよ。」
「あ、いや…」
突然のことであったので、座り込んだまま、うまく返答出来なかった。
「はい、私が特別に手を差し伸べてあげるから、立ち上がりなさいっ。」
前波は心配をしつつもいつものお茶目ぶりも忘れなかった。それにつられてつい
「自分で立ち上がりますから、大丈夫だって。馴れ馴れしい。」
と言ってしまった。すると前波はふてくされたように、
「せっかく手を差し伸べたのにねえ。ってか、また馴れ馴れしいって言ったね?七回目だよっ!」
「いや八回目だろ。」
「七回目!私ちゃんと数えてるから。」
その言葉にまた脳が混乱し始め、また立ち上がるのを忘れてしまった。
「ねえ、聞いてる?ってかいつになったら立つの?さっきから座り込んで。ほんと、お茶目なんだから。」
お茶目なのはそっちだ、なんて言っている余裕はなかった。何が起こったのかを整理するのでいっぱいだった。
「おおおおおい。聞いてますか?」
しつこいので、家に帰ろうと思った。
「と、取りあえず、帰る。」
「いや当たり前なんでしょ帰り道の途中なんだから。」
家に帰っても混乱は収まらなかった。飼い犬のボルタはさっきと全く同じように僕を出迎えた。同じ表情で、同じ動きで飛びついてきた。
「え、まさかお前、お腹すいてんのか?!」
あまりにも先ほどと仕草が同じであったので試しに餌をあげてみると、同じように餌にかぶりついていた。この様子を見てまさかと思い部屋の時計を見てみてると、針はちょうど四時半を指していた。
「戻ってる…」
腕時計、スマホ、置き時計すべての時刻を確認しても、すべて四時半だった。僕は、俗に言う「タイムスリップ」をしてしまったのだろうか。未だに信じられず心慌意乱としていると、壁にまたあの部屋への扉を見つけた。手で押すとやはり扉は開き殺風景な部屋が現れた。そしてあの古めかしい扉もあった。後ろからボルタが速やかに入り、部屋の中をクンクンと嗅ぎ回っている。信じられないが、この扉を通ると時間が戻るらしい。勇気を出してもう一度扉を開けることにした。
2
次は自転車ではなく椅子に座っていた。時刻は三時半を回っている。どうやらあの扉を抜けると時間が一時間戻るらしい。
「今虹さん?」
いきなり担任の先生に話しかけられた。
「はい?」
周りの生徒もこちらを見ている。まだ状況がつかめない。
「あいさつお願いします。」
なるほど、四時半から一時間タイムスリップしたので今はホームルームなのか。
「おい、今虹。聞いてんのか?」
次は隣の
「あ、起立。」
少し間を置いて、
「さようなら。」
それに合わせて先生、生徒も挨拶をした。
次第にわくわくが抑えられず、雑談をすることもなくそそくさと家に帰った。帰る時間が少し早かったので今度は前波とは出くわさなかった。しかしボルタには同じように出迎えられ、同じように飛びついてきたので、やはり同じように餌をあげることにした。こんなに餌をあげたら太ってしまうのではないかと一瞬思ったが、時間が戻っているので大丈夫なのだろう。そしてまたあの殺風景な部屋に入った。ボルタもやはり部屋に入ってきた。
「ほんとにタイムスリップするのかあ。すごいなあ。」
両親は気づいているのだろうか。この部屋の存在に。親は共働きのため日中はほとんど家にいることがない。
「せっかくだから戻れる時間も調整出来たらいいんだけど…」
木の扉の近くを眺めてみるが何もない。戻る時間の調整は出来ないようだが、一時間戻れるだけでも相当な事態だ。しかし、面白い。これをうまく使えばある意味、これから「いい人生」を歩めるのではないだろうか。
タイムスリップの出番は早速あった。翌日火曜日の朝、また世界史の教科書を忘れたことに気がついたのだ。しかし今度は焦らなかった。
「また忘れたのか今虹。お前は懲りないなあ。」
隣で水谷が失笑している。水谷は同じ水泳部の親友で、釣り仲間でもある。
「あ、そうだ、今度隣町の釣り堀いこうぜ。この前インスタであの釣り堀はたくさんつれやすいって誰かが投稿してたんだよ。」
インスタ…あれか。前波がやってるやつだ。よく自撮りをしては投稿している。インスタというものは自撮り写真だけでなく釣り堀関係の投稿もするのか。どうもSNS関係の話には疎い。
「お前もインスタやりなよ。みんなやってんだから。」
「どうやってアカウント作るの?」
「教えてやるよ、ほら、スマホ出して。」
学校でスマホをいじるのは校則違反だがそういうのは気にしないタイプだ。水谷は丁寧に使い方を教えてくれた。そしてあっという間にアカウントが作れた。とりあえず水谷のアカウントをフォローしてみた。
