家庭内完全犯罪

鯵坂もっちょ

第1話

 どうせ三十歳まで生きてない。

 支倉はせくらあきがこの歳まで気兼ねなくニートを続けてこられたのは、そうやってすべてを先送りしてきたからだ。

 就職活動はしなかった。本当に何もしなかった。両親がなんとかしてくれるだろうという思いがあった。

 母の経営する「支倉法律会計事務所」は、祖父の代からの顧客をごっそり引き継ぎ、この地方都市では右に出るもののない大手となっていた。

 この「実家の太さ」が、支倉にさらなる甘えをもたらした。適当に生きてても両親の資産があればなんとでもなる。

 果たして支倉は大学を卒業した後、事務所の取引先の一つである電気設備事務所に職を得た。父親の口利きのおかげらしかった。

 少なくない額の金も渡ったらしいが、支倉はその辺りのことはよくわかっていなかった。触れると藪蛇になりそうだったので自分からは聞かなかったのだ。

 そこで一年ほど下働きのようなことをしたが、しかしやはり続かなかった。九時五時で働くことは性に合わない。そう思うようになっていた。

 そして仕事を一年で辞めて以降の七年間一度も働くことなく、支倉は親の脛をかじり続けた。

 人生がこのままではいけないことも分かりきっていた。だからこその「どうせ三十歳まで生きてない」である。三十歳までに何も起きなければ死ねばいい。そうやって問題を先送りすることで、支倉は未来のことに目を向けずに済ませてここまで来たのだ。

「三十歳までに」、と言うほどの気概すらないまま、まさにその三十歳の誕生日を迎えた日も、単にその値に5をプラスして支倉はモラトリアムを継続した。


 ◆


「ええ、すみません、形式的なものですから」

 赤ら顔が汗を拭きながら取り調べの開始を告げる。この人の良さそうな五十年配の刑事は廣畑ひろはたと名乗っていた。

 もう一人、沓澤くつざわと名乗った細身の男は一歩後ろにいる。メモをとるだけの役割のようだ。

 今は両親の資産とはいえ、この部屋は支倉の「城」だ。そこに突然踏み込まれた不快感はあったが、支倉はフレンドリーに応対した。父親譲りの性格がそうさせた。

「はい、何でしょう」

「お父様から何か聞いてませんかね」

「いえ、特には……」

「ええ実はですね、お母様が亡くなられました」

 驚きはなかった。七年前に引きこもり始めてから、特にここ三年ほどは数えるほどしか顔を合わせていない。深夜に一人外出し、2〜3日分の水と食料を買って再び部屋に籠もる。そんな生活を続けていたからだ。

 向こうからアプローチしてくることもなかった。もう諦めていたのかもしれない。公認会計士と弁護士の一人息子がニートで引きこもり。人一倍世間体を気にする母のことだから、支倉のことは隠したかっただろう。

