第2章  2

 昼前にウルバーンを出た私たちは、その日の夕刻前に前線基地へと到着した。

 馬で二人旅の上、道中特にトラブルもなく行程は早かった。


 道中何度かヴォイドから前線基地に行く目的を問われたが、私は頑なに理由を明言するのを避けた。

 到着間近の頃には、冗談交じりにウフフフ、と笑って胡麻化していた。

 きっと不気味だっただろう。


 目的の前線基地は、開けた丘の上にあった。


 前線基地、とは言っても基礎が石造りで、あとはところどころに石材が使われているものの、ほとんどは木材で雨風がしのげる程度の簡素な作りで、あばら家よりはマシな大きな建物、といった感じだ。

 その周りに数棟の兵舎とおぼしき建物があり、南北には一つずつ、見張り台がある。


 周囲にはぽつらぽつらと木が生えているくらいで、丘の上だけあって見晴らしは良い。

 見張り搭まで登れば、かなり遠くまで見通せるだろう。


 前線基地に入ると、ヴォイドはまっすぐ指揮官と思われるプラチナムハートの元へ向かい、片手をあげて挨拶をした。


「ウォリアーレフテナント・ビーダス・アングロン、ご苦労様です。

 状況はどうです?」


 親しそうな顔をしているが、ヴォイドの口調はやはり丁寧だ。

 彼と他の人とのやり取りを見ている限り、これがヴォイドの地らしい。


「クエスター・ヴォイド・アリューション様、お疲れ様です。

 今のところ敵軍に大きな動きはありません。

 四日前の小競り合いの後は小康状態といったところです。

 敵軍の現在位置も抑えておりますが、すぐに動く様子は見られないと先ほど偵察隊からの定時報告が届いたばかりです。

 ところで今日はどうしましたか?

 ……そちらの女性は?」


 ビーダス・アングロンと呼ばれた指揮官は私の方へ一瞬目を向け、ヴォイドにそう尋ねる。


「さすがに前線までは噂は流れてきていないですね、こちらは、本日主神マール様より正式に認定された、聖女エリカ様です。

 以後失礼の無いように頼みます」


「よろしくおねがいします」


 と、私も軽く頭を下げる。


「聖女様、ですか。おとぎ話か何かの存在と思ってましたが、実在するんですね、しかもこんな辺境の領域に」


 さして驚きもせず、ビーダスはそう答えた。


 そう、これが普通の反応だ、と私は思う。

 砦の中はあくまで主神からの直接の言葉が広がった結果としてあの騒ぎになっているのであって、何も知らない人にいきなりこちらが聖女様です、と紹介されても、反応は薄いに決まっている。

 私としてもこういう反応の方がありがたい。


「聖女様が是非こちらに来たいと申されまして。

 目的はご本人からお聞きいただけますか?

 なぜか私には教えてくれないのです」


 言って、ヴォイドが私を見る。

 釣られて、ビーダスも私に再び顔を向けた。


「そろそろ理由を仰ってくださっても良いでしょう?エリカ様」


 そう言われ、私はあっさりと告げた。


「負傷兵の皆さんがいる場所に案内してもらえますか?」


 さすがにこれを言えば、理由も察するに違いない。


「慰問……ですか?」


 ぽかんとした顔をしてヴォイドは聞き返す。


「ち、違いますよ、何言ってるんですか!

 怪我の治療に決まってるじゃないですか!」


 あ、マズい、これは直前まで黙ってる予定だったのに(察してもらう分にはいいのだ)、ヴォイドの天然ボケに対応できず、つい本当のことを言ってしまったじゃないかっ!