「そういやあお前、いいのか?教科書忘れたままで。借りてくれば?あ、他のクラスは世界史ないもんなあ。」
水谷は鼻で笑った。
「大丈夫。取りに帰るから。」
「取りに帰るって間に合わねえぞ。何言ってんだ?」
「じゃあまたね。」
「おい、今虹、ホントに帰るのか?」
そんな言葉は無視をし駐輪場へと向かうと、余裕を持って自転車を漕ぎ家に帰った。
「水谷?今日は今虹はどうしたんだ?」
「あ、世界史の教科書を取りに帰るって…」
「今日も忘れたのか…呆れました。それじゃあ今日は教科書七十四ページから…」
3
気づくとお茶を飲んでいた。一時間戻れたようだ。しかし突然お茶を飲んでいる状態に戻ったので体が慣れずお茶を吐き出してしまった。
「ぐはぁっ!」
床一面に飛び散ってしまった。ボルタが心配して寄ってきた。
「ああ、ごめん驚かせて。教科書取りに来ただけなんだ。」
両親は早朝に出勤したので家にはもうボルタしかいない。周りを見渡すと、テーブルの上に世界史の教科書があった。
「ここに忘れてたのかあ。」
リュックの中に放り込むと、もう一度学校へ向かう準備をした。
「今日は忘れなかったから。」
僕は自慢げに水谷につぶやいた。
「お、学習してるねえ。あ、そうだ、そんなことより、今度隣町の釣り堀いこうぜ。この前インスタであの釣り堀はたくさんつれやすいって誰かが投稿してたんだよ。」
その聞き慣れたセリフに、
「うん。行く行く。僕、アカウントも作ったし。」
「インスタの?珍しいな自分からそういうことするなんて。」
いや教えてもらったんだよ、なんて言えない。
「アカウント教えてよ、俺フォローするから。」
「あ、うん。」
スマホを取り出してホーム画面でインスタを開こうとした。しかし、あるべき場所にあのアイコンがなかった。
「あれ…」
「なんだよ、ダウンロードすらしてないじゃんか。」
「いや、確かに入れたんだよ…」
そのとき気がついた。インスタのダウンロードしてアカウントを作ったのは、無かったことになっているのだ。僕がさっきあの扉を開ける一時間前以降にアカウントを作ったため、それはすでに無かったことになっている。
「ええっと、悪いんだけど、もう一回アカウントの作り方教えてくれない?」
「いいけど、俺今まで教えたことあったっけ?」
43
時々辻褄が合わなくなったり、訳がわからなくなることもあったが、大方うまくいっていた。テストに関しても家に何度も帰ればやり直せるし、教師や生徒とトラブルになったときも、家に帰ればすぐに問題は解決した。もうすぐ冬休みかと思っていたのだが、なかなか時間が進まず、まだ十一月下旬だ。
「そうたー」
外で前波が呼んでいる。僕は忘れ物もなしにすんなりと家を出た。
「あ、来た来た。最近調子良さそうだね。」
「まあね。やり直してますから。」
前波は怪訝な顔した。すると同時に前波のスマホの着信音が「ピンッ」と鳴った。しかし彼女はスマホを確認する様子はない。
「じゃあいくよ、そうた。」
その後通学の間も何回か前波のスマホが鳴っていたのだが、確認する素振りすら見せないので、駐輪場についてから訊いてみた。
「いいの?スマホ確認しなくて。なんか最近スマホ見ないね。」
一回でも通知が鳴れば即座に確認するのが彼女の癖だ。それなのに全く確認しないというのはおかしい。
「いいの。」
彼女は冷ややかに返答した。
その日からも彼女がスマホの通知を無視することが増え、その上なんだか冷たくなった。話しかけてもまるで上の空だった。
56
十二月上旬、ある土曜日に僕は水谷と隣町の釣り堀に出かけることになった。釣り堀まではバスを使って約三十分とちょっとだ。
「今虹!遅いぞ!」
バス停から水谷が手を振っている。
「ごめーん!遅れた!」
急いで水谷の方へ走り、釣り堀を経由するバスに乗り込んだ。ここからはバスで三十分ほどだ。
「ああ、俺酔うかも。」
水谷が不安そうにつぶやいた。
「しょうが無いでしょバスじゃないと僕らは行けないんだから。」
午前十一時頃、僕らは目的地に着いた。インスタで広まったこともあってか多くの釣りマニアらしき人々が水面と向き合っている。しばらくしてなんとかスペースを見つけた。僕がスペースをとっている間に水谷に釣り具をレンタルしてもらうことにした。
「持ってきたよ釣り具。」
「ありがとう水谷。」
早速準備を終えると、並んで座り釣りを始めた。しかしなかなか釣れず、水谷はスマホをいじり始めていた。その様子を見て僕もスマホを取り出そうとしたが、どこにも見当たらない。
「あれ、ポケットに入れたはずなんだけどなあ…」
「お、今虹忘れ物?懐かしいねお前が忘れ物なんて。」
「懐かしいってほどのことでもないでしょ。」