 支倉が引きこもりを始めたときにはすでに祖父母が死んでいたことは、彼女にとっては幸運であったかもしれない。

 あんな息子、いなくなってくれればいい。それが偽らざる母の本音だったのではないか。

 しかし、母のほうが先にいなくなった。可哀想な人生であることだ。

 支倉が無反応でいるので、二人の刑事の顔色は次第に疑いの表情になっていた。

「心中お察しします」

「いえ……。すみません、突然のことで……」

 人と話すのが久しぶりだ。言葉がつかえて出てこないが、疑われるのは心外だった。事実として、自分は母の死について何も知らないのだ。

 だが、母がいなくなってせいせいした、という思いを悟られては面倒なことになるだろうと思った。

 資産さえあればいい。資産さえ残してくれるなら、両親の存在はむしろ邪魔ですらあったのだ。

 それにしても、警察沙汰である。変死ということだ。

「まあ多分事故だとは思うんですけどね。お父様が遺体動かしちゃってるんで。いちおう臨場したんです」

「そうですか……」

 あまりやる気のない物言いだな、と思った。事なかれ主義なのだろう。

「いつ、とか、どのように、とかは聞かないんですね」

「あ……。すみません、少し気が動転していて……」

 その言葉を二人が信じたかはわからなかった。

「今日の夜七時頃、何をされてらっしゃいました?」

「特に何も……。あ、この部屋で動画を見ていました」

「証明できる人は?」

「……いません」

「その頃になにか変わったことはありませんでした? 物音とか」

「特には……」

「そうですか。ありがとうございました。では私共はこれで」

「えっ?」

 二人の刑事は本当に去っていった。支倉は今度こそ驚いていた。尋問があまりにも短すぎる気がしたのだ。沓澤に至っては一言も発しなかった。単なる木偶の坊だったのか。

 まだ何もわからない。母が死んだ。そして刑事がやってきた。事故死だという。その詳細すら告げぬまま二人は帰っていった。

 支倉は割り切れない思いを抱えたまま二人の後ろ姿を見つめた。


 ◆


 母は確かに事故死だった。風呂場に充電中のスマホを持ち込んだことによる感電死だった。母がよく風呂場にスマホを持ち込んでいたこともそれで知った。

 日常的に風呂にスマホを持ち込むことにより、ケーブルが通常ではありえないほど劣化していたのだそうだ。

 曲がりなりにも、電気設備事務所に一年もいたから分かる。この手の事故はたまに起きるのだ。

 そして刑事たちが足早に去っていった理由もわかった。

 単に、無能だったのだ。あるいは、怠惰か。

 明らかに事故だとわかっているこの件にそこまで時間を割きたくない。他にも多くの事件を抱えている。だから面倒臭がった。

 あるいは逆かもしれない。地方都市の警察機構であって捜査能力が低い。うちの手には負えない。

 だとしたら国民に対する重大な背信行為だが、あの二人の刑事を見ているとさもありなんとも思える。「事なかれ主義」と「木偶の坊」──。

 いずれにせよ、次にやることは決まった。

 父と話さなければならない。


 ◆


 葬式や納骨、遺産の分配などが諸々終わったある日の夜、支倉は遅く帰ってきた父を捕まえた。

「父さん」

「秋雄か。ごめんなあ、いろいろ心配かけてなあ。元気そうでよかったよ」

 まるで親元を離れた子供に対する物言いだった。この家が広すぎるからだ。ここまで広ければ、同居人とすら年単位で顔を合わせないまま生活できる。

 逆に言えば、父の方から支倉の顔を見に来ることもなかったということだ。

 人の親になってはいけない人間だったのだろう。

「ごめんなあ、そういうことだから、母さんの遺産は一旦父さんが預かるからね」

 母の残した遺産は、支倉には一円たりとも入らないことになっていた。

「うん。それでいいよ」

 それでいい。そのほうが都合がいい。どうせ最終的には手元にやってくる金なのだ。

 自分が殺されるまでは油断しておいてもらうほうがよほどいい。

 極度のお人好し。父はそうだ。

 外面だけは遺伝した。支倉自身も、人当たりはいいので傍から見ればお人好しに見えたことだろう。ここ七年はその「傍」自体が存在しないわけだが。

 しかし父は骨の髄までお人好しなのだ。今回はそれを存分に利用させてもらおうと思う。

 自分の親ながら、支倉は同情の念を抱いていた。哀れな人だ、と。


 ◆


 それは天啓のようだった。

 邪魔な両親。母の事故死。無能な警察。

 これらが導く結論は唯一つだ。父を殺せばいい。母が死んだ事故と同じ方法で。

 母のケーブルは劣化していた。それと同じことを実現する方法がある。風呂のドアに何度も挟むのだ。

 父と自分しかいない家だ。父が普段はスマホを風呂に持ち込んでなどいなかったことなど、支倉の証言次第でなんとでもなる。

 広い家だ。風呂場で何をしようと音でバレることはない。

 支倉の気持ちは逸っていた。これでついにすべてが手に入る。一生遊んで暮らしていけるだけの遺産が。

 可哀想な母に。哀れな父に。無能な警察に。このときばかりは感謝していた。

 

 ◆


 風呂場からジャグジーの音が聞こえる。父が入浴しているのだ。

 勝手知ったるこの家だ。同居人の入浴時間を知るなど容易い。

 スマホの充電ケーブルは脱衣所の洗面台につながっている。

 ドアをそっと開ける。ドアを開けても気づかれないほどの広さと音に救われる。

 父は背を向けている。それも確認済みだった。

 浴槽まであと三歩。このケーブルの先端を浴槽に放り込む。

 あと二歩。

 あと一歩。

 父は一向に気づく様子はない。今だ! 今しかない! やれ!

 人を殺すのだということに数瞬のためらいはあったが、ここまで来て引き返すわけにはいかなかった。


 トプン。


 放り投げた。


 ケーブルが湯船に沈むとともに、支倉は拍子抜けしていた。もっと電気が流れるような音や光があるものだと思っていたからだ。

 父は微動だにしない。待て……。様子がおかしい。

 思えば、風呂場に入ったときから一ミリも動いていない。

 マネキン……?

「残念だったな」

 電気の流れる音の代わりに聞こえてきたのは、耳にしたことのない声だった。いや、正確には、耳にしたことのない「口調」だった。

 直後、背後からものすごい力で押さえつけられた。

「こんなことだろうと思ったよ。脱衣所のブレーカーは切っておいた」

「な……ッ、の野郎……!」

 喉が浴槽に押し付けられてうまく声が出せない。

「ハハハ、この野郎、か。随分だな。お前のその人懐こい笑顔、やはり嘘だったというわけか」

 父だった。父に違いなかった。

「嫌になるね。こんなに哀れな息子を持ってしまったとは。少しは想像がついてもいいものだ。俺はお前の父親なんだよ。その内心がどうなっているか、多少でも自らを省みたことがあるなら理解できて然るべきだったはずだ」

 猫をかぶっていたということだ。自分も。父も。

 もう、何を後悔しても遅かった。

「母さんと同じ方法で俺を殺そうとしたのも無能極まりないな。同じ家で間を開けずに同じ手口で二人の人間が死ねば、警察が疑いの目を向けないはずがないだろう」

 それはお前が今からやろうとしていることにも言えるんじゃないのか、と言いかけて、支倉は八年前の記憶に思い当たった。

 あのとき、支倉は父親の裏金によって就職先を得ていたのだ。同じことを警察に対して、どうしてやらないと言えるのか。

 廣畑は言った。形式的なものですから。言葉通りの意味だったということだ。

「ようやくせいせいするよ。これでようやくエミを迎え入れることができる」

 知らない名前だったが、大体の想像はついた。そして、母が本当は事故死などではなかったということも、また確かなことに思えた。「同じ手口」──。

 顔が水につけられる。肺に水がたまる。意識が混濁してゆく。

 父が何か言っている。

「今までありがとうな、可哀想で、哀れで、無能な支倉秋雄くん」

 しかしその言葉は、支倉の耳には届いていなかった。

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