第10話 心身ともに傷付けていくもの 対話

 翌日の朝。視線を感じると即座に勢いよく起き上がる。目の前に座り込んで見守っているダンデがいた。


「やあ。おはよう。眠れたかい?」


 女性なら惚れるような笑みで朝の挨拶をしてきた。


「ああ。お陰様で。今から着替える」


「分かった。出て行こう」


 ベッドの下にある本来の自分の服を取り、手早く着替え、外に出る。小鳥の囀りと朝特有の涼しい風と温かい日差し。空に雲は見当たらない。


「あら。おはよう。2人とも起きてたのね。昨日はお疲れ様」


 丁度ルーシーと出くわした。卒業生のヴィクトリアと一緒だ。巻物を抱えながら移動している最中のようだ。


「お前たちもな。早速転移陣を設置しにいくのか」


「まだよ。数値の設定とか細かいとこは今日やってくの。調整とかもしなくちゃいけ

ないから、安定して使えるのは1週間ぐらいかかるわ。こういう時のお父さんがいれば短縮出来たんだけど……」


「いない人を求めてもしょうがないわよ。エイル、ダンデ。あちらに朝食があるから」


「ああ。頑張ってくれ」


 軽くやり取りをして、朝食を取れる場所へ向かう。大きい布を屋根としたとこだ。既に何人か起き上がって、のんびりとりんごをかじっていたり、優雅に紅茶を飲んでいたりと、バラバラである。


「エイル。ダンデ。おはよーさん」

「おはよう。エニシダ」


 エニシダと挨拶を交わす。


「疲れは取れた?」

「ある程度は。あの件はどうなった」


 気になるので聞いてみる。


「朝の会議で報告するよ」

「分かった。場所は昨日と同じで良いんだな?」

「ああ」


 朝食後、ダンデと別れ、到着直後の会議場所に移動。昨日よりも人が多い。水汲みしに行っていた人も含まれているからだ。カノースはラークスパーの隣におり、縛られて動けない状態だ。エイルが入って来た事に気付いたのか、見ている。


「ガレヌスの弟子」


 奴の口は封じられていないので、言いたい放題なのだが、ただ「ガレヌスの弟子」と言っただけ。夜の声と違うと違和感がありながらも、ラークスパーに尋ねる。


「何か分かったことはありますか? 流石に俺達の前で本当の事を言うとは思えませんが」


 取り調べの時、正直に言ってくれる保証はほぼない。教えてくれた場合、それは大体相手が治癒魔術師などで、刑事責任を問われる事がない時だ。


 今回、エイル達は彼を治療する側ではない。寧ろ追い払う側である。だからこそ、真実を口にしてくれないとエイルは確信していた。


「カトレー家の方が作ってくれた自白剤のお陰でどうにか」


 予想を翻した答えだった。ルーシーお手製の自白剤で情報が出てきたようだ。


「あれの効き目は相当だったな。飲ませて数分で目が虚ろになってよ。べらべらと教えてくれたんだ。流石魔法薬学の先生だなって思ったね」


 エニシダがあの後の様子を簡単に教えてくれた。エイルは彼女に心の中で拍手を送った。効果の高い自白剤を短時間で作る力量は持ってないのだ。


「そうか。それでどう供述してました」

「今まで私達が絞り切れてなかった理由は透明化の魔術を自分にかけていたからでしょう。それだけではありません。声を弄って実行してました」


 エイルの違和感は声の弄りだったようだ。姿が見えず、声が変わっていたら、ただでさえ性暴力に遭った彼女達は教える事が出来ないだろう。


「それと察しが良かったからな。情報収集と観察で俺達の動きを読んで、やらない時もあった。監視なんざバレてたって感じだ」


 友人のセリフにカノースを除くここの同僚たちは縦に頷いた。


「お前たちが来て助かったよ。まさかすぐ捕まえちまうとは思わなかったけど」


「だろうな。俺もだ。あんな早くお前のとこに行くとは思わなかった。慎重だからもうちょっと後かと思ってはいたんだけどな」


 おとり作戦は数日スパンで考えていた。ざっくばらんに終えた理由として、おとり役のエイルの行動で悟られないためだ。様子を見ながら探っていくのが本来の作戦。


 彼があまりにも察しが良く、慎重に動くためだからだ。すぐにカノースがエイルに仕掛けてくる事自体、予想外だったみたいだ。だからこそ、先ほど治癒魔術師2人がああいう会話をしていた。


「そうかね。俺はすぐ行動に移すと思ったよ。最近は欲求不満駄々洩れの声が聞こえてたからね」


 ラークスパーの友人であるチャービルはそうでもなかったようだ。エイルは会話を思い出す。


「そりゃあんたは特殊だからな」


 口を揃えて同じ事を言った。彼には何か特殊な何かがあるのだろう。それで今夜と断言したのだろう。


「ははっ」


 同僚の反応に彼は大きく笑った。


「まあ分かったところで喧嘩出来るわけじゃないからな。虫すら殺せない優男がこの俺だ。どこぞの紳士とは大違いという奴さ」


 どこぞの紳士が誰か分かっているエイルは危うく吹き出しそうになったが、笑える雰囲気ではなかったのでどうにか堪える。


「行動に関しては理解したが、今後どうするつもりだ」


 今までのカノースの行動は知った。次題に移っていく。これこそ問題だろう。また性暴力する可能性がある事を踏まえながら考えていかないといけないのだから。


「それに関してですが、同じサピエン出身の彼を呼び、任せようかと。明日にはこちらに到着すると一報を受けました」


 ラークスパーの言う彼とは誰のことだろうか。エイルはそう思い、質問する。


「彼とは一体」

「タンジー。サピエン出身で旅をしていた治癒魔術師で、今は育成機関の長として活躍しています」


 異国出身の治癒魔術師でも聞き覚えのある有名な人だった。タンジーと呼ばれる彼は人間のみの国家サピエン出身で、世界各地を旅してきた者だ。


 人々を治療していくついでに、各地で指導を行ってきたためか、治癒魔術師なら誰でも知っている。最近は歳を取って体が動きづらくなったため、地元の育成機関の長になっているようだ。