一瞬家に帰ってタイムスリップをし、スマホを持ってくることを思いついたが、一番早く来るバスに乗っても家についた頃には家を出発してから一時間以上経つことになるので、タイムスリップは諦めた。
「ああ、最悪スマホ忘れたよ。もういやだ。帰る!」
タイムスリップが意味がないと分かり、なんだか何もかも嫌になってきた。
「帰るつったって、まだほとんど時間経ってないじゃんか。スマホ忘れたからっていじけすぎだよ。」
「なんかすっごいいらいらしてきた。帰る!かえってやる!」
家に帰るとすぐキッチンから母親に話しかけられた。昼食の食材を買うのにショッピングから帰ってきたばかりのようだ。もう十二時を回っている。
「スマホ忘れたでしょ?新真野ちゃんから電話来てたわよ。」
新真野…ああ、前波か。母も前波とは長い付き合いなので下の名前で呼んでいる。
「なんか言ってた?」
「私は出てないわよ。かけ直してあげなさい。」
「言われなくても分かってるって。」
早々とスマホを取り、着信履歴を見た。確かに前波からの着信履歴が午前十時三十五分にあった。ちょうどバスに乗っていた時間だ。すぐにかけ直してみる。
〝…………おかけになった電話番号は、電源が入っていないか電波の…〟
嫌な予感がした。するとインターホンのチャイムが鳴った。
「はい。」
すぐ近くにいたので僕が出た。隣の前波の母親だった。どうも顔色が悪そうだ。
「どうしました?」
「うちの新真野見ました?朝の九時半頃に出かけてからいないんですけど…電話にも出なくて…すぐに帰るって言ってたんですけど、様子がおかしかったものですから…。」
朝から?じゃああの電話は何だったのだろうか。
「いや会ってないですけど…お母さんは?見た?」
昼食を作っている母親に話しかけた。
「私も見てないわよ。大丈夫かしら。」
するとインターホン越しに、
「ありがとうございます。すみませんねわざわざ…」
これが行方不明というやつなのか。
翌日の朝。いつもと違って母親に起こされた。それもとても激しく体を揺さぶられ、目が回るほどだった。
「そうた!そうたあ!起きて!!」
瞬時に目を覚ますとすぐにリビングへ連れて行かれた。そしてテレビを観させられた。そしてそのテレビには信じられない映像が流れていた。
〝昨日未明、行方不明になっていた前波新真野さんの血痕が、自宅から数キロ離れた崖の一部で大量に発見されました。崖の先は海が広がっており、新真野さんは崖から転落し、その後、海に流されたのではないかと考えられています。警察は自殺の可能性が…〟
嘘だ…何故彼女が…
僕はその場に倒れ込んだ。ボルタがペロペロと僕の顔をなめてくる。するとボルタはクークー鳴きながら僕の袖を引っ張り始めた。餌が欲しいのか、納戸の方へ向かおうとしている。その時、あの壁が目に入った。そうだ、まだチャンスはある。やり直せばいい。僕はすぐに走り出し、壁を突き抜け木の扉を開いた。
57
時刻は朝五時。まだ布団の中にいた。そして僕はすぐに毛布を放り投げ、またあの部屋へと向かった。
58
時刻は朝四時。先ほどよりも周りは一層暗かった。僕はすぐに毛布を放り投げ、あの部屋へと向かった。前波を助けに戻るために必死に走った。
74
時刻は土曜日の午後十二時を過ぎていた。ちょうど家に着いた頃の僕に戻ったようだ。体は疲れていないが、脳がとても疲れている。
「スマホ忘れたでしょ?新真野ちゃんから電話来てたわよ。」
「うるさい!」
話しかけられたがすぐに部屋の中へ入った。しかし足が止まった。現在の時刻は午後十二時七分。僕が乗って帰ってきたバスは釣り堀から午前十一時三十一に出発する。そして最寄りのバス停に午後十二時三分に到着した…つまり今この扉を抜けると一時間前の午前十一時七分に釣り堀にいることになる。だが釣り堀から次に乗れるバスは午前十一時三十一分のバスだ。全力で走っても釣り堀からは家まで一時間以上かかる。僕は家に帰らないとタイムスリップすることができない。つまり、、、永遠と午前十一時七分からは過去に戻れないことになる。
前波は九時半に家を出たと言っていた。海へ向かうには歩くと約五十分だ。おそらく彼女は九時半に家を出て、ゆっくりと海へ向かい、身を投げ出す直前に僕に電話をかけたのだろう。電話をかけた時刻が、、、十時三十五分…
「くそおおっ!」
僕は壁を殴った。殴った。殴った。何度壁を殴っただろうか。壁には赤い液体が染みつき始めていた。その様子を見ていたのだろうか。ボルタが顔をなすりつけてきた。
「なんだ、ボルタ…お前も中に入ってきてたのか…」
慰めてくれているのだろうか。そんなの少しの慰めにも…ボルタ…?
