『帰れない想い』
予定された戦争。
その開戦まであと数日。
そんなとある駐屯地で。
剣とハルバードと、防具の手入れをする青年兵の元に、補給部隊の少年が一人駆け寄ってきた。
肩にかけた大きなカバンに、独特の帽子。
それは、郵便兵の特徴だった。
「ネペタってのは君の事だって聞いたんだが、あってるかい?」
「ああ、それならボクだけど?」
「そうか、じゃあこれは、君の物だ」
少年から、青年兵に渡されたのは、一通の手紙だった。
裏面の差出人を見て、
「え?……スィーリアから!?」
「なんだい? お兄さんの大事なヒト?」
「うん……まぁ……」
「そうか。良いね。良かった。……大事なヒトからの手紙がちゃんと届いて。――では、君に、軍神ヒペリカの加護があらんことを――」
郵便兵は青年に深々と一礼すると、他の者に手紙を届けに走り去っていった。
ネペタは、武具の手入れの途中だったが、そんなものよりも、急く気持ちで、腰に忍ばせた小刀で手紙の封を切った。
一見。
手紙の文章は、少なかった。
だが。
それを読むネペタの表情が、みるみる歓喜にあふれていく。
なぜなら、その内容とは――。
『……愛するネペタへ。先日、メルマン
何度も、筆の止まった跡がある。
決して裕福ではない二人だ。
紙と封筒も、安くはない。
悩み悩み抜いて、書き綴られた文字たちだった。
「スィーリア……」
ネペタは、手紙を愛おしそうに抱きしめる。
そして、数日後には戦争に行く、自分の運命を悔いた。
なぜ、兵士になど、志願したのか――。
それは。
決して裕福ではない二人。
それが理由だった。
兵士に志願すれば、一定の給金とネペタ自身の食事の心配はしなくて済む。
それに、下っ端兵士のネペタの仕事は、城に届けられる物品のチェックだった。
勿論、有事の際には戦う必要があるが、基本的に危険とは遠い部署に送られ、一時は喜んでいたモノだった。
だが、不幸にも。
隣国との戦争が勃発してしまった。
それまで、8年~12年のスパンで起こっていたものが、今年は5年で起こった。
このタイミングで、兵士をやめるなどと言えば、敵前逃亡と同罪に見なされる。
つまり、死刑になるということだ。
必ず、生き延びなければならない。
その決意を胸に。
戦争は始まった。
雑兵のネペタは、前線で懸命に戦った。
鬼気迫る士気と、死にたくない、死ねない、という一心で。
きっと同じ気持ちであろう敵兵を、何人も殺した。
だが――。
ついに。
敵の剣に、ハルバードを握る左腕を斬り飛ばされる。
「うわぁぁぁあああ!!!」
激痛に苛まれながら、ネペタは歯を食いしばった。
飛びそうな意識を、激情でつなぎとめて。
「――ボクは……!」
濁った声で、
「絶対に帰る!!」
叫び。
ハルバードと片腕が地面に落ちるよりも早く。
腰の剣で、敵兵を刺し殺す。
それと同時に。
「うぐ……」
別の兵士の剣が、ネペタの腹部から、飛び出てきた。
膝をつく。
ぼたぼたと、お腹から、生きるために必要な機能がこぼれていく。
けれど、まだ死なない。
まだ、死んでいない……
「がッ!」
また斬られ。
手から剣がこぼれ。
手紙を斬るときに使った小刀で。
執念で。
兵士一人をさらに殺した。
だが――。
「う……ッ!」
すでに、ネペタの身体は、死んでいてもおかしくない程の状態だった。
残る執念だけで、ネペタは生き続けていた。
死ねない、どうしても死ねない。
家に帰れば、スィーリアとまだ見ぬ子供が待っている。
まだ、結婚の契りすら交わしちゃいない。
死ねるものか!
とはいえ、
いくら足掻こうとしても。
もはやネペタの身体は動かなかった。
仕方のないことだ。
その身体には6本の剣が刺さったままだったのだから。
そこに――
滑る様に――。
迫ってくる――。
やめろ、やめてくれ……。
その刃が、ネペタの首を狙っていることは明白で――。
いくら、拒もうとも。
身動きの出来ぬ『死に体』に、出来ることは無く。
それにもう、ネペタは、生きれないほどの傷だったから。
「あ……」
スっと。
風が駆け抜けたかと思うように、ネペタの意識は、真っ白に染まって。
目も耳も鼻も口も肌も。
喜びも怒りも悲しみも楽しみも
痛みも。
何も感じれなくなってしまった。
それなのに。
ただ……意識だけは。
なぜだか、その後も残り続けた。
小さく弱く、しかし確実に。
『帰りたい』
その思いだけが。
その共感だけが。
灯となって。
数百年の時を経て。
少しづつ、古戦場に浸透していった。
『ただ、家に帰りたい』
戦場で死に絶えた兵士たちが、皆思っていることだったから。
その一点が、戦場に散った微々たる意識の残り香を、糸のように繋いでいった。
『帰りたい』『帰りたい』『帰りたい』
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