『効果は抜群だ』
このところ。
ヘレニウムはそこかしこから視線を感じていた。
そこかしこ、というが、おそらくヘレニウムを『観ている』人物は一人だ。
そのことは、ヘレニウムも気づいていた。
だが、そういうことはそれまでも多少はあった。
なにせ、武器もカソックも真っ赤で目立ちまくる出で立ちな上に、『赤き鉄槌のヘレ』という異名まであり、剣をディスりまくるハンマー馬鹿なんて、とんだ変人だ。
そもそも、ヘレニウムは小柄で、一部が平たくはあるが、造形としてはとても美形だった。
興味を覚える輩は無くはない。
今回に限って違うのは、しつこい、ということだ。
さらには、いつもならすぐに見つけられるのだが、今回はその姿をなかなか捉えることが出来なかった。
つまり、やや未熟な部分はあるけれど、諜報活動にある程度長けている人物だと言える。
――ヘレニウムは、あの手この手で巻こうとしたり、おびき出したりしようとして見たが、なかなか成果が出ず苦労をしていた。
そして、とても、うっとうしく思っていた。
とはいえ、その気配は、家の中までは入ってこないようだった。
ただ、見られている、というだけだ。
つまりストーカーである。
はぁ。
ヘレニウムは今日もストックの鍛冶屋の離れ。
その台所の踏み台の上に立って、溜息を吐く。
ストックがどこかへ行ってしまってからも、ヘレニウムは家事を怠っていない。
例えひとり暮らしになっても、料理に手を抜いたことは無かった。
そして。
今日、ヘレニウムは河で採った魚を、塩焼きにするつもりだ。
細長く銀色に輝く魚は、今の季節が旬で、脂がのっていてとても美味しい。
しかも今の時期は、子持ちなので、巷では酒のお供に最高で、酒場でも提供されている。
それを、炭火で焼き、すり下ろした根菜を載せていただく予定なのだ。
そんなわけで、夜。
ヘレニウムは、台所で魚を焼き始める。
おそらく、気配の人物は家の外に居るだろう。
定番な予測では屋根の上だろうか。
それを考えた時に、ヘレニウムはふと思いついた。
ガラッ、っと窓を開け。
適当な薄い書物を持ってきて、それで仰ぎ始めた。
網の上でじゅーじゅー焼ける魚から、もくもくと広がる香ばしい香りの煙が、仰がれ、開けた窓から外に出て行く。
そう。
ヘレニウムが行ったのは、ただの嫌がらせだ。
料理屋に行くことが無いヘレニウムをずっと追いかけまわしている人物は、きっとこのところ、ろくなものは食べていないだろう。
もしかしたらお腹を空かしているかもしれない。
そこに、この『攻撃』である。
ヘレニウムは調子に乗って必要以上に魚を焼いた。
2匹で十分な所、釣ってきた魚10匹を全部だ。
だが、反応は無かった。
誘いに乗って姿を現すかと思っていたのだが、うまくいかなかった。
「……良い作戦だと思ったのですが、残念です」
そして焼いてしまった魚。
8匹が余分になった。
まあ、がんばれば、ヘレニウムでも4匹は食べれるだろう。
残り6匹、どうしよう。
そんな悩むヘレニウム。
――――
失敗した。
とヘレニウムは思っていたが。
屋根の上に居たコムギは、てんやわんやであった。
このところ、ろくなものを食べていないのは間違いなかった。
空腹なのも間違いなかった。
なにせちょうど夕食時なのだ。腹が減っていない方がおかしい。
そこに、焼き魚の炭火の香は、悶絶モノだった。
コムギは声を殺し、よだれを垂らしながら、屋根の上でその地獄を耐えていた。
極めつけは、その料理法が、コムギの故郷の料理に似ていたことだ。
魚10匹を、わざわざ1匹づつ焼いていく。
そんな地獄は、かなりの時間続いたのだった。
「(ふうううぅぅ、あの人鬼だよぉぉぉぉ!)」
ちなみに。
コムギは、冒険者組合の前でヘレニウムの戦う姿を見かけてから、興味を覚えて付け回していた。
それはヘレニウムが、今は亡き師匠に匹敵する強さではないかという理由からだ。