「あそこに行けってか!? 俺はぜってえ嫌だ!」


 余程彼の元に行く事が嫌なのか、カノースが暴れ始めた。


「興奮状態になっちまったか」


 誰かがため息を吐きながら、興奮状態を鎮静化させる魔術を施す。


「人の相性よりけりですしね。苦手な人は苦手なのかもしれません。直接指導受けた友人の数人は苦手意識あるので」


「性格は良いってわけじゃなかったしなー。そこら辺は有名だからうん。嫌がるのは分かる気が」


 このように治癒魔術師達が話している辺り、性格が悪いのかもしれない。カノースに同情してしまうぐらいの悪さらしい。


「とは言え、彼の指導をすると快く引き受けてくれたんです。カノースにとって、良い事に繋がると願っています」


 それでも教育者として優れているのか、信頼と信用が出来るようで、ラークスパーはあのように言った。


「そうだね。技術と知識は相当なもんだし、救われた人だっている。それにまだ若い。地元に戻って、振り返ったり、休んだりして、学んで欲しいかな。築かれたものを再び元の形になるまでかかるだろうけど。カノース君」


 立っていたラークスパーの友人は座っている彼の同じ視線の高さになるようしゃがむ。


「いつかまたこちらに戻ってくる事を祈るよ」


 大体は建前として言う事が多いだろうが、しゃがんだ男は恐らく本心で言ったのだろう。何かが声に籠っているように思える。それがカノースの心に響いたのか、目から涙がポロポロと出始めた。


「馬鹿じゃないか。んなの出来っこないのに」


 あまりにも理想論過ぎる。それを理解しているからこその発言だ。


「ああ馬鹿だよな。その辺りは同意する」


 エイルも同じ考えだったので彼の前で言った。


「唐突だがな。俺はお前の事をただのクズだと思ってた」


 本当に唐突に始まった。


「まあ今もクズだとは思ってるが、チャービルの言葉で泣いてた。だから少しだけ見直した」


「確かに本当に優しい人だから思わず泣いちまったな。何でやっちまったんだって罪悪感が出てさ。二度と取り戻せない何かをしてしまったって感じた。あーでもそれ以外にも理由があるんだよ」


 珍しく、彼は罪だと認識をしていた。


「お前だよ。お前」


 意外にエイルが原因のようだ。だが当の本人はあまり記憶にないようで、傾げているだけだ。


「その前に少しだけ話すよ。あの行為は、俺にとっちゃ、欲をただ吐き出して、支配してただけさ。あれは心地良かった。スリリングがあって、気持ちよくて、満足感を満たしてたんだ」


 エイルの眉がピクリと動く。睨んでるようにも思える目力がある。


「でも昨夜実感した。彼女達が味わった恐怖ってこういう事なんだってな」


 頬を擦りながら、続きを話してくれた。まさか昨夜の出来事でガラリと変わるとは思ってもみなかったようで、エイルは驚いた。


「そうだったのか。その後はどうするつもりだ。ラークスパーさんがタンジーさんに任せるらしいが」


「あの人の噂は聞いてたから正直嫌だ。だがやってやる。戻れるようにガムシャラにな」


「そうか。その選択した道は想像も出来ない。自覚した後の独特の辛さ。感じにくさ。まあ色々あるだろうな。本当にやれる覚悟があるのか」


「ああ。やれる事はやってやるさ」


 彼の表情は真剣だ。顔を見たエイルは、


「そうか。これ以上細かく言うつもりはない。精々揉まれていけ」


 淡々と言った後、奥に行ってしまう。


「ガレヌスの弟子はお優しいな。普通は処罰しろとか言うもんじゃねえのか」


 意外な言葉だったのか、彼は穏やかな顔で言った。涙と鼻水で顔が汚くなっているが、これでも堪えた方だろう。


「ただの処罰じゃ意味をなさない事ぐらい知ってるからな。それに生憎俺は心の治療を得意としているわけではない。歪みどうこうの認知に関する知識だってまだ勉強途中だ」


 エイルはまだ若い人間だ。全部を完璧に知識として頭に入っているわけではない。特に高次脳機能と呼ばれる脳の機能はそうだ。そして、様々な手段を用いて、能力を測っていく事は暫く難しい。


「俺は何も出来ないからな。言った所で変わりはしないから何も言わないつもりだった。正直チャービルさんがいなかったら、こういう話をしていない」


 旅して色々と見てきたからこその行動だ。チャービルがあの言動を出来る事に拍手を送りたい。エイルはそう思いながら、続きを言っていく。


「それとだ。未来については語る気はない。この辺りは関与するとこじゃないからな。お前次第としか言いようがない。これで満足か?」


「それで十分だ」


 その後、エイルは静かに彼らの様子を見る。カノースの故郷に帰る時の話が主になってきたためだ。彼のように、やってきた事を罪だと認識しているケースは稀かもしれない。あの覚悟も偽物かもしれない。


 それが証明されるのはだいぶ先の事だろう。このような問題を解決しようと頑張る者はきっと何かの活動家であって、治癒魔術師ではない可能性がある。


 でもそれで良いとエイルは思う。彼にとって治癒魔術師の仕事は人の体と心の傷を癒すことで、世界を変えることを使命としているわけではないから。

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