「そうだ、ボルタ、力を貸してくれ。」
僕はボルタを連れて過去への扉を開いた。
76
リビングの時計は午前十時十三分を指していた。うまくいったようだ。僕は急いでまた部屋へと向かった。しかし、本来あるはずの場所に部屋への入り口が見つからなかった。
「おい、どういうことだよ?おい!どこ行ったんだよ!」
ためらっている暇はなかった。もうあの崖へと向かう決心をした。瞬時に玄関へと向かい、靴を雑に履いて自転車に乗った。ここからあの崖までは全力で走れば二十分で着く。チャンスは一回だけだ。ヘルメットなんかつけている場合ではない。僕は全力で前波の元に向かった。
全力で自転車を漕いでいる間、必死に声に出して状況を整理した。もう脳内で状況を把握出来るような状態ではなかったのだ。
「僕は…僕は…ボルタと一緒に一時間過去に…戻った…それで…ボルタはいきなり僕がいなくなって驚いたはず…だ、だから…もう一度あの部屋に戻ったはず…それであの扉を開けたはずなんだ…」
まさか…僕以外の生き物が単独であの扉を開けたからあの部屋は消えてしまったのだろうか…
そんなことに思いを巡らせていると、突然雨が降ってきた。雨粒は激しく体を打ち付けた。この時間に雨は降っていなかったはずなのに…。だが気にしている場合ではなかった。
しばらくすると真っ直ぐに長い道路の先端にジーンズをはいた、長髪の女子が立っているのが見えた。その格好からすぐに前波だと分かった。まだ彼女との距離は何百メートルもあり、その姿はとても小さい。僕は大声で前波を呼び止めようとした。
「まえなみいいいい!!死ぬなあああ!」
だが、激しく地面に打ち付ける雨の音に声は翳んでしまった。
彼女は、後ろのポケットからスマホを取りだした。そして、それを耳に当てた。僕の顔が青ざめていくのが分かった。
「僕に…僕に電話をかけてるんだ…」
ポケットに手を突っ込んでもスマホは無かった。僕は人生最悪の忘れ物をした。またスマホを置いていってしまった。今この瞬間、スマホを持っていれば、、、彼女の自殺を今すぐ止められたかも知れない。スマホを持っていない以上、もう走るしかない。まだ間に合う…まだ間に合う…せめて、声が届くところまで行けば…
バンッッ!!ガシャッ!!
突然体全体に痛みが走った。気づくと倒れ込んでいた。すぐ脇にびしょ濡れの黒い車が止まっていた。どうやら轢かれたようだ。ここは交差点のど真ん中のようだ。必死に体の向きを変え、前波の方を見た。スマホはもう持っていなかった。まずい…このままじゃ…
「大丈夫ですか?救急車呼びますからね!」
運転手だろうか。
「彼女を…前波を…」
前波は、大雨が降る景色の中、体を海の方へと傾けた。僕は、必死に手を伸ばした。
「やめろ…やめろおおおお!まえなみいいいい!!」
三秒後、もう彼女の姿は無かった。そして視界が段々暗くなっていった。
これで何回目だろうか。この夢を見たのは。彼女が自殺してから一ヶ月。夢のように時を戻すことは出来ない。前波があの崖で死んでから、僕は学校へ行くことが出来なくなった。自室でスマホをいじり続けた。そしてあるインターネットの噂を見つけた。それは、彼女がSNSで誹謗中傷を受けていたのではないかという噂だ。それはある記憶と結びついた。前波のスマホの通知だ。自殺をする少し前から、スマホを触る時間が減り、通知も無視することが多くなっていた。噂を知ってから、僕は確信した。彼女は誹謗中傷を受けていたと。だが、その真実は明らかにされぬまま原因不明の自殺として警察に処理された。
僕は、彼女を自殺に追い込んだ、僕らの青春のつづきを絶った奴を許さない。
つづきを。 @azarasiseal17
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