ずっと田舎で稽古に明け暮れていたコムギに、師匠は死ぬ間際に遺言を残した。
「ワシが死んだら、一度世の中を見て回ってくるがいい。遠く遠く、この地を離れ、世の中のことをよく見て参れ。さすれば、ワシに縛られ、この地を離れなかったお主に、きっと新しい風が吹くだろう」
その遺言を聞き、故郷でて、大島国を出て、この辺境までやってきた。
コムギは今、新しい居場所を求めている。
その手掛かりになりそうな、そんな閃きが、ヘレニウムに感じられたから、コムギはこうして付け回しているわけだった。
のだが――。
「もう限界……」
故郷に似た料理が。
空腹やら、ホームシックやらを呼び起こして、コムギは心をかき乱されていた。
ようやく永かった飯テロ攻撃が終わり、屋根でコムギがぐったりしていると。
がらり、と離れの家の扉があき、そこから何かが外に出された。
見ると、それはお皿に乗った6匹の焼き魚だった。
そして。
「こんなに食べられないからここに捨てますね」
とちょっとワザとらしい大きな声が聞こえてくる。
コムギは、がば、っと起き上がって、その様子を屋根の上から眺めた。
その時にはもう、ヘレニウムは家の中に引っ込んでおり。
玄関先に、魚の乗ったお皿が置かれているのみになった。
――今ならまだ焼き立てだった。アツアツだ。
コムギは反射的に思った。
それを捨てるなんてとんでもない!
コムギは、子猫のような身軽さと素早さで、そのお魚を奪いに降りて行ったという。
――――
朝、ヘレニウムが起きると、魚はすっかりなくなっていた。
なんなら、お皿も河で洗ったのか、綺麗になって返してあった。
そんなこんなで、ここ数日。
毎晩こっそり家にやってくる猫に『
いつの間にか。大きなペットを飼っているような状況になりつつある昨今だったが。
とあるお昼過ぎ。
さすがにこのままでは埒が明かないと。
「……そろそろ一度、本気で巻いてみましょうか」
ヘレニウムが、エスカロープの聖堂教会へ足を運ぶ途中。その道端でそうつぶやいた時。
丁度、前の方から
「ヘレニウム様!」
アプリコットが走り寄ってくるのが目に入る。
そこで。
ヘレニウムは合流してから、アプリコットに少し屈んでもらい、耳打ちする。
「ねえアプリコット。あなた、『
アプリコットは、ヘレニウム様の息が耳にかかるのに
「は、はいぃ。低位の物ですが」
「それで構いません、今使えますか?」
「もちろんです! でもエスカロープ内のどこに跳ぶか分かりませんよ?」
「大丈夫です。あなたのその未熟さが、今は必要なのですから」
「……分かりました! ではわたくしに捕まってくださいヘレニウム様、ぜひともむぎゅっと!」
ヘレニウムは、むぎゅっと、と言う言葉に反し。
ちまっと、アプリコットの服を抓んだ。
それで事足りるからだ。
そうして、「いきますよ、『
――――
さすがに、瞬間移動系の術を使われれば、コムギに追いかける手段など無かった。
ヘレニウムは相手が移動先を追跡できる魔術を使えることを考慮して、あえてランダム性の高いアプリコットにお願いしたが。
そんなことをするまでもなく。
コムギは慌てふためいた。
「しまったわ! まさかこんな高等な術まで使えるだなんて!」
そしてコムギはヘレニウムを探すために、エスカロープの地を走り回った。
街道を、大通りを、高所低所の屋根の上を。
そうして、とある建物の屋根から、周囲を見渡していた時。
それは聞こえてきた。
「ぎゃあああああああああああああああああっ!」
「ご主人様!ご主人様!ご主人様!ご主人様!ご主人様ぁぁぁぁ!」
去っていくキンピカ姿。
そして取り残され、のたうち回っている人物。
その者から零れた大量の血が、地面に広がっていた。
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