「ああ!申し訳ありませんエリカ様、そうですよね、聖女様ですから治療できますよね、なんたる失態……」


 ビーダスが横でプッと吹いていたのは内緒だ。


「そういうことでしたら、負傷兵のいる兵舎までご案内いたします」


 ビーダスがこちらです、と私たち二人を案内する。


 砦と違ってすれ違う人々が無関心なのが、コミュ障で人見知りの私にとっては助かる。

 このくらいが丁度良いのだ。

 何といってもダメージが無い。


 基地を出て、数棟ある兵舎の一つに案内された。


「こちらです」


 ビーダスが兵舎の扉を開く。

 と同時に、血と傷、そして消毒液の匂いがもわっと鼻孔に満ちる。


 兵舎、と言っても砦のように部屋割りされているわけではなく、大きな部屋一つと、洗面所、そしてトイレがあるだけだった。


 そしてその大きな部屋には、救護兵によって簡易的に治療されたのであろう負傷兵が一人ひとりベッドに横たわっていた。

 二、三十名ほどだろうか。


 怪我の具合は、脚を骨折してる者、頭が包帯でぐるぐる巻きにされている者、腕を吊るされている者、目を怪我している者、と様々だった。

 腕が切断されている者までいる。


 部屋中から終始傷みと苦しみの声が聞こえてくる。


 ヴォイドが心配そうに、怪我人たちと私とを交互に見る。


 異世界聖女ものだとまず一人ひとり治してから、その後広範囲の治療魔法で一気に治すようなパターンだったりするが、私の場合は出し惜しみする意味は正直無い。


 手っ取り早く、一気に片付ける方が性格的にも合っている。


「ちゃちゃっと終わらせますよ」


 私は小声でヴォイドにそう告げると、ゆっくりと周囲を観察しながら部屋の中央に脚を進めた。

 負傷兵たちは何が起きるのか、好奇心と不安とが入り交じった視線を投げてくる。


 私は大部屋の中央に位置取り、一度深呼吸してから準備を始めた。


 治癒は三手順で行う。

 まず気門を開放し、全ての精神力を不自由なく使えるようにする。

 そして聖域展開で治癒効果をあらかじめ高めておき、最後に本番の治癒の祈祷となる。


 深呼吸しても緊張はそう簡単に収まらなかった。

 私には深呼吸は効かないのだリライアさん!


 うだうだ考えても仕方がない、やるしかないか。

 いくよっ!


「『気門開放』!」


 昨夜と同じく、凄まじい量の気が体中をめぐり始めた。


 ヴォイドとビーダスに視線を向けた。

 案の定、驚いた顔を隠せていない。

 大丈夫、私も驚いてるから!


 けれど、これで緊張は一気に吹き飛んだ。

 同時に、妙な安心感が胸いっぱいに広がった。

 この満ち溢れてくる自信はなんだろう?


 行ける。

 ではお次は……


「エカールの神々よ、今この場に聖なる印を刻み、汚れなき神聖なる領域を展開し給え……『聖域展開』!」


 聖属性の印を刻んだ聖域を展開する。

 床一面にエカールの聖典文字が光で書き出され、大部屋中に銀色のオーラが広がった。

 気門を開放しているためか、昨夜の聖域展開よりも聖なる空気に満ち溢れている。


 聖属性の印を刻んだのは、腕の欠損や片目の喪失など、怪我の具合が酷い者が幾人か見受けられたため、治癒の効果を高めるのが目的だ。


 さて、いよいよ本番だ。


「エカールの神々よ、今この聖域に集う者たちに聖なる印を刻み、大いなる癒しの風を吹かし給え……『癒しの息吹』!」


 再び聖属性を刻みながら、神々への祈りを唱えた。


 瞬間、部屋中に銀色の光の粒子が一陣の風と共に激しく駆け巡り、やがて光の粒子はそれぞれの負傷兵の怪我を覆っていった。


 それと同時に、部屋中から聞こえていた痛みや苦しみの声が止んだ。

 包帯を外さずとも、傷みが消えたのを感じたのだろう。


 皆それぞれが一様に、包帯を取り、添え木を外し、我先に怪我の状態を見ようとしていた。


「腕が……元通りに治ってる!」


「脚の骨が繋がってるぞ!」


「傷が塞がってる!」


「目が、目がぁー!」


 部屋中が嬉しさの声で溢れていた。


 そうか、こういう感動もあるのか、と私は始めて知った。

 祈祷術が云々ではない。

 人々に奉仕し、喜ばれるということ。

 人を助けるということ。

 こんな歓びが得られるのならば、私は胸を張って、堂々と聖女を名乗ろう。


 気門を閉じ、私は歓びに浸りながら、ヴォイドの隣に戻った。


「無事、終わりました」


「エリカ様、さすがは聖女様ですね、感服いたしました」


「本当に聖女様なんですね、おとぎ話じゃなかったんだ」


 ヴォイドとビーダスがそれぞれにそれぞれらしい声を掛けてきた。


 と同時に、私の元に、人の波がどどっと押し寄せた。

 つい先ほどまで痛みに苦しんでいた元・負傷兵の皆さんだ。

 それぞれが感謝の気持ちを熱い言葉で述べてくる。

 中には涙ながらに感謝を伝えてくる人もいた。

 私は大きな感謝と共に揉みくちゃにされた。

 でもこういうのも気持ちいいものなんだな、と私は思った。


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